第6話 呼吸/鶴巣さんは忍び込む

 どうやら私は人よりも影が薄いらしい。

 アドバンテージじゃないことはわかってる。高等部に進級してから早数ヶ月、何か生活に劇的な変化があるかと言われれば大したことはなくて、小説や漫画であるみたいなキラキラした青春は私の担当じゃないのだと理解するまでにそこまでの時間はかからなかった。

 変わったことがあるとすれば、中等部からずっと仲良くしていた友達の那々子ななこが、女子グループの一員に加わった。それに伴って、私もそのグループと行動することが多くなったけど、どうにも居心地が悪い。あまりきゃあきゃあするのは好きじゃないし、よく知らない奴の悪口で盛り上がられても何が面白いのかわからない。ただ、ずっといっしょにいて楽しかったと思える那々子がそこにいるから、私もくっついている。二人で話す分には、今まで通りといかなくても楽しいから。

 でも、私が馴染めていないことに気付いているのは私だけじゃないから、大抵私という存在はなかったことにされる。グループでつるんでる時、私に発言権はない。何か口にしても、そんな言葉は端から聞こえてませんでしたよ、みたいな顔でスルーされる。那々子にだってそう。二人きりの時、ごめんね、でも心結みゆちゃんには逆らえないから、と謝罪されるけど、私は真に受けない。自分が私の立ち位置じゃなくて良かった、という安心感が顔中にありありと浮かんでいて、真面目に考えるだけ馬鹿馬鹿しいと思ってしまった。

 グループの中心にいるのは、心結ちゃんこと田子たご心結みゆだ。普段は私のことなんか見えてないみたいな素振りのこいつが、珍しく話しかけてきたのは昨日のことだ。


「あのさ、鶴巣つるすさん。これ、二年二組の花鶏あとり先輩に渡してくれない? 鶴巣さん影薄いしこういうの得意だよね」


 この時から、私は自分が影薄いキャラとして扱われていること、そして田子心結が花鶏先輩とやらに片思いしていることを知った。

 預けられたのはいわゆる恋文、ラブレターなるものだろう。中身は見るなと言われたので、詳しいところはわからない。見たらハブだから、と脅されてしまったけど、だったら開け口を糊付けくらいしとけよなと思う。リボンを付けた熊の生首のシールひとつでは、私の意思に関わらずめくれちゃうとか、そういう心許ないアクシデントが発生しかねないのではないか。

 結果として、私はこの依頼を引き受けた。ぶっちゃけ面倒臭いと思ったけど、断れるような状況ではない。アホらしいなあと思いながら、いつもより一時間早く家を出た。めちゃくちゃに眠い。でも、誰もいない教室に忍び込むなら早く出ないと。

 普通下駄箱に入れるでしょ、と指摘されたらぐうの音も出ないし、実際私もそう思った訳だけど、田子心結が直接手渡しするか、もしくは先輩の机の中に入れろとリクエストしてきたのだからそうするしかない。いわく、花鶏先輩はバスケ部で、いつも朝練が終わった後教室に直行するから、下駄箱の中なんてちゃんと見ないとのこと。うちのバスケ部はいわゆる強豪で、部員のほとんどは寮暮らし。わざわざ昇降口を使うよりも、外履きを持ち歩く方が都合が良いらしい。……という話を、うちのクラスのバスケ部員がしているのを耳ざとく聞きつけたそうだ。アホらし。

 さて、そういった訳で、私は普段なら立ち寄ることのない二年生の活動エリアへと足を踏み入れた。それだけで妙に緊張してしまって、いつもより心臓の音がうるさい気がする。

 花鶏先輩は二年二組。一学期のうちは、余程生徒の不満が溜まって席替えでもしていない限り、出席番号順に机が並んでいるはずだ。この憶測が当たっていれば、五十音順なら序盤に来るであろう花鶏先輩の机は廊下側にあるだろう。


「花鶏先輩、本当にカッコいい。インターハイ、応援に行っちゃおうかな」


 いつだったか、田子心結が浮かれながら言っていたのを思い出す。今年のインターハイ、東北は東北だけど青森での開催だ。本気で行くつもり? と思ったし、彼女を取り囲んでいる子たちもボス猿の正気を疑ったかもしれない。しかし、花鶏先輩にめろめろな田子心結は冗談でもなんでもなく本気で応援に行きたいようで、夏休みが待ちきれない、という文言は百遍聞いた。

 そんなに良いものかな? と疑問を覚えない訳ではないが、恋する乙女には何を言っても無駄だろう。根っからのインドア派であまり運動に楽しみを見出せない私でも、クラスマッチで活躍している運動部を見ると少しはカッコいいなと思ってしまうから、田子心結にとってはまさに運命の出会いに近かったんだろう。まあ、あっちからは今のところ認知されていないみたいだけど。

 そうこうしているうちに二年二組まで辿り着いた。ちらっと中を覗いてみたところ、中には誰もいない。よし、さっさと花鶏先輩の机を見付けてラブレターを滑り込ませよう。

 幸運なことに、教卓には全員の席順を記した座席表が置いてあった。やはり出席番号順に並んでいる。あ行の生徒は廊下側の一列で完結しているから、目的を達成したらそのまま出て行けば良い。

 ──と、廊下を通りがかる人があったので、私は咄嗟にしゃがんで身を隠す。

 制服を着ている以上、不法侵入を疑われることはないだろうけど、このクラスの生徒でもない奴が一人でいるのは明らかに変だ。幸い、今し方通った人は違うクラスだったけれど、いつ一番乗りがやって来るかわからない。怪しまれる前にミッションをコンプリートしないと。

 座席表を思い出しながら、私は花鶏先輩のものと思わしき机の中に手紙を入れる。中には教科書やノートがきちんと揃えて入れられていた。几帳面な人なのかな。運動部の男子って、やんちゃな子は割とごちゃっとしているイメージだから、花鶏先輩は真面目なタイプなのかもしれない。

 無事に手紙も忍び込ませたことだし、私は一年生のフロアへと戻ろう。本当に面倒だった、早起きしたせいで眠いし。教室に戻ったら、ショートホームルームまで寝ていようかな。

 すっかり肩の力を抜いた私は、伸びをしながら二年二組の教室を出ようとする。堪らずこみ上げてきたあくびをそのまま外に出してやり、がらりと何気なく扉を開けた。

 目の前に人が立っていた。


「うわあああ⁉ わああああああ‼」

「ひっ……」


 まさかこんなタイミングで鉢合わせするとは思わなくて、私は可愛げも何もない悲鳴を上げてしまう。私の絶叫に気圧されたのか、相手は小さく喉を鳴らして後ずさりした。

 背後の机にぶつかりそうになったけど、両足に力を込めてどうにか我慢する。先程まで居座っていた眠気はどこかに行ってしまった。


「あの……大丈夫?」


 私の絶叫を真正面から浴びたのは、眼鏡をかけた小柄な女子生徒だった。丸顔なこともあってか幼く見えるけど、この教室に来たということは先輩だ。そして恐らくいい人なのだろう──でなければ突然現れて奇声を上げた奴を気遣うような真似なんてしない。

 すみません、と一言伝えて会釈でもすれば良かったのだろうけど、今の私はパニック状態。呼吸の仕方さえ忘れかけている。頭の中は真っ白で、上手くものを考えられない──どうしたらこの場から逃げ出せるか、取り留めもない言い訳ばかりが駆け巡る。


「ち、ちちちちがうんです! あのっ、先輩に借りてた教科書返しに来ただけで! ほんとうにそれだけなんです! 変なことしてません!」

「そ、そうなんだ。えっとその、どこかぶつけたりとかは、」

「してません大丈夫です! 無傷! なので失礼します! では!」


 このままでは早くここから退散したいという気持ちの擬人化になってしまいそうだったので、私は深々と頭を下げると同時にダッシュで教室を後にした。無傷なのは本当だけど、心はズタボロだ。

 走り続けたら過呼吸になりかねないので、急遽トイレへと逃げ込む。鏡に映った自分の顔は我ながら悲惨で、ヘドバンみたいなお辞儀をしたからか髪の毛もぐちゃぐちゃだ。顔だってむくんでるし、コンディションは最悪。この世の終わりのような顔である。

 髪の毛を直して、息を整えたところで、私はトイレを出る。朝から散々な思いをした。それもこれも田子心結のせいだと思うと無性に腹が立った。なんだよ、好きなら自分から当たって砕けろよな。ばーかばーか。

 今日イチでかい溜め息を吐き出して、そういえばあの先輩はどうしているだろうかと気になった。いや、墓穴を掘るつもりはない。ただ、追いかけてきたらまずいから確認するだけ。……誰に言い訳してるんだろう、私は。

 そうっと背伸びして、廊下側の窓から二組の様子を窺う。例の先輩は自分の席に座って荷物を出している。良かった、深追いしてくるような人じゃなくて。


「……ん?」


 待てよ。あの席、花鶏先輩の席では?

 花鶏先輩は男性だ。男バスに興味のない私だって、それくらいは知っている。一番前から三番目、あそこは私がラブレターを投函した席だ。

 ……つまり、私は目的の机を間違えてしまったということか?

 背中がさあっと冷たくなる。やばい、どうしよう。そんな焦りがない訳ではなかったけど、先程の窮地を思い出したらわざわざ戻る方が地獄だと気付いてしまった。

 私はそっと教室に背を向ける。宛名は書いてある訳だし、もしあの先輩が気を利かせてくれるなら花鶏先輩に渡してくれるだろう。捨てられたならそこまでだ。もとより田子心結の恋を応援するつもりなんて更々ない。むしろ私にここまでの苦行を課したんだから、後はどうにでもなれと思う。

 手紙は届けた。じゃあもう十分じゃないか。改めて考えてみたら、ハブにされても良いような気がしてきた。別にあいつらがいなければ那々子と関われない訳じゃないんだし、それで那々子まで私を無視してくるなら所詮はその程度だったってこと。薄情かもしれないけど、私はかかなくても良い恥をかいて、寿命を縮めたのだ。これ以上無理してあの集団の中に身を置いていても、私へのメリットなくない?

 なんだか全部馬鹿馬鹿しくなってきた。疲れもあってか、私の口からあくびが飛び出す。一時間目もやばいかもしれない、と思いながら、私は階段を上った。

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