第5話 琥珀糖/高森君は後を追う

 推し。他人に薦めたいと思う程の好感を持つに値する存在、人生の支柱、自分にとっての唯一無二。

 おれにとって、真金埼さんとはそういう存在だ。正直に言って、推しなんていう二文字で彼を言い表すのは不適切だと思うけど、それ以上に平易な表現が見付からないので今のところは推しと言っておくのが妥当なのだろう。もっと相応しい言葉が見付かり次第そちらに移行しようと思う。

 親に言われて嫌々剣道を習い始めて、私立の中高一貫校に入学し、惰性と共に生きるはずだったおれの人生は真金埼さんとの出会いによって一変した。その圧倒的な強さを見せつけられた観客ギャラリーことおれは、高等部に入ったらさっさと辞めてやろうと思っていた剣道を未だに続けている。同じ高校で先輩後輩になれないのだから、部活という共通点を捨てる訳にはいかない。

 何故他校の、しかもむさ苦しい野郎に惹かれるのかと聞いてくる不届き者もいるが、誰だって真金埼さんの姿を目にしたら魅了されずにはいられないだろう。清く正しく美しく、質実剛健を絵に描いたような、瑕疵のない完璧なひと。たとえ真金埼さんに認知されなくたって良い。一瞬でも同じ空間を共有できて、同じ空の下で健やかに生きていてくださるなら、おれにとってこれ程喜ばしいことはない。

 そんな真金埼さんが、この日はどういう訳かうちの学校を訪れた。その上、剣道部でも何でもない、幼馴染みだという女子生徒と帰路を共にしている。


「なんで荒鷹先輩なんだよ……」


 二人は家が斜向かいとのことで、最寄り駅から電車に乗って帰るらしい。帰る方向は違うが、おれはいてもたってもいられず、せめて駅までと二人の後を追っている。カウンター当番がいっしょだった鈎取先輩から、「尾行ならこれ使いなよ!」と手渡された新聞で顔を隠しつつ、距離感を意識しながら追跡中だ。


「別に良いだろ、僕たちがどうこうできる問題じゃないんだから。真金埼君も人間だってことだよ」


 そして、我が校の剣道部部長こと八乙女先輩も何故か同行している。おれのことを放っておけないとか何とか言っていたけど、恐らく真金埼さんが気になるのだろう。いくら弱小といえど、せっかく全国レベルの選手が来ているのだ。まさか部長ともあろう者が、真金埼さんへの興味よりも後輩への心配で尾行に身を投じるはずがない。

 何はともあれ、問題は真金埼さんと荒鷹先輩だ。荒鷹先輩は同じ図書委員なので、顔と名前は覚えている。とはいえ目立つような人ではないし、当番の曜日も違うから、今回の一件がなければ徐々におれの記憶からフェードアウトするところだった。じゃんけんで負けて不本意ながら役職を拝命した図書委員ではあるが、こうなることを考えれば逆についていたかもしれない。

 その荒鷹先輩は、真金埼さんが迎えに来たことには驚きつつも、彼の誘いを二つ返事で受け入れた。礼儀のなってねえ先輩──どっかで見たことのある顔だから集会で表彰か何かをされていたのだろう──を宥め、お騒がせしてすみませんと何の非もないのに謝罪して場を取りなした彼女は、真金埼さんの隣を遠慮がちに歩いている。歩幅の差からか、荒鷹先輩の方が少し小走りになっていた。


「あ……あのね、真金埼君。純粋な疑問なんだけど、どうして校門まで迎えに来てくれたの……?」


 幼馴染みといえど、真金埼さんの威風を前にしては気軽に話しかけることは至難の業らしい。おずおずと躊躇いながら、真金埼さんへと問いかける。

 真金埼さんは会いたくなったから、と言っていたけれど……もしかしたら、荒鷹先輩にしか伝えられない事情があるのかもしれない。おれは電柱の影に隠れつつ、真金埼さんの言葉を待つ。


「久々に会いたくなった。それだけだ」


 真金埼さんの言葉には裏表なんてなかった。真っ直ぐ直球ストレート、やはり変に飾り立てるよりもそのままの意思を伝えた方が断然良い。


「あ……もしかして、おかあさんから帰りが遅いって聞いて……? ごめん、真金埼君は関係ないのに、迷惑かけちゃったね……」


 おい! どうしてそうなる⁉ 真金埼さんが嫌みったらしく遠回しに非難なんてする訳ないだろうが!

 何を勘違いしたのか、荒鷹先輩は勝手に早とちりしてうつむいてしまった。心当たりの有無はさておき、真金埼さんの凜々しい眉尻が下がっているところからして、完全に不本意だったのだろう。真金埼さんの彫刻を思わせる美しい顔が、僅かな陰りを帯びる。


「言外の意味はない。本当に、お前に会いたかった。顔を見て、共に言葉を交わせるのなら、俺はそれだけで十分だ」

「うん……ごめんなさい」

「あああ! 通じてない!」

「高森、声大きいよ……」


 思わず飛び出しそうになったが、八乙女先輩から襟首を掴んで引き寄せられる。息が詰まってぐえ、と潰れた声が出たけれど、止めてくれたことには感謝しなければならない。

 おれが最悪の形で推しの前へ転がり出ることは避けられたが、代わりに嫌な沈黙が下校中の二人を包んでしまった。ただでさえ寡黙な真金埼さんなのだ、きっかけが失われてしまっては会話の糸口を導き出すのがさらに難しくなる。

 展開としては悪い方向に進んでしまっている。真金埼さんも荒鷹先輩も口をつぐんだままだ。刻一刻と駅までの距離が縮まっていく。

 ──と、ここで真金埼さんがふと顔を上げた。平生よりも幾分か悲哀の混じった視線が向かった先は、反対側の歩道。


『家に誘え!』


 街路樹に紛れるようにして、片手にスケッチブック、もう片方の手にあまりにもお粗末な作り物の木の枝を持った男子高校生が真金埼さんを睨んでいる。先述の文言はスケッチブックにでかでかに記されていた。


「なんだあの不審者……」

「僕たちも不審者だよ」


 お遊戯会でももっと上手くやるだろ、と呆れてしまったおれだが、たしかに尾行している時点でおれたちも紛うことなき不審者だ。我が校の剣道部は終わっている。

 見たところ、不審者は真金埼さんと同じ制服を身に付けている。ということは辰ヶ杜の生徒か。くそっ、羨ましい。


「千代子。自宅に帰りづらいのなら、俺の家に来い」


 そして、真金埼さんはどういう訳か不審者のアドバイスをすぐさま実行した。あまりにも力強い提案だった。

 いきなり家に誘われるとは思わなかったのだろう。荒鷹先輩はぽかんとした顔で真金埼さんを見上げる。おれだったら推しの前でアホ面を晒すなんてとても耐えられないが、幼馴染みという枠組みは判定が緩いのだろうか。真金埼さんの顔は相変わらず真剣そのものだった。


「ええと……突然だね……? 気持ちはありがたいけど、真金埼君の迷惑になっちゃうよ。親御さんだっているんだし……。わ、私、危ないことは何もしてないから。おかあさんにも、ちゃんと伝えるよ。だから、真金埼君は気にしないで」

「俺が会いたいだけだ。迷惑などとは思っていない……俺の家族も、お前ならば喜んで招き入れるだろう」

「気を遣わなくてもいいよ。高校生になってまで、私のお世話をする必要なんてないんだから……」

「む……」

『おやつで釣れ!』

「おやつ…………そうだ、母がもらってきた琥珀糖が大量に余っている。良ければ食べていってくれないか。俺は甘いものが苦手だ」

「琥珀糖……?」

「寒天を煮詰め、砂糖や水飴を加えた和菓子だ。見たことがないのなら、やはり一度俺の家に来ると良い。本当に、真金埼家では食べきれない程の量がある。お前にしか頼めない」


 一家全員でも食べきれない量の琥珀糖とは一体、と思わなくもないが、真金埼さんが言うのなら発注ミスレベルの琥珀糖が残されているにちがいない。あわよくばおれもいただきたい。誰からも選ばれなかった余り物があるのなら、是非この高森伊泉に譲って欲しいと思う。

 荒鷹先輩は戸惑いを隠せないようだったが、それでも多少、二人を取り巻く空気は和らいだ。おやつで釣るなんてガキじゃねえんだから、と呆れはしたものの、不審者のアドバイスは的を射ていたらしい。……なんだろう、少し……いやだいぶ悔しい。格好はお遊戯会のくせに。


「私で良ければ喜んでいただくけど……でも、本当にいいの? 真金埼君、他に友達いるでしょう」

「……いない」

『俺は⁉』

「すまない、湯元は友人だ。偽証して悪かった」

『わかればいいんだよ』

「湯元君が誰なのかはわからないかな……。真金埼君、どうしちゃったの? 嘘吐くの苦手なのに……」

「……お前が一番だと伝えたかった」

「ぎぃぃぃ‼ 前世でどんな徳を積めってんだよ!」

「高森、落ち着いて」


 常に頂点に輝いている真金埼さんが一番と認めるなんて、荒鷹先輩は一体何を成し遂げたというのだろうか。一瞬でいいからそのポジションを譲って欲しい。まだ見ぬ景色を見てみたい。それが駄目なら、湯元とかいう不審者が陣取っている友人の椅子にちょっとだけで良いから座ってみたい。隣から強欲だなあ、というぼやきが聞こえてきたが知らないふりをする。

 この世の頂にいるであろう荒鷹先輩は、先程と変わらない苦笑いを浮かべたまま、そう、と曖昧に相槌を打った。えっ、これ流すか普通?


「真金埼君、今日はなんだか変わってるね」

「しばらく会えていなかったからだろう。慣れてくれ」

「そ、そうかな……? もしかして何かあった? 熱があるとか……」


 そして、あろうことか荒鷹先輩は真金埼さんの勇気を発熱扱いしようとしている。鈍感なのか、真金埼さんを信用しきれていないのか……どちらにせよ、真金埼さんを慕っているおれとしては納得がいかない。こんな素敵な人が側にいて、しかも自ら接触を図ろうとするくらいの好感度があるのに、気付かないとかあり得ないだろ。おれだったら呼ばれなくても家を訪問してしまうかもしれない。

 気遣わしげな顔をしている荒鷹先輩を見下ろし、真金埼さんはふと相好を崩した。笑顔……とまではいかないが、試合会場では決して見ることのない穏やかな表情だ。眼福にあずかるとはこういう状況を言うのだろう。


「熱はない……が、不調なのは確かだ。お前の助力で解決するかもしれない」

「えっ、不調? 珍しいね……スランプなんて、一度もなったことないでしょう。私なんかでどうにかなるのかな……?」

「昔のように下の名前で呼んでくれたら、よりやる気が出るだろう」

「ダハハハ! お前そういうこと言うんだなあ!」


 ついに不審者がフリップによる会話をぶん投げた。木陰で爆笑してやがる。というかこれで笑うなら今までの発言はなんで看過してたんだよ。真金埼さんの本気を笑うんじゃねえ。

 しかしさすがは真金埼さん、樹木のふりをしている不審者には目もくれず荒鷹先輩だけを注視している。これこそ一意専心ってやつか。やっぱりプロは意識が違う。

 今まで真金埼さんの長身で見えなかったのか不審者にはノーリアクションだった荒鷹先輩だが、声を上げられては気付くより他なかったらしい。お遊戯会の枝を持った不審者を訝しげに一瞥してから、真金埼さんの視線を避けるように下を向いた。


「も、もう学校も違うし、すごく親密って訳でもないでしょう。ちょっと恥ずかしいよ」

「俺は恥ずかしくない」

「私は恥ずかしいの……」

「それなら、俺の前でだけ言葉を発すれば良い」

「それは大いに困るかな……」

「俺も困っている。お前がいつまでも他人行儀で寂しい」

「やっぱり今日の真金埼君はおかしいよ……。熱あるんじゃない?」

「平熱だ。お前の知る俺が発熱していたのではないか?」

「すごい口答えするね……」

「待遇に不満を感じているからな」


 よし、段々荒鷹先輩が押されてきた。このままグイグイ行けば落とせるのではないか?

 わくわくしながら見守っていたら、急に腕を引かれた。見れば八乙女先輩が困り顔で俺を引き留めている。


「高森、そこ改札だよ。そろそろ戻ろう」

「ええっ、これからがいいところじゃないですか!」

「もう十分楽しんだだろ。剣道部がストーカー集団って噂を立てられたらまずいから、この辺りにしておこうな」

「ちっ……」

「舌打ちするなよ。家の方向違うだろ。さ、帰る帰る」


 そのままあり得ない力で引っ張られ、おれは泣く泣く来た道を引き返す。いつもは何かと受け身でトラブルに巻き込まれている感が強い八乙女先輩だが、変なところで力強い。公式戦でも少しは活かしてくれたら良いのに。

 引きずられるおれを尻目に、湯元とか呼ばれていた不審者はさっさと改札を潜る。……去り際、おれに向かって舌を出しやがった。次に会った時は覚えていろ、と言いたいのは山々だったが──八乙女先輩に止められそうだし、雑魚の捨て台詞みたいだなと思ったので、睨むだけに止めておいた。あいつに不幸が降りかかることを切に願ってやまない。

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