第4話 アクアリウム/八乙女君は挟まれる

 白昼夢って言葉がある。今は白昼というより夕方なのだけれど、もしかしたら僕は現実によく似た空想上にいるのではないかと思ってしまう。

 真金埼律貫がうちの高校に来た。練習試合でも、いやそもそも部活関係の用事でもなく、幼馴染みを待っているという。

 真金埼君は、県内に止まらず全国レベルの輝かしい経歴を有する剣道家だ。強豪と呼ばれる運動部の多い我が校では異端とも言える弱小剣道部の僕が気安く関われるような人物ではない。幸か不幸か──一部の部員を除けば概ね不幸である──彼の通う辰ヶ杜高校とはそう距離が離れていないこともあり、毎回地区大会で当たる間柄だ。たまに地区の合同練習会でいっしょになることもあるけど、どのような場であろうとも惨敗するのは確定事項。あちらからしてみたら歯牙にかける程の価値もない存在に他ならないが、どうしてか真金埼君は僕の存在を認知していた。うちに幼馴染みが通っているという事実よりも、この出来事の方が僕にとっては驚きだった。

 背後で何やらすったもんだを繰り返している部活の後輩こと高森たかもり伊泉いずみ──先程言った一部の部員とは彼のことで、自他共に認める真金埼君のファンである──と新聞部の鈎取先輩なんて見えないふりをしながら、僕は真金埼君の幼馴染みを捜すために校舎へと戻る。

 真金埼君の幼馴染み──荒鷹千代子のことは存じ上げている。一年生の頃、同じクラスだった。

 内部進学とスカウトで半数以上を占める生徒の中では珍しく、荒鷹さんは外部進学組だった。だから入学当初は結構目立っていた……と思う。外部進学組は求められるレベルも違うし、ただ頭がいいというだけで済ますにはもったいないくらいの努力で這い上がってきたことは皆熟知していると思う。外部進学を選ぶ人のほとんどは国公立か名門私立、医大といった難関大学を目指してやって来る。一目置かれるのも無理はない。

 その荒鷹さん自身はおとなしいタイプのようで、自分から注目を浴びることはほとんどなかった。イベントの時も、自分から前に前にと出ることはなく、後ろで黙々とサポートに徹している感じ。皆が率先してやらなかったり、失念していたりする仕事を嫌な顔ひとつせずにやってくれる、親切で気の利く人という印象が強い。

 ただ、どうしても何故真金埼君が? という疑問は浮かんでしまう。荒鷹さんは彼みたいに目立つ感じじゃないし、どちらかというと人前に出るのを好まないイメージなので、真反対の二人が繋がっていることが不思議でならない。


「よーう、八乙女。誰か捜してる?」


 あの真金埼君を自ら出向かせる荒鷹さんとは一体……と思考を巡らせながら歩いていると、前方から声をかけられた。反射的に足が止まる。 

 僕の前に立っていたのは、背の高い女子生徒だった。ひらひらとこちらに手を振っている。ウェーブのかかった栗色の髪の毛に、華やかな顔立ち……一見するとギャルっぽい彼女だが、決して見た目に引っ張られるような性格でないことは僕も理解している。


月浦つきのうらさん。今日って部活は……」

「ちょっと職員室に用事があってねー。これから行くところ」


 僕に声をかけてきたこの女子生徒は、名前を月浦つきのうらかなえという。同じ美化委員会ということもあり、一年生の頃から交流がある。彼女は仕事に対して非常に真摯な人なので、二人で校舎の各地に点在している水槽──というより大きさを鑑みれば最早アクアリウムと表現した方が妥当だ──を掃除したのは良い思い出だ。

 毎年地区大会で敗退している剣道部とは対照的に、月浦さんの所属するバレー部は県内でも有数の強豪である。今年は珍しくインターハイを逃してしまったそうで、校内をざわつかせていたのは記憶に新しい。

 そんな月浦さんは、誰に対しても分け隔てなく気さくな人だ。それ故に友人も多い──幸運なことに、一年生の頃のクラスメートだったこともあってか、荒鷹さんとも仲が良い。彼女の居場所も知っているかもしれない。


「そうだ、月浦さん。荒鷹さんってどこにいるかわかる?」

「千代子? どしたの、急に」

「荒鷹さんを待ってるって人が校門のところで待ってるんだ。校内には入れないから僕が呼んでこようかと……あ、一応知ってる人だから大丈夫、だと思う」

「千代子ならそのうち出てくると思うけど……え、千代子を待ってる? あたしの知ってる奴?」

「辰ヶ杜高校の真金埼律貫君。剣道部だから、何回か顔合わせたことがあってさ。県内じゃ指折りの選手だよ。荒鷹さんの幼馴染みらしいよ」

「真金埼……律貫……」


 僕の告げた名前を反芻し、月浦さんは険しい顔をする。

 たしかに、見ず知らずの他校生がいきなり現れて、しかも友人を待っているのだと言われたら、心配にもなるだろう。僕も、相手が真金埼君じゃなければ同じ反応をしていたと思う。

 クラスや委員会が同じというだけでフレンドリーに接してくれる月浦さんのことだ。特に親しい友人のことは、より一層大事にしているんだろう。やっぱりいい人なんだな、と僕はしみじみ実感する。


「ごめん、その真金埼って奴は知らないんだけどさ、ちょっと不安だから先に見に行くよ。千代子に何かあったら嫌だし」

「え、でも月浦さん、これから部活あるんじゃないの?」

「遅れるとは伝えてるから大丈夫。うちの可愛い千代子に手ェ出そうって野郎がいるんならよ、一遍その面拝んでやんねえとなあ……」

「月浦さん?」

「そういう訳で、大丈夫そうだったら千代子に連絡するから! 校門前だったよね? ちょっと見てくる!」

「月浦さん⁉」


 なんか一瞬柄悪くなかった? と指摘する間もなく、彼女は駆け出している。さすが運動部、しかも僕とは比べものにならないエース、足が速い。陸上部にいてもおかしくないんじゃないかとさえ思う。

 彼女を追いかけて、再び外に出る。荒鷹さんを呼びに行くはずだったけど、この状況で本人まで交えたらややこしいことになると思ってやめた。


「わ、あれって女バレの月浦ちゃんじゃん! なになに、あの子もまさか真金埼君の知り合いだったりして!」

「あ? 誰ですかあの女」


 昇降口の柱の影では、相変わらず高森と鈎取先輩が、隠れているとは言い難い声量でわいわいやっている。鈎取先輩はまあ良いとして、なんで高森は我が校の選手を知らないんだよ。あの人中学時代からめちゃくちゃ有名だぞ。

 その有名人こと月浦さんは、夏の青臭い風に髪の毛を靡かせながら、淀みない足取りで真金埼君へと近付いていく。真金埼君はぱっと顔を上げたけど、お目当ての人物じゃなかったからだろうか。何度か瞬きをして、不思議そうに月浦さんを見た。


「はじめまして! 千代子の知り合いなんだって?」


 月浦さんの声は朗らかだ。けど目が笑ってない。全体的な表情は完璧な笑顔なのに、両目が据わりまくっている。怖い。

 しかし真金埼君は動じない。こてん、とあどけない仕草で首をかしげると、さも当たり前だと言わんばかりにうなずく。


「ああ。知り合いではなく幼馴染みだ。ところでお前は誰だ?」

「あたしは月浦鼎っていいまーす。千代子とは超仲良くやらせてもらってるよ。で、その幼馴染みクンが千代子に何の用?」

「会いたくなったので来た」

「げっほ」


 柱の後ろで高森がせている。気持ちはわからなくもない。

 真金埼君は寡黙──というより、必要以上の言葉を用いないタイプなんだろう。おかげさまで前述の発言が飛び出した訳だが──うん、二人の関係性を知らない僕にもわかる。これは多大な誤解を生みかねない。

 案の定、月浦さんは呆気に取られていた。機械で言うところのフリーズ。硬直した表情の中で、唇の端だけがぴくぴくと痙攣している。


「会いたくなったから来た……って、これまではそんなこと一度もなかったじゃねえか……。こほん、どうして今になって突然? 千代子に連絡は取ってるの?」


 未だ衝撃を隠しきれないといった様子ながら、月浦さんはどうにか平静を保ち続けることに成功した。後半の言葉尻は穏やかだけど、表情は取り繕えていない。西日を受けて顔の半分が黒く陰っている。本当に申し訳ないけれど、ホラー映画顔負けの威圧感だ。

 正直に言って尋問の様相を呈しているとしか思えない状況だが、真金埼君は顔色ひとつ変えなかった。今にも臨戦態勢に入りそう──というかもう半分くらい入っている──月浦さんには目もくれず、何事もなかったかのように僕へと向き直る。気まずい。


「八乙女、千代子はいなかったか」

「あー……じきに来るかもしれない、とのことです……」

「彼女は?」

「バレー部の月浦さんです。荒鷹さんのご友人だそうで……」

「なるほど。千代子が世話になっている。事前の連絡はしていない。何故なら個人的な電話番号を知らないからだ。欲を言えば、これから聞き出したい」

「おい八乙女、全然大丈夫じゃねえだろうが! なんだこいつ!」

「真金埼さんをこいつ呼ばわりすんじゃねえ!」


 真金埼君のあけすけな物言いに我慢ならなかったのだろう、ついに月浦さんが吠えた。そして推しのこいつ呼ばわりで沸点に達してしまったらしい高森も飛び出してきた。すごい、三つ巴の戦いって現実で見られるんだ。

 さすがの鈎取先輩もこの光景は珍しいと思ったのか、ちゃっかりビデオカメラを構えている。あなたは止めに入った方が良いと思う。


「良いか報連相のできない奴はろくでもねえって相場が決まってんだよ! 第一アポも取らずに学校まで押しかけるとかどういう神経してんだ⁉ ところで君は誰⁉」

「一年四組出席番号二十八番、高森伊泉です! あんたこそどういう神経してんですか! 天下の真金埼さんが事前連絡を省いてまで駆け付けるってことは、相当な緊急事態だろ⁉ 邪魔者は引っ込んでろよ!」

「高森、落ち着いて、」

「あ⁉ んだとクソガキ……口の利き方がなってねえなあ!」

「月浦さんも抑えて、」

「高森……というと、この前の練習試合で次鋒を務めていた者か?」

「えっあっ、はひ……」

「ちょっと、大丈夫なの高森クン⁉ 急に崩れ落ちちゃったんだけど⁉」

「月浦さんのオンオフどうなってるの⁉」


 口論が続くと思いきや真金埼君の一言で陥落した高森、今にも高森と舌戦を繰り広げそうだったのにすぐさま通常モードに切り替わってその場に崩れ落ちた彼を支える月浦さん、カメラを回し続ける鈎取先輩、そして事の成り行きを全く把握していないと思われる真金埼君。

 もうこのままじゃ収拾が付かない。今日はオフだしこのまま帰っても問題はないのだが、この惨状を放置して帰宅するのはさすがに人でなしがすぎる。

 まずは高森を介抱すべきか、真金埼君に事情を問い質すか、はたまた鈎取先輩にカメラを止めてもらうよう促すか……何が最善かわからずその場に立ち尽くすしかない僕の耳に、この場の誰のものでもない声が入る。


「えっと……鼎ちゃんに、真金埼君……?」


 はっと真金埼君が目を瞠る。一歩踏み出そうとして、校内に入ってはいけないことを思い出したのか、彼は『休め』の姿勢になることで足の行き場を与えた。見事な仁王立ちだ。

 振り返った先にいたのは、一人の女子生徒。重たそうな黒髪は半端な長さだからか、ウルフカットのような伸び方をしている。制服は着崩しておらず、黒縁の眼鏡も相まって真面目な印象を与える。もともと小柄なのだろうが、男子と高身長の女子が集まっているこの場では一等小さく、頑是なく見えた。

 彼女の顔を、僕は知っている。まさかここで鉢合わせるなんて──運が良いのか悪いのかわからない。


「千代子」


 真金埼君が名前を呼ぶ。低く落ち着いたバリトンは変わらないが、僕や月浦さんに応対する時とは明らかに声色が違う──僅かながら、語気が弾んでいるように聞こえた。

 荒鷹千代子。今この場で起こっている騒動の、台風の目とも言える存在がやって来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る