第3話 飛ぶ/鈎取さんは待ったをかける

 図書室の窓からは校門が見える。今の時間だと、部活のない生徒が帰宅しているところだろう。

 今日、あたしの所属する新聞部はオフだ。本来なら自由な放課後を謳歌──するはずなのだけれど、生憎図書委員の当番が入ってしまった。昼休みならともかく、放課後に図書室を利用する生徒は少ない。自習するにしたって、わざわざ図書室に来ずとも教室でできるから、今月中にテストが迫っているとはいえ本当に誰もいない。いるのはあたしと、同じく当番になっている高森たかもり君という一年生の男の子だけだ。

 誰が来るかわからないから、あたしはカウンターで欠伸をかみ殺している。一年生の高森君はまだ基本的な手続きしかやったことがないし、返却された本の整理をするならあたしより背が高くて力もあるだろう男子に済ませてもらった方が良い。

 高森君は中性的な感じの男の子で、恐らくクール系。無気力、ダウナーという方が適切かもしれない。

 可愛い顔してるけど塩だよね、というのが委員長の高森君評で、あたしもまさにその通りだと思う。必要最低限の会話しかしないし、なんだか常に気だるそう。あたしたちへの態度が悪いってことはないし、ちゃんと警固で礼儀正しく接してはくれるんだけど、どことなくアンニュイなものだから、初めのうちは何か気に障ることしたかな? と心当たりを探すことも多かった。物憂げなのが彼の通常運転とわかってきたのは、つい最近のことである。

 そんな子が相方な訳だから、当番をしている間に無駄な会話は一切ない。業務的な話だって、一言二言で終わってしまうから、放課後の図書室はとんでもなく静かだ。気を抜いたら、そのまま居眠りしてしまいそう。

 先輩として情けない姿を見せる訳にはいかないので、ぐっと伸びをして眠気を誤魔化す。早く終わらないかな、と内心でぼやいていると、カラ、とサッシの擦れる音がした。どこか、開けっぱなしの窓があっただろうか。高森君が締めてくれたのだと思い、あたしはごめんねー、と軽く声をかけようとする。

 高森君が窓枠に片足をかけているのが見えた。


「ちょちょ、ちょっと! 高森君⁉ 何してんの!」


 図書室ではお静かに、という貼り紙をガン無視し、あたしは今にも外に飛び出そうとしている高森君を羽交い締めにする。こんなところで投身自殺でもされたら堪ったものじゃない。

 細身で華奢とはいえ、高森君も男の子だ。手足をじたばたされると、こちらもバランスを取るのが難しい。そのままあたしたちはもつれるように尻餅をついた。図書室の床がカーペットで良かった。


「離してください! 校門に、おれの世界一大切な人がいるんです!」


 普段はぼそぼそ話す高森君だが、この時ばかりは静寂とは程遠い声量で叫ぶ。それだけ必死にさせるものが、窓の外に見えたんだろうか。世界一とか聞こえた気がするので、多分尋常でない感情を向ける相手がいたのだろう。確認し損ねたのであたしには想像するしかできない──今は高森君を止めるのが先決だ。


「だとしても飛び降りるのはまずいって! どうせ誰も来ないだろうしさ、ちゃんと正規ルートで校門まで行きなよ! 死にたいの⁉」

「いけます! 推しのためならおれは飛べます!」

「生身で何言ってんの⁉ とりあえず立って、暴れないで! 階段使って下まで行けば同じなんだから!」


 閉館まではまだ時間があるけど、こうなったら仕方ない。このままでは高森君が校門に向かってダイブしてしまう。良識ある先輩として、安全な方法で高森君を落ち着かせなくてはならない。……決して退屈な当番をブッチしたい訳じゃないよ?

 あたしに止められたことにより、窓から飛び降りるという手段に限界を感じたのだろうか。高森君は立ち上がると、あたしの手を振り払って弾かれたように図書室を飛び出した。

 途中で危険なルートを通られたら大変だ。ちゃっかり扉のフックにCLOSEの紙を引っかけてから、あたしは高森君の後を追う。

 高森君にここまでさせる相手……一体何者なのだろう。まあ彼女辺りが残当なところだけど、あのクールな高森君が正常な判断を失うとは只事じゃない。数ヶ月同じ当番として面倒を見てきたんだから、後輩の命を間接的に奪いかけた人の顔ぐらいは拝んでおかないとね。

 幸い、高森君は最後まで安全なルート──廊下を全力疾走していたことに関しては目を瞑ろう──で校門まで到着した。しかし彼は現場まで近付くことなく、何故か昇降口前の柱から様子を窺っている。新聞部のあたしでも、こんな刑事ドラマじみたシチュエーションに遭遇するのは初だ。


「高森君、一体誰を見付けたの? しかもそんなところに隠れて……もっと近くに行かなくて良いの?」


 さりげなく彼の横に並ぶと、高森君はすかさず口元に人差し指を立てて見せた。静かにしろ、のポーズである。


「あまり騒がないでください……おれの推しが来てるんです」

「推し? 何だか知らないけど、知り合いなら声かけてくれば良いじゃん」

「わかってないですね。おれの人生のてっぺんに燦然と輝く人を前にして、のこのこ丸腰で出て行けると思います? まあ鈎取かぎとりさんには理解できないと思いますけど」

「君、急に口数増えた上に生意気な口利くようになったね」

「推しの前ですからね。本音の一つや二つ出るってもんです」


 推し推しとここまでごり押しされたら気にならないはずもなく、あたしは柱からそっと顔を出して校門の様子を窺う。

 校門の向こう側に、背の高い男の子が立っている。うちの制服じゃないから、他校生だろう。ぴんと伸びた背筋に、遠目からもわかるアスリートじみた体格。のんべんだらりと日々を過ごしている学生ではないと一目で察した。

 そしてその彫刻じみた顔立ちには見覚えがあった。この辺りの学生なら、知っている人も多いだろう。


「あれって真金埼律貫だよね? うちの剣道部に用かな?」

「敬称を付けてください! 二度目はありませんよ」

「怖いよ。いきなり胸ぐら掴まないで」


 突然不良漫画みたいな構図になったあたしと高森君だけど、今は来訪者の方が先決だとお互いに理解している。あたしを横目で睨みつつ、高森君は手を離した。本当にぶん殴られるかと思った。好きって人を狂わせる。

 そんな高森君を狂わせた張本人こと、真金埼律貫に主点を戻そう。彼は県内──いや、全国でも指折りと謳われている。県内で剣道をやっている学生なら、彼の名は嫌という程耳にするのではないか。

 インターハイに進出する運動部も少なくない我が校ではあるが、剣道部はそうでもない。というか、びっくりする程成績が奮わない。真金埼律貫がいなくても変わらないのではないか、と言われるくらい、万年地区大会止まりである。

 うちの剣道部が強豪だったらドラマチックな確執があってもおかしくはないけれど、現実は悲しいことに弱小である。何がどうして校門前まで押しかけることになったのか、野次馬なりに是非とも知りたいところだ。勿論、特ダネとか関係なく。


「あの……真金埼律貫君ですよね。うちに何かご用でしょうか……」


 恐らく何の前触れもなく現れたと思わしき巨大な他校生に、大半の生徒はちらっと視線を向けて通り過ぎるのみだったが、ここで彼に声をかける勇気ある者が現れた。高森君と共に、誰だ誰だと身を乗り出す。


「あ、八乙女やおとめ君じゃん。やっぱ待ち合わせか何かしてたのかな」

「部長が……? おれ、何も聞いてませんけど」


 やって来たのは八乙女やおとめ海紘みひろ君。今月から剣道部の部長を襲名した二年生だ。というか高森君、剣道部だったのか。何となく文化系か、帰宅部かと想像していた。まあ真金埼律貫を推しているなら、剣道をやっていてもおかしくはないか。

 オーバルの銀縁眼鏡をかけた、いかにもおとなしい文学青年っぽい八乙女君は、真金埼律貫という存在そのものに気圧されているらしい。そりゃ無理ないよねと思いつつ、引き続き様子を窺う。


「む、君は八乙女海紘か。地区大会ぶりだな」


 なんと、真金埼律貫は八乙女君の存在を認知していた。しかもフルネームで覚えている。隣で高森君が口元を押さえながらはわわとこぼすのが見えた。自分が認知されたかのような反応だ。


「用という程のことはない。人を待っている」

「はあ、待ち合わせを……」

「そうだ。剣道部の者ではない。幼馴染みだ」

「幼馴染みィ⁉」

「高森君、声でかいって!」


 今にも柱に正拳突きしそうな勢いの高森君を、あたしはどうにか押し止める。八乙女君が不安げに一度こちらを振り返ったけど、多分まだ真金埼律貫にはバレていない。このまま続きを聞き出したいところだ。


「え、ええと、幼馴染みですか」

「ああ。家が斜向かいでな。腐れ縁と言えなくもないが、俺と彼女の関係を自虐したくはない。縁は縁でも良縁だと、俺は思っている」

「彼女……って、エ⁉ 女⁉」

「別にいいじゃん男でも女でも! そんな顔面蒼白になることないでしょ!」

「ま……真金埼さんが、男女交際を……⁉」

「まだわかんないよ! 幼馴染みって言ってたし、普通に仲良しなだけかもしれないでしょ?」

「男女の友情なんて薄っぺらいもの信じられませんよ!」

「暴論だよ!」


 たしかに真金埼律貫の発言の重さからしてただの幼馴染みではないんだろうけど、今はそれよりも高森君の錯乱ぶりを何とかしなくてはならない。今にも死にそうな顔をしたかと思ったら青筋を立ててぶち切れてきた。偶像崇拝って怖いな。あたしは改めて実感した。

 あたしたちのやり取りは絶対に筒抜けだと思うが、触れてこない辺り八乙女君は優しい。今も必死に知らないふりをしながら、真金埼君に応対している。


「そ……そうなんですね。もし良ければ呼んできましょうか。同じクラスの子かもしれないし……途中ですれ違ってたら、その時は僕のことは気にせずに帰ってください」

「しかし、それでは八乙女に迷惑がかかる。今から帰るところだったのだろう」

「これくらい大丈夫ですよ。真金埼君、校内には入れないし……。差し支えなければ、お名前を聞いても良いですか」


 手負いの獣の如く荒い呼吸を繰り返す高森君の背中を撫でつつ、あたしは八乙女君の良い子具合にびっくりしていた。ここまでお人好しだと損ばかりしてそうで心配だ。

 真金埼律貫も、相手の善良さを感じ取ったのだろう。こくりとうなずいて、躊躇いなく口を開く。


「俺の幼馴染みは、荒鷹千代子という。見かけたら、真金埼律貫が来ていると伝えてくれ」

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