第2話 喫茶店/二ノ坂さんは武運を祈る
中学時代の同級生に呼び出された。特に仲が良かった訳でも、三年生の時クラスがいっしょだった訳でも、同じ部活に所属していた訳でもない、ぶっちゃけ三年間の中学生活で関わったことなんてほとんどないに等しい人が、突然──しかも固定電話に──電話をかけてきて、聞きたいことがあるから時間をくれ、場所は任せると言ってきた。それなら電話口で、と提案したが、直接会いたいと言われて、私の困惑はますます深まった。
心当たりはない。それなら行かなければ良いじゃないか、と指摘されたらぐうの音も出ないのだけれど、呼び出した相手が無視して良いような人物とは思えなかったから、私はお互いの家からそれほど離れていない喫茶店を待ち合わせ場所にした。そして、今まさに一年数ヶ月ぶりの対面を果たそうとしている。
相手は先に来ていたみたいだ。私が入店して、ドアに付いているベルがカランカランと鳴った瞬間に振り返ったからすぐにわかった。待ち合わせです、と店員さんに言う前に、ずんずんと淀みない足取りで近付いてくる。
「二ノ
低く落ち着いた声色でフルネームを呼ばれて、私は反射的にうなずいた。間違ってはいない。私は二ノ坂陽葵だ。
私を呼び出した元同級生は、真金埼律貫君という。
彼は一言で言えば有名人だ。何でも、剣道という武道の一分野において、今までに類を見ないレベルの実力者なのだという。全校朝会で表彰があると、真金埼君は必ずと言って良い程ステージに上がっていた。他の皆がペラペラの賞状をもらう中、一人だけごつごつしたトロフィーとか盾をもらって、写真撮影ではその身長の高さもあってかいつもど真ん中だった。だから交流のない私でもよく知っている。
その真金埼君は、どんな理由があって私を呼び出したのだろう。彼は同じ学校の友達を連れてきているようで、席につくとにこっと微笑まれた。茶髪で、アイドルみたいな顔立ちの男の子。真金埼君とは別のベクトルで、私が関わることのない人種だ。
「はじめましてー、今日はうちの真金埼がごめんね。俺、
いかにも真面目で四角四面といった真金埼君に付き合っているのが不思議ではあるけれど、タイプの違う友達がいるのは何らおかしいことではない。私もまた自己紹介し、湯元君に会釈した。こういうキラキラした男の子は眩しくて少し苦手だけど、にこやかに応対してくれている以上失礼な態度は取らないように気を付けたい。
「本題に入ろう」
やって来た店員さんにレモンティーを注文し終わったのを見計らってか、真金埼君が口を開いた。前置きも何もない、直球の言葉だ。真金埼君らしいと思う。
どうして真金埼君は、特に関わりのない私を呼び出したのか。その答えこそが、この『本題』なんだろう。私はおしぼりをぎゅっと握り締め、心して次の言葉を待つ。
「
こちらを真っ直ぐ見つめながら、真金埼君が問いかけてくる。一体どんな質問を、と予想しうる限りの可能性を頭の中で並べていた私は、案の定予想外の角度から投げ掛けられた問いに言葉を失ってしまった。
荒鷹千代子──千代子ちゃんは、中学三年生の頃、同じクラスだった女の子だ。教科係が同じになったのをきっかけに、いっしょに行動することが多かった。部活の友達が皆別のクラスになってしまって、これからどうしようかと悩んでいた私にとっては救世主とも言える人。
千代子ちゃんは、一言で言えばとても親切な人だった。何かと気が利くし、困っている人がいたら、控えめながらも手伝いに行く。掃除や係の活動をサボっているところなんて、一度も見たことがない。きっと真面目で、きっちりした人なんだと思う。
別の高校に進学したこともあってか、千代子ちゃんとの交流はめっきり途絶えてしまった。思えば、千代子ちゃんは親切で優しかったけど、私に対してうっすらと壁があったように思う。必要以上に私のことを詮索しないし、それ以上に自分のことも語らない。うちの中学からはあまり進学者のいない高校に行ったから、あれから千代子ちゃんがどうしているかもわからない。真金埼君に呼び出されなければ、千代子ちゃんを思い出すこともなかっただろう。
「ごめんなさい。卒業してから、関わることもなくなって……。個人的な連絡先とか、全然わからないんです」
申し訳ないけれど、嘘を吐く訳にもいかない。正直に謝罪すると、真金埼君はそうか、と短く相槌を打つ。ポーカーフェイスは変わらないけど、眉尻が少し下がったところを見るに、私の答えを受けて落胆しているのだろう。ますます罪悪感が募る。
「二ノ坂さんが謝ることじゃねーだろ。幼馴染みのお前がわかんないんじゃ、他の同級生だって知らなくて当然だ。つか、千代子ちゃんの交友関係を把握してないお前が問題なんだからな」
非常に気まずい雰囲気の中、フォローを入れてくれたのは湯元君だった。友達相手だと、素が出るんだろうか。私に自己紹介した時よりも、口調が荒い。
真金埼君は、ん、と低くうなずくと、汗をかいているグラスを掴んでお冷やを呷った。ここで私の頼んだレモンティーも運ばれてきたので、気持ちを一段落させるためにも一口いただくことにする。
「そ、それにしても……真金埼君と千代子ちゃんって、幼馴染みなんですか? 初耳です」
少し緩んだ空気を信じ、私は思いきって切り出す。
私は千代子ちゃんの交友関係をほとんど知らない。私以外のクラスメートと親しげに話している様子はなかったし、一人で勉強しているか本を読んでいる姿が多かったから、群れるのがあまり好きじゃないんだと思って聞かなかった。何より、千代子ちゃんがそういう話を全くしなかったから、自分から聞き出さなければ知る機会はなかったのだ。
私の質問に、真金埼君は力強くうなずいた。先程のしょんぼりした空気はどこへやら、目の前には私のよく知る堂々とした真金埼君が戻っている。
「君が言った通り、俺と千代子は幼馴染みだ。家が斜向かいの位置にある」
「ご近所さんなんですね」
「そうそう、そのくせ連絡先も何も知らないんだよこいつ。で、疎遠になって冷え切った今の関係性を改善したいってんで、心当たりのありそうな人に千代子ちゃんの現状について聞いて回ってるんだけど……家がすぐそこにあるこいつでさえ知らないことが、中学がいっしょだったってだけの人にわかるかって話。二ノ坂さんが責任感じる必要は全然ないから安心してね。これまで五人くらい当たったけど、ずっと収穫なしだから」
真金埼君が何か言う前に、湯元君が洗いざらい説明してくれた。私はそこまで追及するつもりはなかったのだけど……聞いてしまったからにはなかったことにもできない。
母校のスター的な存在である真金埼君と千代子ちゃんに繋がりがあって、その上真金埼君の方から接触を試みようとしているなんて、なんだか夢みたいな話だ。私という人間は完全に部外者というか、共通の知人ですらないのだけど、ちょっとした事件に巻き込まれているようで──良い意味で──ドキドキしてしまう。
「つー訳でだよ、真金埼。千代子ちゃんと同じ部活だった奴と、中三の時一番仲良かったっぽい子を当たったけど、これからどうすんの? これまでの全滅っぷりからして、何度やったって同じだと思うんですけど。最悪、変に千代子ちゃんをつけ回してるって噂が立ちかねないぜ?」
シャインマスカットのゼリーをもぐもぐやりながら、さらに湯元君が追い討ちをかける。これでは追い討ちというより止めだ。役に立てなかった身の私は、知らないふりをしながらレモンティーの味に思いを馳せるしかない。
結構な毒舌家らしい友人の意見を受けた真金埼君はというと、妙に落ち着き払った顔で空になったグラスを置いた。この人何も注文してないんだ、と今になって気付く。せっかくの喫茶店なのに、もったいない。
「……わかっている。これ以上かつての同級生に聞き込んだところで、千代子との関わりは薄くなるばかり……この辺りで見切りを付けねばならん」
「おっ、ということはついに直談判か?」
「ああ……千代子には悪いが、致し方ない」
真金埼君の強い眼差しは、正面に座る私が受け止めるにはあまりにも凜々しすぎた。決意と覚悟、そして千代子ちゃんへの並々ならぬ思いが詰まっているのだろう。まるで天下分け目の戦に臨むかのような覇気に、私だけでなく隣にいる湯元君でさえも身を縮こめる。
直談判……ということは、千代子ちゃんの家に突撃するんだろうか。真金埼君らしい──というのは偏見がすぎるかもしれないが、きっと彼なら何事にも真っ直ぐ挑むんだろう。
私は改めて、真金埼君に視線を戻す。ほぼ部外者ではあるけれど、呼び出された以上、彼の行く末は見守らなければという使命感に駆られた。情報提供では役に立てなかったから、せめて真金埼君を応援するくらいはさせて欲しい。
「すぐに向かうぞ──千代子の通う高校へ」
「おう、こうなったら千代子ちゃん
湯元君も私と同じように、家へ向かうものかと思っていたらしい。意気込んだ様子を見せるも、真金埼君の発言に虚を突かれていた。
「湯元、お前には言っていたはずだ。千代子はいつ帰ってくるかわからない上に、帰宅が深夜になることもあるという……親御さんも心配していた。ならば、校門前で千代子を待ち、安全に自宅まで送り届ける中で話をつけた方が効率的ではないのか」
呆気に取られる私たちに、真金埼君は平然と告げる。私としては、あの真面目で非行とは縁のなさそうな千代子ちゃんが夜中まで帰らない──夜遊びしているかもしれないという事実だけでもお腹いっぱいだったのだが、湯元君は別の箇所を気にしているらしく、一気に焦り顔になった。
「おいおい正気かよ真金埼、千代子ちゃんが通ってるのってここらでも有名な名門校だろ? 騒ぎになったらどうするんだよ」
「問題ない。校内に入るつもりはないからな。待ち合わせをしている他校生なら珍しくはあるまい……千代子に拒否されたらそれまでだ。何を恐れることがある」
「いや、お前くらいの奴になったらいるだけでとにかく目立つんだよ! つか、部活はどーすんだよ。今日はたまたま照明の点検があったけどさ、お前インターハイ行くだろ? 練習詰まってるんじゃねえの? まさか俺だけで行けとか言わないよな?」
「まさか。俺が行かずして誰が行く。一日部活を休んだ程度で、俺の腕が鈍るとでも?」
横目で睨まれた湯元君は、ごにょごにょ言いながらも結局言葉にはせず、最終的にゼリーを口に運んだ。何も言い返せないようだった。
完全に置いてけぼりの私ではあるけれど──いや、置いてけぼりで逆に良かったかもしれない。
真金埼君は本気だ。この短い時間でそうとわかる程の気迫が、彼の全身から漂っている。千代子ちゃんに拒まれようものなら、その場で切腹でもしそうな覚悟が、引き締まった表情から見て取れる。
二十一世紀にもなって場違いだとは思うけど、私は武運を祈らずにはいられない。真金埼君ではなくて、彼をここまで思わせるに至った、千代子ちゃんの武運を。
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