すったもんだ顛末記、あるいは真金埼君を巡る群像の寄せ集め

硯哀爾

第1話 夕涼み/湯元君は悪乗りする


「一生をかけて幸せにしたい相手がいる」


 シチュエーションは放課後、高校に一番近い踏切の向かいにある昔ながらの駄菓子屋の、二人座ると露骨にギシギシ言い出す不穏なベンチ。

 俺は一本五十円という、このご時世にその値段はヤケクソとしか思えないアイスキャンディーを食っている。安っぽいぶどう味に舌鼓を打ちながら、たまたま部活がオフだったのでいっしょに帰りたいと抜かしてきたクラスメートと夕涼みがてら雑談していたはずだった。

 ……が、つい今しがた爆弾発言が飛び出した。高校二年生の口から出るとは思えない、プロポーズじみた文言が。


真金埼まがねざき……お前今なんつった……?」


 俺の傍らに座るクラスメートは真金埼まがねざき律貫ただつらという。一学期のクラス替えで席が隣同士になり、そのよしみで何かと行動を共にすることが多くなった。こいつは小学生の頃から数々の大会で勝利をもぎ取り、同年代の選手の心に爪痕を残し続けながら生きてきたいわゆる天才肌で、うちの剣道部が強豪と呼ばれる所以のひとつでもある。真金埼が入学してから、十数年前からいつも東北大会止まりだった剣道部はインターハイまで勝ち進むようになった。真金埼だけが強いって訳じゃないんだろうが、数多の優秀な選手を霞ませる程度には突出しているんだろう。

 そんな真金埼の性格は寡黙、堅物、朴念仁。愛想なんてクソ程もなくて、本人いわく怒ってはいないそうだが常にしかめっ面としか思えない無表情。口数も少ないし同年代の学生が好むようなエンターテイメントへの興味も皆無で剣道と自己研鑽一筋のストイック野郎だし、ついでに強面で筋肉質の高身長、アスリート顔負けの容姿の持ち主なもんだから、近寄りがたさは半端ない。加えて浮世離れしたところもあって、たまに突拍子もないことを平然と言い放つものだから、俺みたいな一般人は振り回されてばかりだ。

 まあこいつの性分というか特性は一ヶ月も付き合っていれば大体わかるようなものだし、時々人の心の機微をガン無視する発言もかます訳だけども、悪い奴じゃないことは確かだ。むしろ二十一世紀にここまで武士じみた奴はそうそういないと思うので、俺は楽しませてもらっている。なんつーか、異文化交流みたいな感じで、蚊帳の外から鑑賞する、的な。こいつの思考回路を理解することはできても共感なんてできっこないから、一線を引いて楽しむのが一番──一種の諦めを前提に接していれば適度に非日常を体験できる。少なくとも、俺はそれが最善だと考えていた。ついさっきまでは。

 だが、どういった訳か真金埼は人の心があるような発言を、あろうことか傍聴者が俺だけの状況で繰り出した。他人のことなんて意に介することもなく、ただひたすら己が正しいと決めた道を全速前進している男が。

 何かの間違いかと思った。だから聞き返してみた。次の瞬間には、いつものように俺のような一般人には思い至ることもないぶっ飛んだ答えがやって来るのだと信じて。


「一生をかけて幸せにしたい相手がいると言った。俺の幼馴染みだ」


 しかし、真金埼は目を逸らさずにそう言い切った。一切の迷いがない、見慣れた真金埼律貫の姿だった。

 うっそだろ、と言葉が漏れる。ほとんど息みたいな声量だったけど、真金埼は聞き逃さなかったのだろう。嘘ではない、とすかさず反論が返ってきた。いつだって馬鹿正直なこいつのことだから、わざわざ嘘を吐く方が異常事態だ。つまり今の真金埼は正気なんだろう。発言意外に普段と違うところがあるとすれば、そろそろカットに行く頃合いの、奴にしては長めの前髪くらいしかない。

 どういう話の流れでこの爆弾発言が飛び出したかはすっかり忘れてしまったが、聞いてしまったからには今更なかったことにできない。俺は溶けかけていたアイスキャンディーを急いでかじってから、真金埼に向き直る。


「一生って、随分でかく出たな。何がどうしてそうなったんだよ」

「昨日、久々に千代子ちよこ──幼馴染みと顔を合わせた。言葉はほとんど交わさなかったが……顔を見たらいてもたってもいられなくなった──幸せになって欲しいと」

「そうまで言わせるって相当だな。この世の不幸を一身に背負ってんの、その千代子ちゃんとやらは」

「……湯元ゆもと


 自分から幼馴染みこと千代子ちゃんの名前を出したくせに、俺がその名を呼んだ瞬間に真金埼は凜々しい眉毛を寄せた。む、とか、んぐ、みたいな音で低く唸る。

 滅多に表情を変えない真金埼に、名前ひとつでここまでの変化をもたらすってことは、それだけ本気ってことだろう。これはなかなか面白いものが見られるかもしれない。


「まあまあ、わかりやすく呼称する以外の理由はないから、名前呼びくらいは許してくれよ。で、その千代子ちゃんはどういう感じなんだよ。幸せにしたいって、そりゃもう幼馴染みも恋人も超えて夫婦になる奴の発言だろ」

「交際を目的としている訳ではない。……が、それを抜きにしても千代子は生きづらそうにしているから、俺はその苦しみを取り除いてやりたい。昔からずっとだ。いつもどこか息苦しげで、しかし他人にそれを吐露することはない。幼馴染みである俺のことさえ、自分から頼ろうとはしない……家が斜向かいで、こちらはいつでも声をかけてくれて構わないというのに。お互いの生活が変わったこともあってか、中学生の頃から段々と疎遠になってしまった。俺はそれをどうにかしたかったが……機を逃してばかりだ。願わくば、もう一度……昔のようにとはゆかずとも、親しい関係を取り戻したい。千代子が心穏やかに過ごせるなら、彼女が誰と付き合おうとも俺は受け入れようと思う」


 唐突に真金埼の口数が増えた。普段は言葉を一つ一つぱきっと句切るような喋り方をするのに、千代子ちゃんの話に入った瞬間から急に語彙が豊かになった気がする。これはますます愉快なものが見られそうだ。


「お前さ、家が斜向かいって言ったよな。そんな近所なのに、顔を合わせたのは久々ってなんかおかしくね? お互い生活があるとはいえ、そこまで会わないなんてことないだろ」

「千代子は違う高校に通っている。それに……高校に入ってから、帰宅が遅いらしい。俺も部活で遅くなることはあるが、千代子の場合は深夜に帰ってくることも多いそうだ。母親が言っていたので間違いない」

「親御さんとは交流あんのかよ……」


 たしかに真金埼みたいな非行と無縁な奴がいたら、保護者側からの好感度は高そうだが……だからといって勝手に幼馴染みの行方を聞くか、普通? いくらなんでも過保護すぎないか。

 多分、真金埼だけではそのような考えに至らないだろうが──これって千代子ちゃんの素行がどうこう以前に、真金埼が個人的に避けられてるのではないか。

 そう思うと、申し訳ないが笑いがこみ上げてきた。完全無欠、最強と名高いあの真金埼律貫が、幼馴染みの女子に避けられている。しょうもないとわかっていても、高名な論文に誤字を見付けてしまった時みたいに、ひとつの瑕疵だけで高嶺の花に対して一気に親しみやすさを感じてしまう。今まで別世界の住人だと思っていたクラスメートなら尚更だ。

 今月の期末テストで鬱々としていた気分が、急に舞い上がる。悩んでいる真金埼には悪いが、俺は野次馬Aとして日常に彩りを加えさせてもらうとしよう。言うなれば青春チャンスだ。


「じゃあさ、真金埼。まず確かめようぜ。脈があるかないかをな」

「脈? 生きている限りはあるだろう」

「ばーか、そういうんじゃねえよ。要は、千代子ちゃんがお前のことをどう思ってるかだよ。お前自身に自覚がなくても、最悪嫌われてるってのもあり得る。まずは嫌われてないか確かめて、そうでないってわかったら仲良くなれるようアタックしようぜ」

「……嫌われている可能性があるのか……」


 おいおいおい、真金埼が落ち込んでるぞ。何が起ころうとも仏頂面を崩さず、スンッとしているあの真金埼が!

 春の健康診断で百九十センチに届いたという巨体が項垂れている。千代子ちゃんは予想以上の大物だ。笑い出しそうになるのを堪えながら、俺は広い肩に手を添える。


「最初から後ろ向きになるなよ。まだ確定してないだろ。泣くのも笑うのもその後だ」

「泣きはしないが……」

「口答えする元気があるなら結構なこった。よっし、そうと決まれば頑張ろーぜ。千代子ちゃん、幸せにするんだろ?」

「何故お前がそうも乗り気なのか不可解だが……たしかに、行動あるのみだな。必ずや千代子との仲を取り戻してみせる」


 十割悪乗りだよ、とは口が裂けても言えない。しゃんと背筋を伸ばし、凜とした眼差しで夕日を見据える真金埼に、俺は精一杯誠実な笑顔を作ってうなずいた。

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