五
うだるような夏。夏休み。エアコンの聞いた部屋だけれど、飲み残したサイダーがぬるくなる。もう受験が迫って来ていた。
桜は進路を決めただろうか。みんな僕のことを馬鹿だと思ってる。それでもいい。だって僕は実際そうなのだから。
でも、もう大人になる時だから、このままじゃいけないってことくらいは分かる。おタカのことが好きだからっていうのもあるけれど、それだけじゃない。
自室の外の木々の間から、蝉時雨が聞こえる。もう夏は終わる。そうしたら、この三年間も終わるんだ。でも、桜が大切にしていた、僕達が大切に思ったこの三年間を、もう一度見たくて、僕は受験するんだ。
もう一度、この学校を見るために。おタカが守ってくれた三年間、今度は僕が、僕達みたいな誰かを守りたいから。だから僕は教師になりたい。
「ふう」
そうやって大学受験を決めたけど、今までさぼり過ぎたせいで合格までは程遠い。ついため息が出る。
ノートの紙の上に書き込まれたシャーペンの黒から一時遠のきたくて、少し散歩でもしようかな、と思って外に出る。
外に出ると、僕自身の存在までも溶けて蒸発してしまいそう。透明な水蒸気になってしまいそう。ゆうやけこやけの中を歩いて、蛙の合唱。青い稲が、湖面の波のように風にゆれて、そんな中にいると、なぜだか泣きたくなってくる。
暑すぎて、もう帰ろうかと思ったら、加奈に似た影を見つけた。
「やほ~」
「うわ」
追いかけて行って声をかけると、やっぱり加奈だった。
「あんたどうしたの。こんなところで」
こんなところ。それはここが墓地だから。でも墓地だけじゃない。隣には公園がある。僕は公園で蝉の声を聞いていたかったんだ。
「蝉の観察してた~」
「なにそれ」
「まあ、言葉通りだよ~」
「それより」と私は加奈の手を握ると、「暑いからくっつくなよ」と言われる。
「加奈は何してたの~?」
そう言ったら、彼女は少しためらってから「散歩」と言う。
「奇遇だね~。僕も散歩してた~」
「一緒に歩こうよ~」って言ったけれど、加奈はあんまり乗り気じゃないみたいだった。
「ほんとはなにか別の用事~?」
そう言ったら図星だったみたい。
「お墓参り」
「そっか~。お盆だもんね~」
「じゃあ僕も行くよ~」と言ってみる。加奈が園芸部に入った理由、僕には何となく分かるから。おタカが前言ってた。園芸部には少し前、死んでしまった先輩が居るって。たぶんその先輩のお墓参りなのだと、思った。
「彩には関係ねえよ」
そう言われてしまったけれど、関係は大ありなんだ。
「あるよ~」
「なんで?」
「先輩のお墓参りでしょ~?」
そう言ったら、加奈は驚いた顔をする。おタカが言ってた。先輩も薄荷パイプと紅茶吸ってたって。だから加奈のいつもの行動が、「先輩」に由来することくらい分かる。
「誰から聞いたの?」
加奈の目つきが鋭くなる。できるだけ穏やかに、馬鹿は馬鹿らしく、ふわふわと、おタカに聞いたことを言う。
「そうか」
「そうだよ~」
「だから」と僕は加奈の手を握る。
「一緒に行こうよ~」
あったかい。熱いくらいあったかい。加奈の手と、僕の手がお互いを握り合って、汗ばむ。でもそれは、僕らの生きた証なんだ。たぶん加奈も、それは分かってる。
桜が拒絶されたって泣いていた時、僕は思ったんだ。加奈は分かってて強がったんだって。
「分かったよ」
「やた~」
そうして僕達は、「先輩」のお墓に歩いて行く。東の果ては黒い宇宙に沈み始めて、金星が光ってる。
なんで桜を拒絶したのか。なんで先輩が好きだったのか。僕には分からない。でも、分からないからこそ、今は話すべきじゃないなって、思う。
「聞かないんだ?」
加奈はそれを不思議そうにする。
「聞いて欲しいの~?」
「いや……」
そう言ってから、「本当は聞いて欲しいのかもな」と加奈は言う。
「いいよ~。無理しないで~」
「いや。言いたいんだよ。わたしが」
「桜には言えなかったけど」と、言って、お墓の前で加奈は話し始める。
「先輩と過ごした日々は、わたしには何にも変えられないものだった。金木犀の香りを吸い込みながら紅茶を吸った日。世界が怖いって言ったわたしに、『きみはまだ他者を愛することを知らないだけだよ』って話しをしてくれた日。それでも世界に耐えられなくて、『二人で死のうね』って約束した日。全部が詩情に満ちていて、私は物語の主人公で居られた。美しくなければ、生きて行けないから」
「だから」と言う彼女の目は潤んでいた。
「だから、醜く生きるくらいなら、死んでしまいたいんだ。死ぬことによって、もう一度美しく産まれ直せる。そう、思ったんだ」
そうやって泣く彼女の頭を、僕は撫でてやる。
「大丈夫。僕にも分かる、なんて言わない。でもね、話してくれてありがと」
僕はこんなにも無力だ。こんなにも悲しそうに泣いている友達の涙さえ止めてあげることができないんだから。
それでも、僕は守ろうと思ったんだ。
「僕ね、大学受験するんだよ」
「知ってる」
「唐突だな」って言う加奈に、僕は何ができるだろうか。そう思ったけれど、それでも言わなくちゃいけないんだ。
「今現国の勉強してるんだけどね」
「ああ」
「『さよならだけが人生ならばまた来る春はなんだろう。はるかなるかな地の果てに咲いてる花はなんだろう』」
本で読んだ科白を言ってみる。たぶん加奈なら分かると思って。
「寺山修司か」
「うん~」
「それ、何だっけ?」
「『花に嵐のたとえもあるささよならだけが人生だ』に対する答え」
それだけで、加奈は分かった顔をする。
「『書を捨てよ町へ出よう』」
「うん~」
僕達は名も無い花だ。時には散ってしまうかもしれない。でも、花が散ってしまった後にも、また花は咲くんだ。
「ペシミズムの行きつく先が自殺ならば、自殺にさえ失望してみせよ」
「それは誰の言葉~?」
「先輩の言葉」
「いいね、それ~」
「ああ」
そうして僕達はお墓に線香とお花を手向けて墓地を後にする。もうすぐ八月は終わって、金木犀が咲く。空にまたたき始めた星々は、誰かの墓標なんだと誰かが言った。それが追憶なのだとしたら、金木犀のかおりは、僕らだけの祈りの場所なんだ。
「そう言えば」と加奈が言う。
「トリカブトが咲いてる頃だな」
「そうだね~」
「桜に、謝らないとな」
「そうだよ~」
蝉の鳴き声が聞こえなくなって、気温が下がる。代わりに草むらから虫の声が聞こえる。死にゆく夏への祈りのように。これから去って行く夏への追悼のように。
僕らはまた、同じ場所に戻れる。つかの間でも、この場所は僕が、いや、みんなで守るんだ。そう決める。
「勉強頑張らないとね~」
「そうだよ」
そうして僕と加奈は、夜のおなかに飲み込まれてしまう前の、つかの間の夕暮れの中を歩いた。
「ごめん」
夏休みが終わる少し前、みんなで植物に水をあげに行った時、加奈が桜に謝って、「少しづつ話すから」ということで、僕ら、また日常に戻って来れた。
桜も安心していた。
「ねえ」
「なに~?」
「あんた加奈をどうやって説得したの?」
「秘密~」と言っておくと、不機嫌そうな顔をするから、「実はね~」って教えてあげる。
「私、彩のこと見くびってた」
「僕は馬鹿だけど、ちゃんと考えないととは思ってるからね~」
そうしたら、今度は桜が「ごめん」と謝ってくるから僕は戸惑う。
「彩のこと、見くびってたどころじゃない。内心馬鹿にしてた。恋愛馬鹿だって。でも違う。私なんかよりみんなのこと考えてくれてる。私の方が馬鹿だった」
「許してあげな~い」
そう言ったら桜は悲しそうな顔をするから、「じゃあねえ~」と譲歩案を出して上げる。
「一緒に勉強しようよ~」
そうしたら、「する!」と泣きそうな顔をする。「表情忙しいよ~」って僕が笑うと桜も笑う。
帰り道、みんなでファミレスに寄る。アイスを食べて、少し勉強をして。加奈も参加してくれていて、前より笑った顔が素敵に見えた。
「それじゃあみなさん、ご卒業おめでとうございます」
部室に集まると、おタカがそう言って桜の苗を取り出す。一通りおタカの話しが終わってから、桜の苗を持って校庭へ行く。
彩は東京の大学に合格して、加奈は専門学校。私は農大を希望しタカれど、落ちてしまった。何とか就職活動をして、隣町の花の農園に就職できた。
桜の苗を植えるのに、シャベルとスコップを使って、「シャベルとスコップって、どっちがどっち?」なんて会話で笑う。
全部終わって、「部室で写真とろうよ~」って彩。
「その前に桜の前でも撮らないと」
「そうだった~」
「慌てすぎだろ」
そんな日常も、これで最後なんだ、と改めて思う。
「それじゃあ僕はカメラを持ってきますね。現像できたら送りますから」
おタカが職員室へ行く。舞い散る桜の花びらに、「春は嫌いだ」と加奈。
「え~、そうなの~?」
「泣きたくなるから。それでも、何でだろうな、この嫌いになりきれない淡い熱よ」
「そうだね~」
「うん」
そんな会話をして、私達の三年間は終わろうとしていた。この三年間、特に最後の一年、色々あった。それでも、加奈が言ったように、嫌いになれない三年間。
この三年間を抱いて、私は生きて行く。そう、思った。
了
桜と追憶 笹十三詩情 @satomi-shijo
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