十八、嵐を紡ぐ

「私にあなたを『殺せ』って言うの?」

「……違う、停止しろと命令してほしいだけだ」

「同じことでしょ」


 鼻の奥がツンと痛む。

 やっと目が覚めた彼と話をすることが出来たと思えば、停止を命じてほしいと迫られるとは夢にも思っていなかった。

 怒りと悲しみが綯い混ぜになって、胸の中がドス黒い感情でぐちゃぐちゃになる。


「頼む、ミア」


 一緒に選んだラベンダーの魔水晶が、ミアの目を真っ直ぐに射抜く。

 頼む、と、ナハトはもう一度残酷な願いを告げた。


「もう二度と、マスターを失いたくないんだ」

「なに、を」

「気付いていたんだろう? 俺がかつてマスター・アウロラを守れなかったことに」


 その言葉に、ミアの身体が硬直する。


「君とアウロラ様は、びっくりするほどよく似ている」

「…………っ」

「だからこそ、分かるはずだ。俺が何をしようとしているのか」

「……分かる、分かるよ。だから、余計に嫌なの!!」


 どうして分かってくれないの。

 どうして、命じてくれないんだ。


 二人は互いを見つめたまま、動きを止めた。

 その隙を、リヒトが捉える。


「私を無視するなああ!!」


 ミアを狙った剣は、然して彼女に届くことはなかった。

 ナハトが身を挺して――自身の右腕を犠牲に、それを防いだのである。


「ナハトくん!!」

「……お願いだ、ミア。俺が彼女を抑えることが出来ているうちに、」

「やだよ! 私、まだ君と、」


 一緒にいたい、と続けるはずだった声は、ナハトの唇に吸い込まれていった。

 魔力供給でもなんでもない。

 ただ、唇同士を合わせた――キスに、ミアの目が見開かれる。


「……今度こそ、俺に守らせてくれ」


 何を、とは怖くて、聞けなかった。

 それが最後の会話になってしまいそうで。


「ナハトくん」


 ミアが《守護獣》の名前を紡ぐ。

 彼は、嬉しそうに目を細めた。


「だめ、」


 行かないで。


 ミアの声を無視して、ナハトはリヒト《片割れ》の身体を抱えたまま、上昇した。


「ミア!!」


 やれ、と言われている気がした。

 自立演算式の個体が恐ろしいことは、いやでも理解している。

 このまま戦闘を続ければ、やがてリヒトの刃はミアを捉えるだろう。


 出来ない。


 声を出すことをこんなに躊躇したのは初めてだった。


 淡いラベンダー色を宿したナハトの双眸が、ミアを見下ろす。

 ヴァルツの色――私が一番好きな色だ、とミアは奥歯を噛み締めた。


「ヴァルツの名によって、命じる!! ――《停止せよ》!!」


 ミアの言葉こえは魔力を纏っていた。

 言霊魔法が術式となって、二人の《守護獣》を拘束する。


 光の輪に捕まったナハトとリヒトは、互いを見つめたまま、自分たちの行く末を悟った。


「……私を壊すために道連れになるとは、」

「道連れじゃない。初めから、共に逝こうと思っていた」

「夜、」

「ん?」

「今度は、守れたみたいですね」

「……リヒト、お前、」

「少し、疲れました。次に目覚めたときは――」


 リヒトの言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 稼働音が小さくなっていく。

 ナハトもまた、自身の核がゆっくりと出力を落としていることに気付いた。


 霞み始めた視界で、ミアの姿を探す。


 ナハトの好きな《青》が涙を浮かべて、じっとこちらを見つめていた。


「さよなら、ミア。どうか、健やかで、」

「だめ! だめだめだめっ! 目を開けて!! ナハトくん!!」


 浮遊する力も使い果たしたナハトが、リヒトと共に空を滑るように落ちていく。

 ミアが腕を広げて、彼らを抱き止めた。


「――戦の、ない、時代に、俺たちは必要ない」

「そんなことないっ!」

「だから、泣かないでくれ」


 地面に横たえた彼の身体を強く抱きしめる。

 いやだ、いかないで、と譫言のように繰り返すミアに、ナハトは困ったように眉根を寄せた。


「大丈夫だ、ミア。俺たちが居なくても、君は、」

「大丈夫じゃない!!」


 普段の彼女からは考えもつかないような感情的な叫びに、ナハトだけではなく、世界樹の周囲を守っていた第五小隊の面々も驚きに目を丸くする。


「このまま消えたら、絶対許さないから」

「ミア、」

「君のこと、大っ嫌いになるよ」

「……それは、困ったなあ」

「だから、いかないで。お願い……」

「すまない、マスター」

「ひとりにしないで」


 大海を彷彿とさせる真っ新な、青い瞳が瞬く。

 頬を濡らした雫に、ナハトは最後の力を振り絞って、ミアの手を取った。

 すり、と頬を寄せた彼女の温もりを、記憶に刻みつける。


「いつも、君のそばに」


 そう言って、守護獣は静かな笑みを浮かべた。


 ◇ ◇ ◇


 創世期の遺物――《守護獣》が巻き起こした事件は、僅か二月半という短い期間で幕を下ろした。

 関わった者たちからすれば、濃密で長い二月半であったことは間違いない。

 特に第五小隊の面々は、皆一様に疲れ切った――燃え尽きたような表情で、机に向かい事後処理に勤しんでいた。


 ナハトたちの素体は、今後の研究に役立てるためという建前で回収された。

 現在は、ホロと第三小隊の手によって修復作業が進められている、らしい。

 というのも、あれから一週間経った今、聖騎士団は事後処理と並行して遺跡調査に追われていた。

 またナハトたちのような守護獣が見つかっては敵わないと各国からの要請があり、その中でも王族を攻撃された東の国の圧力は重く、末席に名を連ねる桔梗がうんざりとした顔で「病み上がりに呼び出さないでほしい」と愚痴っていたほどである。


「……そんなに気になるなら、覗いてくればいいじゃないですか」


 執務机に突っ伏したまま微動だにしないミアに、アルフレッドが盛大なため息を漏らす。

 彼もまた、移籍調査から今まさに戻ってきたばかりで、疲労で目の下に立派な隈を拵えていた。

 

「やだよ。中身の詰まってない人形を見に行けっていうの?」

「そんな身も蓋も無い、」

「事実でしょ」


 右腕を斬られたときに剣を伝って同期をしたのか、ミアが停止を命じたときには既に二人の同期は完了しており、稼働停止した彼らの回路は焼き切れ、無惨なものに成り果てていた。

 これではナハトの術式が上手く変換したのかどうかも確認できない。

 ホロとアメリアが悔しそうに顔を歪めていたのを思い出して、ミアの表情が曇る。


「もしかしたら、隊長が起こしにきてくれるのを待っているのかもしれませんよ」


 アルフレッドが苦笑混じりに溢した言葉が、ミアの心に波紋を広げた。

 じろり、と恨みがましく彼を睨めば「こわっ」と毛ほども思っていない呟きを残して、自身の仕事に戻っていく。


「……そんな、」


 まさか、と鼻で笑い飛ばしたミアは、痺れを切らしたシィナが書類を回収に来るまでの間、ぼうっと窓の向こうを見つめていたのだった。


 終業時刻を過ぎても帰る素振りを見せないミアを放って、第五小隊の当直隊員たちが一人、また一人と巡回に出ていく。

 全員が出ていくのを見送ってから、ミアは重い腰を持ち上げた。

 行き先は既に決まっている。


「ネイヴェス先生」


 ノックを二度鳴らすも、中から返事はない。

 無遠慮に扉を押せば、第三小隊の技術室は簡単にミアを招き入れた。

 シアンから直々に《守護獣》の修復作業を命じられた彼が、持ち場を離れるなんて珍しい。


 作業員が一人もいない、静かな部屋にミアの足音がやけに大きく響く。


 部屋の奥、培養液のカプセルが二つ並んでいた。

 暴発を防ぐためか、強固な結界魔法が三重に施されている。

 対を成す翡翠と夕日を宿した二人の姿に、ミアは思わず目を細めた。


「…………何よ。やっぱり、起きないじゃない」


 こんなに近くに居るのに、ナハトはぴくりとも反応を示さない。

 魔力炉が焼け爛れ、核となっていた魔水晶やエルヴィの魔力が枯渇した今、動かないのは当然のことだったが、昼間のアルフレッドの言葉に「もしかして」という淡い期待がミアをこの場に誘った。


「そばにいるって、言ったのに」


 こんな近くに居ても、心は遠い。

 

 カプセル越しに、ナハトの頬へ手を伸ばす。

 悪戯に顔の輪郭を辿れば、あの日最後に交わしたキスが脳裏を過った。


「どうして、あのとき、私にキスしたの」


 魔力欠乏症になったわけでもない、戦闘の真っ只中で交わすには、あまりにも優しい口付けだった。


「意味分かんないよ」


 ねえ、と呼びかけても返ってくる声はない。

 腹立たしさから、八つ当たりするかのように結界魔法を乱暴に解く。


 はらはら、と崩れ落ちていく魔力の残滓を横目に、ミアはカプセルを開いた。


 文字通り人形のように横たわるナハトに、グッと奥歯を噛み締める。


「起きて」


 左腕一本になってしまった、ナハトの手を遠慮なく掴む。

 次いで、祈りを捧げるかのように、ミアはその手の甲に額を預けた。


「お願い。起きて、」


 答えはない。


「起きてよ、ナハトくん」


 ミアの声に、ナハトは動かなかった。

 視界が涙で滲む。

 くそ、と胸の内で毒吐いて、彼の手を振り下ろす。


「馬鹿馬鹿しい、やっぱり来るんじゃなかった」

「……なぜ?」

「なぜって、そんなの――!?」


 聞き覚えのある声に、ミアは口を開いたまま固まった。

 いつの間にか、反対側のカプセルが開き、リヒトが上体を起こしていたのである。


「ど、どうして、あなたが、」

「夜が、私にあなたの魔力を付与した影響でしょうね。あなたの魔力を感知したおかげで、目が覚めました」

「え、」

「彼は、私に術式と魔力炉の情報を同期した所為で、修復に時間がかかっているようです」


 以前までの姿が嘘のように凪いだ表情を見せるリヒトに、ミアは目を白黒させることしかできない。


「どっ、どうすれば、目覚めるの」

「…………野暮なことを聞くんですね」

「?」

「解呪の方法は、いつの時代も一つだけだと思いますよ」


 私はあちらを向いています、と芝居がかった口調で目を覆いながら、リヒトが告げる。

 その言葉に、ミアは「ええっ!?」とほとんど悲鳴に近い叫び声を上げた。


「い、いやいやいや! そんな、まさか、」

「試してみるのも一興では?」

「君、さては面白がってるね??」

「ふふ」

「ちょっと!」

「夜を目覚めさせたくはないのですか」


 ちら、とこちらを振り返った柘榴の瞳に、ミアが言葉を詰まらせた。


「……そんな、こと、」

「あなたの欲しい答えは、夜しか持っていませんよ」


 一体どこから聞かれていたのだろう。

 居心地の悪さに、ミアが顔を曇らせれば、リヒトはまた楽しそうに笑い声を奏でた。


「さ、お早く。ネイヴェスの魔力がこちらに近付いてきています」

「……うそ、」

「戻ってくる前に、済ませた方がいいですよ」

「ちょ、」

「足止めはお任せください」


 ぺたぺたと裸足で部屋を飛び出していったリヒトを咎めるも、彼女は茶目っ気たっぷりな笑顔を残して去ってしまう。


「……もう、どうにでもなれ!」


 色気もムードもあったものではない。

 あの日と同じ、重ねるだけの拙い口付けを交わす。


 ふるり、と夕日色の睫毛が揺れたような気がして、ミアはもう一度強く唇を押し付けた。


「ナハトくん」


 ラベンダーがゆっくりと姿を見せる。

 緩慢な動作で身体を起こし、こちらを見つめるナハトに、ミアは堪らず抱き付いた。


「遅いよ、バカ!!」

「な、え、ど、どうなって、」

「リヒトが君に自分の情報を同期してくれたんだと思う」

「彼女が?」

「うん。新しくエルヴィの魔力で書き換えられた術式をナハトくんに戻して、それで、」

「…………君の魔力を起点にしたんだな」


 二人して、言葉尻が小さくなる。

 先に視線を逸らしたのは、ナハトの方だった。


「あの、ナハトくん」

「……何だ」

「どうして、あのとき私にキスしたの」


 目に見えて固まってしまったナハトに、ミアは「どうして」と追い討ちを掛けた。

 狭いカプセルの中、逃げるように腰を持ち上げたナハトの腕を、ミアが掴む。

 その指先が震えていることに気付いて、ナハトは顔を曇らせる。


「言わなくても分かるだろう」


 あなたは賢いのだから、と苦笑混じりに告げられて、ミアは唇を尖らせた。


「……賢くても疎い事柄くらいあるわ」

「何が何でも俺から言わせるつもりか?」

「ふふっ」

「揶揄わないでくれ、ミア」

「揶揄ってなんかいないわ。お願いしているだけよ」


 柔らかい光を携えた青い双眸に、ナハトが言葉を失う。

「あ」だの「う」だの、母音に似た音を発することしかできなくなったかと思うと、苦虫を噛み潰したかのような表情になって、ミアの頤に手を掛けた。


「……俺からも一つお願いがあるんだが」

「なあに?」

「『大嫌いになる』のを取り消してほしい」

「え――」


 ちゅ、と可愛らしい音が耳朶を打つ。

 眦を赤く染めたナハトの顔がゆっくりと離れていくのを見送ってから、ミアは眩しそうに目を細めた。


「ふふっ、そんなこと気にしてたの」

「するに決まっているだろう。――好きな人に言われた言葉だぞ」


 拗ねたように唇を尖らせるナハトが可愛い。

 ミアは人目が無いのを良いことに、再度彼の胸へ飛び込んだ。


 遠くからホロの悲鳴が響く。

 それに知らないふりを決め込んで、唇を寄せた。

 かさついた薄い唇を軽く食んでから、見せつけるようにゆっくりと顔を離す。


「私も、君が好きだよ」


 ふわり、と微笑んだミアに、ナハトの顔が真っ赤に染まる。

 また不調を来したのかと慌てるミアを力強く抱きしめながら、ナハトは大きなため息を吐き出した。


 焦がれてやまなかったラベンダーの髪に顔を埋める。


「もう二度と離してやれないぞ」


 物騒な言葉に、ミアの目が嬉しそうに歪んだ。


「こっちのセリフよ」


 不遜に笑って見せた魔女の姿に、獣は肩を竦める。

 そんな二人を見守るように、窓の向こうで黄昏に浮かんだ三日月が優しく微笑んでいた。


《完》

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片翼とシャングリラ 神連カズサ @ka3tsu0

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