8-6

「リディ!」

 佑介がリディを抱き締めた。

「ゆうっ」

 煙と炎で、もはや出口がどっちかもわからない。迫りくる熱と息苦しさに、呼吸が乱されてゆく。


「リディ! ごめ、守ってっ、あげられな、ゴホッ」

 抱き締められ、耳元で佑介の声を聞きながら、リディは今までにない不思議な気持ちを抱く。バカな佑介。私と関わったばっかりに……そう思う反面、この人と一緒に死ぬのならそれもありかもしれない、というおかしな安堵感。なにしろ自分は今まで、魔王討伐隊で命を削り戦ってきたのだ。こっちの世界に来てからのような平穏や、誰かに想われることの心地良さなど、知らない。


「ゆう……すけ」

 自らも佑介の背に手を回し、しがみつく。力さえあればこの程度の炎、なんてことなかったんだけどな、と少しばかり悔いも残る。それに、まだヴァルガの人型を見ていないことを思い出す。一度くらい見たかった。っていうかヴァルガはどうしたんだ、という思考ですべてが鮮明になる。

 ありったけの声で、叫ぶ。


「尚登ぉぉ! ヴァルガ様呼んでよぉぉぉ!!」


 リディの叫びに、尚登は唇を噛みしめる。


 自分がしっかりしなければいけないのに。

 誰かの手を煩わせることなく、解決しなければいけないのに。

 あの出来事以降、今までずっとそうしてきたはずなのに、ヴァルガと出会ってからというもの、その力を借りてばかりだった。ひとりで立たなければいけないのに、求めてはいけないのに、傍にいて欲しいと願ってしまう。もう誰とも深い関わりは持つまいと決めていたのに……。自分の中だけに閉じ込めた過去を思い唇を噛む。


「火がっ!」

 マリアが衣装に燃え移った火を手で払う。呼吸もままならず、皆の咳込む声だけが聞こえる。もう、無理だ。そう諦めかけた時、頭の中に声が響いた。


 ──我の名を呼べ!


 尚登がハッとする。

 もう何も考えられなかった。ただ、その声を聴き、心底安心したのだ。生きろ、と言われているように思えて。


「……ヴァルガーーーーッ!」


 叫び、願う。

 それが許されるのならば……。


*****


 ――目の前には、異形の姿をしたがいる。


「……ああ、そうか。ヴァルガなんだね」

 これが本来の姿なのか、と思いこそすれ、恐怖や嫌悪は感じない。見た目など、ただの器だ。


 ──ほぅ、動じないか

 異形のものがそう話し、次には光って人型に変化する。いつもの小さいヴァルガではなく、もっと大きな、大人の姿だ。


 グレーの髪、銀の瞳……。


「なぜもっと早く我を呼ばなかった、ナオト」

 呆れた声で訊ねるヴァルガに、尚登はどう返事をすればいいか、迷う。

「言ったであろう。もう、独りである必要はないのだ」

 全てを知った上でそう言っているのだろうその言葉を聞き、まるで親に叱られた子供のように、尚登は俯いた。だって、と言いそうになり慌てて口をぎゅっと結ぶ。


 自分の力不足で大切な人を亡くしたあの日から、誰にも頼らず、誰とも深い繫がりを持たず生きてきた。なのに、

「……俺、ヴァルガばかりを頼って、自分の力で立てなくなりそうで、」

 神妙な面持ちで目を伏せる。


「――それでよいではないか」


「……え?」

「人は、独りでは生きられぬ」

 銀色の瞳が、尚登をじっと捉える。


「誰かに寄りかかり、時には誰かを助け、そうして関わり合って生きるのだ。我を必要と思うのなら、名を呼べばいい。行きすぎたと感じれば我が突き放してやろう」

「……いつか、いなくなるのに?」

 ああ、そうだ。別れがつらいから、深入りしないようにしていたのだと思い出す。

「別れはどこにでも転がっておる。そんなものに怯える必要はない。──我はナオトを気に入っておるが……ナオトは我が嫌いか?」


 一瞬見せた寂しげな視線を見、尚登はヴァルガの孤独を少しだけ理解した気がする。彼は今まで、どれだけの別れを乗り越えたのだろう。自分が経験した別れなど、きっと比にならないくらいのサヨナラを繰り返してきたはずだ。

 それでも、笑うのだ。こんなにも切なく、優しく。


「――どうしよう。どう足掻いたって、一生君を嫌いになれる気がしない」


「フッ、臭いセリフだな」

 おかしそうに笑うヴァルガに、尚登はそっと触れた。温かい、その心に。


*****


 店はほぼ全焼だった。


「遠鳴君!」

 走り寄ってきた安城に抱き着かれる。泣きじゃくる安城の背に手を回し、

「大丈夫です、生きてます」

 と告げた。

「当然でしょ!」


 疑似家族をやって以来、安城は尚登に対し今までとは違う一面を見せるようになっていた。いかに鈍い尚登でも気付くくらいに、だ。そしてそれは尚登にとって恥ずかしさや面倒臭さではなく、温かさや安心感をもたらすようになってきていた。

 だからといって、お互いの気持ちを正直にぶつけあってはいない。ただ、なんとなく『そうなんだろうな』という思いをお互いが感じ取っているだけだ。

 しかし、


「心配させないでよ!」

 安城は泣きながら尚登の頬を両手で挟み、すすの味がするキスをした。

 初めて、気持ちを態度で示した瞬間である。

 そして尚登も、それに応えるように安城を抱く手に力を籠める。


 その裏では駿河が息子である佑介を抱き締めている。そして佑介は、リディの手をしっかりと握っていた。

 リディもまた、今までとは変わった自分を感じていた。

 追いかけて、思いを押し付けるだけだった自分を振り返る。

 そうだ。こんな風に、誰かに手を握られるのも、悪くない、と。


 ヴァルガのおかげで、全員軽傷で済んだ。マリアの夫だけが、全身に火傷を負っているのだが、ヴァルガによると『死なない程度の拷問』とのこと。魔王、恐るべしである。


 放火と殺人未遂の疑いでマリアの夫は現行犯逮捕された。マリアと西野は手を取り合い、救急車に乗っていく。西野の起こした偽爆弾事件は駿河が上手く対処してくれそうだ。尚登は煤だらけの髪を掻きながら、心が軽くなったように感じていた。


 右手には、金色の腕輪が光っている──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る