8-5

「なんとか中と連絡が取れれば……」


 機動隊を指揮する加藤が腕を組み渋い顔をしているところに、一本の電話が入る。一同に緊張が走った。


「あ、すみません、俺です」

 尚登がポケットから携帯を取り出す。着信は……、

「リディだ!」

「えっ?」

 安城が尚登の携帯に食いつく。

「リディ、って、中の子?」

 加藤も目の色を変えた。


「もしもし、リディどうなってるんだっ?」

『あ、尚登~? どうなってるって聞いてくるってことは、もしかしてもう知ってるってことなの? 早耳だなぁ』

 電話の向こうでけらけら笑っている。

「お前っ、笑い事じゃないだろうがっ!」

 尚登が突っ込むと、急に声を潜める。


『もしかして店の前にいる?』

「ああ、いるよ! 爆弾犯はどうなったんだ! 佑介君はっ」

『ゆうも無事だし、みんな大丈夫。ね、悪いんだけどさ、その場を丸く収めることって、出来ない?』

「はぁぁぁぁ?」

 とんでもないことを言ってくるリディにブチ切れそうになる尚登。

「お前、なに言って、」


『あ、もしもし遠鳴さん。変わりました、佑介です』

 リディから電話を奪い取ったらしき駿河佑介が代わりに話を進める。尚登は、佑介の話を聞き、額に手を置いた。面倒なことになった、としか言えない。

「ああ、わかった、じゃ」

 電話を切り、加藤に向き直る。


「どうなってるっ?」

「すみません、機動隊の皆さんは撤収していただいて問題ないようです」

 尚登の言葉に加藤が首を捻る。

「……それはどういう、」

「どういうことよ、遠鳴君っ?」

 安城も声を上げる。


「爆弾はありません。しかし、犯人はまだ中にいる。俺がこれから中に入ります」

「え?」

「どういうことだっ?」

「えっと……ご指名、ってことですかね?」

 誤魔化し方がわからない尚登である。


「あと、多分この件は都市警察の方で引き継ぐことになります」

 と言うと、タイミングよく加藤の携帯が鳴る。相手は警察庁のお偉いさんである。

「もしもし……、は? それはどういうっ、はい……ええ、はい、わかりました」

 顔を思いっきりしかめ、尚登を睨む。

「何がどうなっているんだ、まったく!」

 不服そうではあるが、上からの命は絶対、というのは同じなのだろう。部下をかき集め、機動隊はその場を去って行った。


「ねぇ、説明してくれない?」

 安城が怒った顔で尚登を見る。

「行けばわかりますよ」

 尚登は肩を竦め、メイド喫茶『ツインテール』へと向かったのだった。


*****


「なにそれっ、信じらんない!」


 怒り狂っているのは安城である。

「そんな男、私がボコボコにしてやるわ!」

 冷静沈着な安城ミサトはどこへやら、マリアの話を聞くや、怒り狂っているのである。


「でも、だからってこの騒ぎは……ねぇ?」

 尚登が窘めると、西野が頭を下げる。

「すみませんでした」

 爆弾は偽物。何事もなくてよかったとはいえ、大騒ぎだ。佑介が父親である駿河セイに連絡し、事件ごと無理やり怪異班で引き取った形である。駿河は、息子のお願いに甘いのだ。


「威力業務妨害。それに人質強要行為もかな。とにかくこれは犯罪なんだからな?」

 強い口調でそう言っておく。落ち込む西野を、マリアが庇った。

「私のせいなんです! 西野さんは私と話をするためにこんなことをっ」

「そうよ尚登! 一番悪いのは旦那でしょ?」

 リディが応戦する。

「それはそうだけどさぁ」


 マリアの夫は執拗にマリアを追い詰め、逃げても逃げても追いかけてくるのだという。何度目かの引っ越しでやっと身を隠すことが出来たものの、離婚の話には全く応じようとしない。そんなマリアの苦労を知った西野は、ずっとマリアを助けてきたのだ。


 もうすぐ駿河が来るだろう。事件のことはすべて駿河に任せてしまえばいい。しかし、この騒ぎが治まったとしてもマリアの離婚が成立するわけではない。厳密には、解決することにはならないのだ。


 安城の携帯が震える。


「班長からよ。そろそろ着くから署に向かう準備してろ、って。遠鳴君、私、車取って来るから班長が来たら降りてきて」

「わかりました」

 安城が店を出る。店内では一時の安堵感を噛み締める面々。


「まだこれから大変かもしれないけどさ、二人で幸せになってよ。ね?」

 リディが二人の手を握り、言った。

「リディ、ありがとう!」

「ありがとうございますっ」

 マリアと西野が互いを見つめ、微笑み合う。リディが嬉しそうに二人を抱き締め、そんな三人を微笑ましく見つめる佑介。


 しかし、均衡は破られる──。


「おいっ」

 背後からの声。てっきり駿河が到着したものと思ったのだが、振り返った先にいたのは見知らぬ男。


「見つけたぞ、絵美里ぃぃ!」

 目を血走らせ叫ぶ男と、その男を見て恐怖に体を震わせるマリア。それだけで、彼が何者なのかがわかる。


「なんでここにっ」

 西野がマリアを背に庇う。


「SNSで爆弾騒ぎが拡散されて、見たらお前が写ってたんだよ絵美里! マリアって名乗ってるんだって? こんなところに隠れていやがったとはなぁ! おい、その男はなんだよっ? 爆弾犯はどうなったんだっ?」

 興奮している男を、尚登が宥めにかかる。

「爆弾はありませんから落ち着いてください」

「なんだてめぇは!」

 尚登を牽制し、睨み付ける。


「絵美里、用があるのはお前だよっ。よくも今まで姿を晦ましてくれたなぁ? ええっ? 早くこっちに来い!」

 詰め寄ろうとするその腕を、尚登が抑える。

「なっ、てめぇ放せ!」

「落ち着けって言ってるだろうが!」

 片手で手帳を見せると、一瞬男が息を呑む。さすがに警察相手に手は出せまい。


「あ、私っ、もうあなたとは一緒にいたくないの! 離婚してくださいっ」

 マリア……木下絵美里が西野の背に半分身を隠しながらそう言った。男の顔が見る見る間に赤くなっていく。

「お前……まさかその男とっ」

 尚登の手を振り解くと、ポケットに手を突っ込む。そして取り出したのは、サバイバルナイフである。


 一瞬の出来事だ。


 ナイフを見た瞬間、尚登が男の手を蹴り上げた。ウオッ、という男の唸り声と、宙を舞うナイフ。カラン、と床に落ちたナイフを尚登が追い、壁際に蹴る。


 しかし、ナイフを蹴り飛ばしたことで油断したのが悪かったのだ。


「もう終わりだ!」

 男が持っていた荷物からペットボトルを取り出し、中身を辺りに撒き散らした。

 辺りに漂う、匂い……。

「ガソリンッ?」

 尚登が叫ぶ。


「絵美里! 俺はお前を愛してる! 誰にも渡さないし、どこにも行かせないからなぁ!」

 へらへらと笑いながらライターをかざす。

「やめ、」

 尚登が駆け寄るより早く、火を放つ。狭い店内に撒かれたガソリンは、瞬く間に燃え上がる。黒い煙と、赤い炎。


「全員、外へっ」

 煙で店内が黒に染まる。いや、赤か。


「リディ、裏口はっ?」


 咳込みながら声を上げるが、火の回りが早すぎる。男が炎に包まれ断末魔の叫びを上げた。まるで地獄絵図だ。



 ──間に合わない。

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