8-2

「はい、これ」


 忘れ物を届けに来たのは、リディの隣人でもあり、リディを拾った張本人でもあり、リディの保証人の息子でもある駿河佑介するがゆうすけ。絶賛片思い中だが、まったくもって見込みがない。


「ありがと、助かった!」

 荷物を受け取ると、早々にバックヤードへ引っ込んでしまうリディ。


「佑介君、わざわざ悪かったね」

 何故か代わりにマスターが謝るが、佑介は笑って、

「いえ、いつもの事なんで」

 と返す。

「せっかく来たんだし、見ていくだろ?」

 店の片隅には即席で作った舞台があり、これから三十分もすればイベントが始まるのだ。


「今日、何ステですか?」

「昼、四時、七時、だな」


 この店にメイドは全部で七人。シフト制だから、いつも全員がいるわけではない。その七人がいくつかのグループに別れて歌やダンスを披露する。昼は学生バイトが来ない時間帯のため、リディやマリアのようなフル勤務メイドは必ず出ることになっている。


「昼は二人だけ?」

「今日は二人だな。昼はなしでもいいぞって言ったんだが、この時間にしか来られないお客もいるから、ってリンリンが」

「彼女らしいな」

 ふっと笑みを漏らし、佑介。


 リディはああ見えて仕事をとても大切にしている。手を抜くこともないし、一生懸命だ。一緒に生活していて分かったが、いい加減に見えて実はとても真面目なのだ。まぁ、いささか……いや、だいぶ、口は悪いのだが。


「今日は時間あるし、見ていきますよ。お客も少ないだろうし、サクラとしても活躍します!」

 一応『ライブ』という形をとるわけで。客は多い方がやる気も出るだろう。

「うん、そうしてくれ」

 マスターがそう言ってコーヒーを差し出す。佑介はカウンターに座り、ゆっくりとカップを持ち上げた。


*****


「あれ? ヴァルガ戻ったの?」

 いつの間にかテーブルに戻ったヴァルガを見、尚登が言った。


『まったく、あの娘には参る』

 溜息をついているのが分かるほどの言いっぷりである。

「愛されてるってことだろ?」

『さて、それはどうか』

 意味深な発言である。


『ところでナオト、我は世界を渡っていた時に興味深いものを見たのだが、ガーゴイルというものを知っているか?』

「ガーゴイルって……また、唐突な」


 存在は知っている。日本で言うところのシーサーみたいなものだ、と思ったが、果たして合っているのか確信が持てない。

「屋根についてるグロテスクな彫刻だろ?」

 誤魔化した言い方で切り抜けようとする。


『雨樋、だ』


 いきなりそう言われ、キョトン、とする尚登。想像と違う単語が出てきた。


「あま……どい?」

『知らぬのか。あれは雨樋だ。単なる雨樋単体や彫刻単体のものはガーゴイルとは呼ばぬのだぞ?』

「へぇ、知らなかった」

 なんで異世界人に教えられてるんだ、と頭の片隅で考えなくもなかったが、まぁいい。


『大聖堂の外壁にいるは、罪を外部に吐き出しているらしい。実に興味深い』

「罪を……吐き出して、ねぇ」

 だからあんなにグロテスクな姿をしているのか? 罪を抱えた姿を象徴して?


『人々は大聖堂で心を清らかにし、罪は醜きガーゴイルが雨と共に吐き出し外へ出す。しかし雨は巡り巡ってまた人々の元へと降り注ぐ……人間の罪や醜さをよく表しているとは思わぬか?』

 楽しそうに語るヴァルガを見ていると、なんだか魔王というより……、


「ヴァルガって、神様っぽいよな」

 思わず口を突く。


『……神?』

「あ、うん。だって不老不死だし無敵だし、優しいけど突き放す感じあるし、魔王っていうよりは、神様って感じがする」

『ほぅ』

 なんだか嬉しそうな声で反応するヴァルガ。尚登は、本当にそうなんじゃないかと考えていたが……実際、神などという存在が形を取りそこに在るのかは知らない。


「雨は巡る、か」


 ヴァルガの言うことは確かに当たっている。人は長い歴史の中で、罪を犯し、償い、けれどまた、繰り返す。なんの進歩もない繰り返しの日々を重ねているような気がする。

「どうすりゃ人は幸せになるんだろうな」

 何とはなしに、口にする。そんな壮大な話、今まで考えたこともなかったが。


『こだわりなく生きているナオトには珍しい発言だな』

 からかうように、ヴァルガ。

「ヴァルガが振ったネタだろうっ? それに、俺だってたまには真面目にそういうことを考えたりもするぞっ?」

 ムキになって答えると、ヴァルガはフッと息を漏らし、人型になると尚登をじっと見た。


「な、なに突然?」

「他人に深入りするのはまだ怖いか?」


 ドクンッ


 胸を鷲掴みにされたような痛みに襲われる。


「……な、にを」

「ナオト、大丈夫だ。失うことを恐れなくてもよい」

 ヴァルガの言葉が、胸を抉る。どうしてそんなことを。一体どこまで知っているのか。いや、全てを知っているのか?

「もっと人と深く交われ。お前はもう、大丈夫だ。お前の罪はもう雨と共に吐き出されている。いや、そもそもお前に罪などなかろう?」

 ヴァルガの目は真剣だった。尚登はただ、沈黙を守る。


「さて、では我は少し出掛けてくるとしよう」

 小さい姿のまま、立ち上がる。

「え? その姿で?」

 そういえば、完全体になったと話していたが、ヴァルガの本来の姿をまだ尚登は見ていない。まさか幼児の姿がそれではないのだろうし……。


「便利がいいのだよ、この姿は」


 にんまり笑うと、玄関から外へ出て行った。まるで息子が外に遊びに行ったかのようなおかしな光景である。


 ヴァルガの後ろ姿を見送り、考える。ヴァルガが姿を消した時のことだ。


 そもそもヴァルガとの出会いは奇妙で、偶然で、一時のことだと思っていた。勿論それは今も変わらないのだが、離れていたひと月の間に感じた寂しさや不安感。戻った時の安堵感と喜び。それは今まで尚登がずっと避けてきた感情だった。誰にも深入りせず、流されて、こだわりを持たないようにしてきたのだから。


『お前はもう、大丈夫だ』


 ヴァルガの言葉が耳に残る。

 大丈夫? 本当にそうなのか?


「まさかこんなことになるとはな」


 ヴァルガの力は、自分にとって便利すぎる。だからこんな風に依存してしまうのだと改めて反省する。このままではヴァルガの力に頼りきりになってしまいそうで怖かった。


「ずっといるわけじゃないんだしな」

 口に出すと、チクリと胸が痛む。


 そうだ。ヴァルガはもう、いつでも自分の世界に帰ることが出来るのだ。それは明日かもしれない。ならば、自分も彼を頼ることをやめなければ。


 ブブブ、ブブブ、

 携帯が鳴る。安城だ。


「もしもし」

『遠鳴君、出られるっ?』

 呼び出しだ。

「行けます! 場所、教えてくださいっ」

『それが……、』

 安城が言い淀む。


 嫌な、予感がした……。

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