第八章 gargoyle days ~ガーゴイルのように~

8-1

「ふぅん、じゃ、同棲解消したんだ~」

 目の前のクッキーを手に取り、リディが言った。


「だから、あれは同棲じゃなく、仕事!」

 尚登が訂正するも、


『娘と三人、楽しそうにやってたではないか。キャロルが帰るときには大泣きしたとか?』

 クッキーの缶の横には、おなじみの、腕。もう完全体になれるのだから、腕である必要はないのだが。


「泣いてたのは安城さん! そういうヴァルガだって、キャロルに気に入られて、将来の約束までさせられてたじゃないかっ」

「はぁぁ? なんですってぇっ?」

 リディが殺気立つ。

「私というものがありながら、そんな子供相手にっ、ヴァルガ様!」

『我は約束などしておらぬ。あれはキャロルが勝手に言っていただけであろう』


 幼児姿のヴァルガを、キャロルはとても気に入っていたようだ。

 あれから数日で刺客は一人残らず確保。残りの一週間、キャロルは日本でやりたかった全ての事をやり切って、国へと戻って行った。すべて、ヴァルガのおかげである。


「私もヴァルガ様のお姿が見たいですぅ!」

 むくれるリディ。


 そう思うのは当然だろう。ヴァルガはリディの前ではまだ人の姿になっていないのだ。


『お主の前で人の姿になったら命を狙ってくるであろう?』

 トラウマなのか、リディの前では頑として人の形を取ろうとしない。

「あ、それなんですけどぉ……」

 リディが何故かもじもじしながら片手を挙げ、ヴァルガを見つめる。

「私、気付いたんですぅ。あっちの世界に帰らないで、こっちでヴァルガ様と二人、幸せになればそれでいいんじゃないか、って。だからぁ、私ヴァルガ様の命を狙うのはやめようかと思ってぇ」

「……あ、」

 尚登が思わず声を漏らす。

 ヴァルガは無言だ。


「なのでぇ、人の姿になってくださいっ!」

 ペコ、と頭を下げるリディ。

「そっか、ヴァルガを独り占めできるんだから、なにも殺す必要ないんだ」

 チラ、とヴァルガを見る。しかし、無言だ。

「ね? ヴァルガ様、こっちの世界で私と幸せになりましょうよぉ!」

 目をギラつかせ、迫るリディ。

 果たして、ヴァルガはどう出るのか?


「あ、」

「あああっ!」


 ヴァルガは、姿を消した。


「逃げた!」

「きぃぃぃ!! ヴァルガ様のいけずぅぅ!」


 尚登の部屋に、リディの叫び声だけがこだましたのである。


*****


「おはようございまーす」

 いつもの職場、いつもと同じ仕事。


「ああ、リンリンお疲れ様」

 マスターの挨拶も、いつもと同じ。


 リディの職場。メイドカフェ『ツインテール』である。リディはこの店のナンバーワンメイドとして働いている。ついている顧客の数も多いが、なにしろ彼女には、太客が多いことでも有名だった。


「リンリン、今日のイベントだけど、」

 マスターに言われ、ハッとする。

「そうだ! 今日イベントだった!」

 ツインテールでは、月に一度イベントを行う。今日はその日。メイドたちがユニットを組んで、歌やダンスを披露するのだ。


「やっばぁ、私小道具忘れてきちゃったっ。あれがないと話にならないのにぃ」

「ええっ? まずいな、それは」

 リディ目当ての客が多いイベントだ。この日を楽しみに来ている客をガッカリさせるわけにはいかない。

「待って、ゆうに聞いてみるから!」

「佑介君、大学は?」

「今日は休講って言ってた気がするんだよね」

 言いながら、電話を掛ける。


 マスターはリディの事情を知っている。佑介がリディの保護者のような立ち位置だということも、居候を解消したことも、全部把握しているのだ。


「あ、もしもし、ゆう? ごめん、私今日のイベントの小道具をさぁ、うん、忘れちゃってて。え? ほんと? やった! ありがと、よろしく~!」

 ニコニコしながら電話を切る。

「届けてくれるって!」

「そうか。優しいな、佑介君は」


 たまに店にも顔を出す佑介は、本当に献身的に彼女を支えている。リディに対する思いも駄々漏らせているのだが、いかんせんリディにその気がないことも理解している。そんな佑介を不憫に思い、なんとか頑張ってほしいと、影ながら応援しているのだが……。


「じゃ、準備してくるね~」

 リディはそう言ってバックヤードに向かう。


「おつ~」

「おつで~す!」

 オープンまではもう少し時間がある。リディの他に店に来ていたのはナンバーツーの座にいる木下絵美里である。彼女は店で『マリア』と名乗っていた。


「マリア、今日のイベントだけどさ」

「聞こえてたよ。リディってば道具忘れてきたって?」

 リディはそのまま『リディ』と名乗っていた。愛称はリンリン。

「ゆうが持って来るもん」

「また佑介君? まったく、酷い女だね」

 呆れ気味に言うも、リディはまったく気にしていない。


「え~? 全然酷くないしっ」

「酷いじゃん。あんなに優しくしてくれるのに、あんた別の男が好きなんでしょ?」

「だって、それは仕方なくない? 私の片思い、そんじょそこらのやつじゃないよ?」

 腰に手を当て、リディ。その言葉に嘘偽りはないのだが、マリアにそんなことは知る由もなく。


「一度お目にかかってみたいもんだわ、リディの片思いの相手」

「お断りよっ。惚れられちゃ困るし」

 いつもそうやって話をはぐらかすのだ。仕方あるまい。ヴァルガは『腕』の状態でしかリディと会ってはくれないのだから。


 着替えを済ませ、手早くメイクを済ませ、ホールへ戻る。マスターが忙しく準備を始めるのを見て、

「じゃ、私看板出してくるね」

 と、外へと向かった。


 メイドカフェは十一時から二十時までが営業時間だ。バイトの子たちの時間はまちまちで、フル出勤をするのはリディとマリアくらいのものだった。多くは学校帰りのバイトなのだから、仕方がないのだが。


「……あの、」

 看板を出していると、後ろから声を掛けられる。

「はい?」

 振り向くと、メイドカフェの常連。確かマリアのお客で、名前は……、


「あ~、西野さん?」

「ええ。あの、マリアは今日……、」

「うん、来てるよ~! あ、でもお店開くまでまだもうちょっと、」

「あ、うん、知ってる。また後で来るから」

 そう言ってそそくさと去って行く。

「ふぅん?」

 リディは首を傾げ、しかしすぐに看板に手を掛け、いつもの場所に看板を立てかけた。中に戻り、フロアを掃除していたマリアに声を掛ける。


「ねぇ、今、西野さん来てたよ?」

「え? あ、そう……なんだ」

 一瞬驚いた顔をしたマリアに、

「なんかあった?」

 と、声を掛ける。

「……ちょっと、揉めたんだよねぇ」


 メイドカフェではお客と揉めることは時々あるのだ。だからリディは、深く考えることなく、


「そっか。また後で来るって言ってたから、仲直りできるといいね!」


 と、何の気なしに口にしたのである。

 しかし、現実はそんなに簡単な話ではなかったようだ。


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