第七章 Picaresque hero ~悪漢のヒーロー~

7-1

 ヴァルガが姿を消してからひと月が経つ。尚登の腕に腕輪はなく、リディに詰め寄られても何も言えず、ただ、時間だけが過ぎた。


 初めは数日もすればひょっこり帰ってくると思っていたのだが、三日たっても、一週間たっても、十日経っても戻ってくることはなかった。


 このまま、どこかに行ってしまうのかもしれない……。

 尚登は右腕の自由を、とても寂しく感じていた……。


*****


「護衛……ですか?」


 会議室、駿河の話を聞き終え、安城が怪訝な顔をする。


 我々怪異班は捜査を行う部署である。護衛なら警視庁警備部警護課……いわゆるSPと言われる警護のプロが行うものだ。少なくとも都市警察の管轄ではない気がするのだが。


「ああ。確かに珍しい依頼ではあるんだが、警護対象は要人その人ではなくて、だな……」

 もごもごと言い辛そうに話す駿河に、安城が眉をひそめた。

「班長、何か厄介な仕事引き受けましたね? そしてその厄介事を、私たちに押し付けようとしてません?」

 安城が睨み付けるように駿河の目を見つめると、観念したのか、すっと頭を下げ、言った。


「お前ら、明日から夫婦ってことで!」


「……」

「……」


 キョトン、とする二人。


「これ、家の間取りと地図。これ、お前たちの娘で、名前はキャロライン」

 スッと写真を差し出す。写真館で撮ったのか、ドレスを着た可愛らしい幼児がカメラに向かってほほ笑んでいる。金髪である。


「はぁぁぁぁ?」

「どういうことですかぁぁぁっ!」


 同時に、叫ぶ。


「いや、だからさ、要人は二週間ほど日本に滞在するんだけど、ちょっと忙しいわけよ。日本国内飛び回ってね、色々交渉しなきゃいけなかったりして。で、その間、娘さんを預かってほしいって話があってさぁ。でも、その要人っていうのがまぁ、命狙われるくらいの、こう、世界でご活躍中の人でね、ただ預かるって簡単に言ってもそうはいかないっていうか、」

 つまり、警護しながら子守をしろ、ということらしい。

 いや、子守しながら警護なのか?


「で、それがどうして夫婦で一戸建てに住む話になるんですっ」

 バン、と机を叩き、安城が詰め寄る。

「それはほら、年齢的にも合うし、なにしろうちのエース二人だ。安心して任せられるじゃないか!」

 ポン、と安城の肩を叩く駿河。微妙に視線を外しているが。


「でも、班長。いきなり俺と安城さんが子連れで一戸建てに住むって無理がありません?」

「そうですよ! 隣近所に怪しまれるでしょ」

「ああ、それは大丈夫だ。隣近所も捜査員だからな」


「……は?」

「え?」

 何を言ってるんだこいつは、の二人に、駿河が話を続ける。


「新興住宅地として売り出す前の一角を丸ごと借りてるんだ。捜査員、もしくは警察関係者もお前たちの新居の周りに配置されることになってる。だから安心してくれ」

「安心って……」

 安城が口をパクパクさせる。


「とにかくこれは決定事項だ! 荷物をまとめてその場所に集合! マルタイが到着するのは明日だから、それまでに家の中のルールとか決めておけ!」


 言いたいことだけ言い、駿河は会議室を出てしまう。残された尚登と安城は顔を見合わせ、溜息をついた。


*****


 新築だけあって、家はとてもきれいだ。ご丁寧に玄関先には車まで用意されており、家の中は電化製品や家具はさることながら、フライパンや鍋、食材に調味料まで完璧に整えられている。ついさっきまで誰かが住んでいたかのようだった。


 先に着いた尚登は、家の中をくまなくチェックする。寝室は三つあり、一つはマルタイ用の子供部屋である。可愛らしい装飾のなされた部屋は広く、クローゼットにはこれでもかというほど可愛らしい洋服が詰まっている。


「さすがに寝室二つにはカメラはなし、だな」


 仕方のないことだとわかってはいるが、一階のリビングにはカメラが付いている。子供部屋にもだ。音声までは録られていないようだが、生活を監視されるというのはあまりいい気分ではない。


「遠鳴君?」

 玄関が開き、安城の声がする。出迎えると、荷物を抱えた安城が立っていた。慌てて荷物を受け取る。

「部屋、どっち使います?」

 二階に向かい、訊ねる。

「じゃ、私はこっちにするわ」

 南側の部屋に荷物を運ぶと、安城が窓を開け外を見た。

「なるほどね。ここなら道路からは一本ずれてるし、周りはみんな関係者の家。警護には向いてるかも」

「ええ、よく考えられてると思います」


「でも……」

 顔を曇らせる安城。

「なにか心配事ですか?」

「……私、子供の相手なんかしたことない! 料理だってほとんどできない! ねぇ、この仕事、向いてない!」

 急にパニクり出す。


「ああ、それなら俺もですよ。子供の相手なんかしたことないし」

「え? でもほら、がいるじゃないっ」

 名を耳にし、ドキッとする。


「ああ、えっと……そんなにマメに会うほどの仲じゃないんですよ。それにあいつはちょっと特殊だし」

「確かに、彼は少し変わった子だったわね。でもすごく可愛かった! 元気にしてるの?」

 世間話だ。他意はない。なんてことない、ただ流れ上そうなっただけの話だ。それなのに、胸がぎゅっとなる。


「……ええ、元気にしてますよ。それより安城さん、カメラの位置を確認してください。それから細かいルール、決めないと」


 早々に話題を変え、リビングへと降りていく。実際、二週間ここで暮らさなければならないのだから、決めなければいけないことは多いだろう。小さな子供相手にどれだけのことをすればいいのかもわからない。


「食事って、俺たちが作る……んですかね?」

 相手はどこかのお偉いさんのご令嬢。そんな相手に何を作れというのか。

「あ、それは大丈夫みたい。ちゃんとお付きのシェフが同行するって言ってたはず。ただ、もしかしたら朝食くらいは用意することになるかもね。でもシリアルとフルーツ程度で大丈夫そうよ?」

 手元の資料を見て、安城。

「メニューまで書いてあるんですか?」

「ええ。事細かに。なんだか小学校の給食の献立みたいね。まぁ、内容がだいぶゴージャスだけど」

 ぴら、と見せられたその紙には、確かに二週間分のメニューがきっちり書かれていた。日本食が多めなのは、折角日本に来たのだから、というおもてなしメニューなのか。


「しかし、二週間ですか。長いですね」

 カレンダーを見て、呟く。

「そうね。毎日何すればいいのかしら?」

「……あれ? もしかして二週間、マルタイって何の予定もないんですか?」

「……ええ、なんの予定もないわね」

「確か、小一くらいでしたよね?」

「七歳、ってなってる」

「二週間……?」

「……長いわね」


 護衛がメイン。


 つまり、遠出などは出来ない。いや、なんなら一歩も外に出ないくらいでちょうどいいはずだ。

 しかし、そんな小さな子が二週間大人しく家に籠ってなどいられるものなんだろうか?


 尚登は一抹の不安を抱き始めるのであった。

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