6-6

 一日目は何事もなく過ぎた。二日目も、病院に変わった様子はない。


 夜は、すぐにやってくる。


 ヴァルガは今日も尚登の目を盗んでハナの病室に遊びに行っていた。ハナはヴァルガを優しく迎え入れ、穏やかな時間を過ごした。

 夜には一度病室を去り、人目を忍んでまたハナに会いに行く。眠っているハナの傍で、ただ、その魂の輝きを感じるのだ。


 ヴァルガは空いているベッドの下で、腕に戻った。昼間、ずっと人間の姿でいるのはなかなかに疲れるのだ。擬態を解いて、少し負のオーラを溜めなければならない。ヴァルガは姿を消し、一般病棟へと負のオーラを集めに向かうことにした。


 カタン、


 病室のドアが動く。

 いつもの、看護師の見回りだろう。


 すると、看護師が中に入り、ハナのベッドの脇まで歩いてくる。点滴の確認のようだ。看護師は腕時計を見ながら、点滴の器具を調整し、小さく呟く。


「これで八人目」

そして、静かに部屋を後にした。


『どういう……意味だ?』

 ヴァルガが今の言葉の意味を考える。ある程度の魔素を溜めていれば看護師の思考を読むことも出来たのだが、いかんせん今は力をほぼ使い切った後の充電状態。新しい負のオーラを取り込もうにも、輪廻病棟にはあまり負のオーラがない。皆、死を受け入れているせいなのだろう。マイナスの気を発している者がほとんど見当たらないのだ。


 そうこうしているうち、聞きなれない電子音が聞こえる。ハナの横にある機械が、赤いランプを点滅させる。バタバタと廊下を走る足音と走り込んでくる看護師たち。


『なんだ……?』

 ヴァルガの見ている傍で、看護師たちがハナを取り囲む。ピー、ピーという音が流れた瞬間、看護師たちから黒い靄のようなものが漏れ出る。負のオーラである。

 しかし、次の瞬間にはもう、霧が晴れるように靄が消えているのだ。


「先生を」

「はい」

 短いやり取りの後、一人が携帯を出しどこかに電話をかけ始める。


 ヴァルガは一瞬漏れ出でた彼女たちの負のオーラを取り込み、何が起きているかを理解する。


 そしてその場から、シュルリと姿を消した。


*****


「今日も何もなさそうだな」

 巡回しながら尚登が呟く。

 しかし、そうはならなかった。


「熱っ!」

 急に右手が熱を帯び、燃えたかと錯覚する。違う。腕輪が、ある。


「ヴァルガ……? うおっ」


 急に体が動き出す。そのまま尚登は本館に向かって駆け出していた。誰もいない病院の廊下を、ほぼ全力疾走である。

(な、ななななんだよ!)

 ヴァルガの仕業に違いないのはわかるのだが、こんな無茶苦茶をする意味がわからない。ヴァルガは何も言わない。ただ、尚登の体を動かし、病棟を走らせている。縦横無尽に。全速力で走らされ、流石の尚登も息が上がる。


(ま、待って、もうっ、む、無理!)


 スッ、と体を縛っていたなにかが解かれ、その場に膝を突く。はぁはぁと肩で息をしていると、小さな足が見える。


「ナオト、ここで何が起きているか説明する」

 幼児姿のヴァルガが苦しそうな顔で、言った。


*****


「……残念、だったね」


 すべてが終わった後、尚登はそんな言葉しか出てこない自分の不甲斐なさに、悶々としていた。ヴァルガが『大切な人だ』と言っていた三井ハナは、尚登が到着した時には既に亡くなってしまっていたのだ。看護師が鎮痛剤の点滴を操作し、昏睡状態に陥らせたためである。


 輪廻病棟で行われていたこと。それは、総括ドクターである渡辺律樹をはじめとする看護師数人のグループによる、……。


 輪廻病棟には、末期の患者しかいない。患者の年齢は二十代から八十代までまちまちだ。そして彼らは基本、治療をしていない。ゆえに、薬による他の臓器への負担や損害もない……つまり、が悪い患者でも、は元気だったりするわけだ。患者が事前に臓器提供の書類にサインでもしていれば、他の臓器は移植用として問題なく使える。執刀医と看護師がグルになれば、ことも可能になる。


 そうして取り出した臓器を、闇ルートに流すのだ。


「助からないとわかっている命だって、果てる瞬間が訪れるまではのにな」


 看護師たちも、初めは抵抗があったようだ。しかし、何度か続けているうち、こう、考えるようになる。


『死んでゆく人間の臓器で助かる命がある。数か月の余命より、助かる命を優先すべきではないか。それこそが、輪廻にふさわしい、まさにことになるのではないか』


 身勝手な解釈だと思う。が、日々、命と向き合う彼らにとって、生と死に対する考え方は、自分とは違うのかもしれない、と尚登は思った。


「幽霊話もでっち上げだったし」

 誰に言うでもなく、口にする。


 結局のところ幽霊騒ぎは、夜中、病棟の廊下を関係のない人間が歩かないようにするための自作自演だったのだ。尚登と安城の存在は邪魔だったと思うが、ここが余命いくばくもない人間しかいない病棟だということで、急変して亡くなる患者がいても疑いを持たれることはないと考えたのだろう。


 今回の事件解明には、ヴァルガの力が必須だった。ハナの病室で看護師が点滴の機械を操作している映像を、尚登の携帯に送りつけてきたのだ。自分で見たことを映像化したのだという。目、ないのにな、と一瞬脳裏を掠めたがもちろん黙る。もらった映像は、尚登の携帯を設置し録画したもの、ということになっていた。


 そこから芋づる式に仲間の看護師を炙り出し、更には、闇ルートに流した、患者から違法に摘出した臓器を明記した証拠データも発見。渡辺医師からの供述も取り、事件は片付いた。


 しかし、ヴァルガは……。


『ナオトの言うように、ハナはハナだ。我の知る相手ではなかった。しかし、あれの魂を持つ者はいつの世も、我の心を癒してくれるのだ。ハナも優しい娘であった』

 しみじみと、語る。


「ヴァルガが知ってるその……人、はさ、恋人だったのか?」

 聞いてもいいのかわからなかったが、つい訊ねてしまう。ヴァルガはフッと声を漏らすと、

『そうだな。少なくとも我はその魂を……コーディを愛していただろう。彼女が去ってからも、彼女の魂を……輪廻を何度も見守ってきたのだ』

 その言葉を聞き、単純に疑問に思う。

「ヴァルガって……何年生きてるんだ?」

 何度も輪廻を見守って、ということは数百年はくだらないはず。


『さて、な。千年なのか、二千年なのか』


 魔王というものがどういうものか、尚登は知らない。ゲームの世界では勇者に倒され、滅びて終わる存在だ。しかしヴァルガは、リディに異世界へ飛ばされなければそのまま元の世界でずっと生き続けて……それは、酷く長い時間なのではないかと思えた。


「とても大切な……人、だったんだね」


 こっちの世界でコーディと同じ魂に出会えたこと。それはヴァルガにとって奇跡だったに違いない。それなのに、救えなかった。そのことを後悔しているのではないか。尚登はなにか、自分に出来ることはないかと考えを巡らせる。が、何も思いつかない。


『コーディは……我の生きる糧だ』

 ヴァルガが静かに、そう言った。




 そして、翌日、ヴァルガは忽然とその姿を消したのである――



第六章 完

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