6-3

「こちらをお使いくださいね」


 そう言って通されたのは、看護師用の仮眠室だった。幽霊が出るのは、夜である。よって、夜まではやることがないのだ。

「巡回は好きにしていただいて構わない、とのことでしたので」

 渡辺からの支持を伝えると、看護師は仕事に戻っていった。


 殺風景な部屋だ。


 二段ベッドが壁際に二つ並んでいる。トイレと、洗面台。それに小さな流しとコンロが二つ設置されている。四人は座れない小さなテーブルに、小さな冷蔵庫。


「どうする? 少し横になる?」

 安城に言われるも、

「俺、少し病棟の方見てきますよ。危険な場所がないか確かめたいし」

「そう。じゃ、私は一時間横になるわ。戻ったら起こして」

「わかりました。おやすみなさい」

 そう言って仮眠室を出る。


 自殺者が出た、と渡辺は言っていた。正確には、三名ほどだそうだ。一人は外の非常階段からの飛び降り。一人は病室での首吊り、もう一人は、薬の過剰摂取。緩和ケアをする病棟だけあって、痛み止めを取り扱うことが多い。渡された薬を飲むふりをして飲まずに溜め込み、過剰摂取したようだ。


 しかし、自殺者が出てから幽霊話が持ち上がったなど、それっぽいことを言わないでほしいな、と尚登は内心思っていた。夜はこの病棟を見回らなければならないのだ。


 病棟は、女性がいる階、男性がいる階、重篤患者がいる階と分けられていた。重篤患者がいる階は静かなものだ。もう、いつ息を引き取ってもおかしくないくらい病状が進行している人ばかりで、ほとんど眠っているような状態。この階に運ばれた患者は、本当に数日でこの世を去るようだ。


 各階を回りながら、最後に女性の入院している階へ。余命ありの患者しかいないはずなのに、病室からは何やらお喋りしている声なども聞こえてくる、女性はどんな時でもお喋りだな、などと思いながらある病室の前を通りかかった時、いきなりグイ、と手を掴まれた。

「え?」

 いや、掴まれたわけではない。腕輪が、尚登の手を引いたのだ。


『ナオト!!』


 緊迫したヴァルガの声。

(え? なにかあったのかっ?)

 訊ねるも、ヴァルガは口を閉ざす。腕輪が震えているのがわかる。これは、ただ事ではない。


 病室に目を遣る。札には『三井ハナ』とあった。札は一枚しかない。ということは、この部屋には一人しか入っていないということ。

(中、入ろうか?)


 ぶるっと腕輪が震えた。

 怖がっている……?

 こんなヴァルガの反応は初めてだった。


『……入ってくれ』

 静かだが、力のある声でそう言われる。


 一体何があるというのか。中にいる人物が、とんでもない殺人鬼か何かだとでもいうのか? 尚登は恐る恐る、扉を開ける。


 半分閉められたカーテン。四つ並んだうちの窓際、ベッドに半身を起こした状態で、その女性は、いた。窓の方を眺めていた視線が、こちらに向き直る。


『……ああ、』


 ヴァルガが何とも言えない感嘆の声を上げた。


「あら、どなた? もう診察の時間だったかしら?」

 話し掛けられ、尚登はゆっくりと病室の中へ体を滑らせる。

「いえ、違うんです。突然すみません。実はこの建物の警備を任された者でして」

 ベッドの近くまで寄ると、頭を下げる。


 女性は、年齢的にもう老人と言ってもいいだろう。肩までの白髪。優しそうな顔には笑い皺が刻まれ、とても穏やかそうだ。


「あら、凶悪犯でも迷い込んできたの?」

 そんな冗談を口にし、笑う。

「いえ、そういうわけでは。……えっと、三井さん、ですよね? 何かお困りのことなどございませんか?」

「ハナ、でいいわよ。みんな私をそう呼ぶの。……困ったこと……いいえ、なんにも。ここはとても平和で、穏やかな毎日がある場所よ。困ったことなんて何もないの」

 屈託のない素の微笑みは、なんだか少女のようですらあった。


「あら、その子は……お子さん?」

「は?」


 言われ、視線を落とす。と、そこには五歳くらいの男の子がじっと女性を見つめ立っていたのだ。

「えっ? 誰っ?」

 いつの間に紛れ込んだというのか。しかもその幼い子供は、どうやらハーフのようだった。黒ではなく、グレーの髪。瞳の色も、グレー。いや、銀色と言えばいいのか。とにかく日本人ではなさそうだ。


「君、迷子かい? どこから来たの?」

 しゃがみこんでそう訊ねるも、尚登には目もくれずじっとハナを見つめている。

「ねぇ、」

 尚登が延ばしたその手を、パン、と払いのける。そして一歩ずつハナに歩み寄り、そっと小さな手を伸ばした。戸惑いながらも、ハナがその小さな手を握り返した。

「あらあら、可愛いお手手ね」


「……会いたかった」

 その小さな男の子は、絞り出すように、そう言った。


「あら、私のこと? いやだ、どこの子だったかしら? こんなに可愛い子のこと、忘れたりはしないと思うんだけど」

 ハナが困惑している。


「ねぇ、君ほんとにどこから、」

 言い終わらないうちにその男の子はハナから手を離すと、尚登の手を引っ張った。

「え? ちょ、なにっ?」

 手を引かれるまま病室を出る。

「あ、おじゃましました~!」

 一応ハナに挨拶をし、病室の扉を閉じた。


 男の子はどんどん歩いていく。休憩所のような場所までくると、くるりと振り返り、言った。


「ナオト、我は今回、お前の力にはなれん」

「……は?」


 名を、呼ばれた。

 いや、それ以前に、今……、


「……ヴァルガ……な、の?」

 指をさし、わなわなと肩を震わせる尚登に、子供は腕を組み半眼で、

「なんだ、気付かぬのか」

 と言った。


「ちょ、ま、待って! どういうことだ? その体はどこから……まさかこの病院の患者さんの体をっ」

「落ち着け、ナオト。まぁ、座れ」

 椅子を引っ張り、小さなヴァルガがその上によじ登る。


「いやいやいや、落ち着けないだろ、これっ」

「大きな声を出すでない。怪しまれるぞ?」

 近くにはナースステーション。確かに大声で話すのは問題がありそうだ。

「この体は我が自ら作り出したものだ。誰の体も拝借はしておらぬ」

「そんな……ことまで、」

 いつの間にそんな力を、と言うより先に、


「実体を創り出す魔法は、もうだいぶ前から使えるようになっていた。なんなら、今の我であれば魔法陣も描ける」

「ええっ? じゃ、もうあっちの世界に帰れるってことじゃん!」

「まぁ、そうだ。だが、まだ帰る気はない。それに、」

「……それに?」

「この魔法は沢山の魔素を使うからな。今までコツコツ溜めてきた分を、結構使わねばならんだろう」

「あ、そうなんだ」


 まさかここまでの力があったとは、驚きだった。どれだけ溜めていたのか、数字で見られるわけじゃないから尚登にはわからない、が、なにかが引っ掛かる。


「……ちょっと待って。もしかしてヴァルガ、本当は力使えるのに『使えない』って言ってたことある……?」

「……あ~、まぁ、そうかもしれんな」

 ポリポリとこめかみを掻きながら明後日の方を見る。


「騙したなっ」


 大人気ない発言をする尚登であった。

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