6-2

「病院って、嫌いなんですよね」

 尚登が溜息交じりにそう言った。


「病院が好きって話、あんまり聞いたことないわよ? みんな嫌いなんじゃない?」

 安城が返す。


「いえ、医者が怖いとか、病気がどうだとかじゃなくて、その……」

 モゴモゴと歯切れの悪い尚登に、安城が突っ込む。

「……もしかして遠鳴君、幽霊苦手?」

 安城にそう言われ、思わずムキになる尚登。


「いや、幽霊なんてこの世にいるわけないじゃないですかっ。やだなぁ、安城さんっ。存在もしないものを怖がるなんて、俺そこまで臆病じゃないですって! ただ、なんかこう、得体の知れないものの話をされると、あんまりいい気がしないっていうか、ねぇ?」

 一気に捲し立てる。

「ふぅん、そっかぁ。遠鳴君、おばけ怖いのかぁ」

 にまにましながら安城に顔を覗き込まれ、小さく舌打ちをする。


『こっちの世界では幽霊、と言うのか。アンデッドは、存在するぞ、ナオト』

 ヴァルガの参戦に、尚登は首をブルッと振り、言った。

「いませんよ、幽霊なんて! 人間は死んだらそこでお終いなんですっ」

 と、言い放つ。


 その言葉に、何故かヴァルガが

『……そう、だな』

 と、暗い声で答えた。


(あれ? ヴァル、)


「遠鳴君、あれよ」

 安城に言われ、視線を動かすと、目の前に問題の総合病院が見えた。本棟の向こうに見える新しい建物が輪廻病棟なのだろう。

「案外綺麗ですね」

 ホッと胸を撫で下ろす。これで、廃病院を思わせるような外観だったら、泊まり込みは遠慮したいところだったが。


「私たちは都市警察ではなく、国からの依頼でってことになってるから、くれぐれも忘れないでね」

「わかりました」


 車を駐車場へ。

 地下駐車場からエレベーターで向かった先は、理事長室。

 まずはご挨拶、ということだった。


「まったく、なんだってこんなことまで」

 理事長は想像より若かった。五十代ではないだろうか? これだけの大きな病院の理事長を任されるには、大分頼りないように見える。そして警備などいらないという姿勢を全身から駄々漏らせている。


「二~三日様子を見るだけです。何もなければ撤収いたしますので」

 紹介状と身分証(もちろん偽造だが)を提示し、安城が一通りの説明をする。

「上からの命令なら仕方ありませんがね、うちは病院なんですよ。患者を不安がらせるような行動は、くれぐれも慎んでいただきますよ?」

 ギロリ、と睨みつけ、念を押す。

「もちろんです。我々はただ、病院の安全を確認するために、」

「あー、わかったわかった。もういいからとっとと行ってくれ」

 まるで野良犬を追い払うかのような仕草で追い出される。


「……なんなんですか、あれ」

 ムッとした顔で尚登が言う。

「迷惑です、って全身から出てたわね。でも、あそこまであからさまに嫌がるようなことなのかしらね?」


 確かに。


 病院で起きている幽霊騒ぎ。それを解決するために派遣されてきているのだから、普通なら喜ぶべきことのような気もする。


「まぁいいわ。行きましょう」

 安城に言われ、輪廻病棟を目指す。渡り廊下の向こうが、新設された新しい病棟。しかし、どこにも『輪廻病棟』の文字はない。

「あの名前は、通称、ってことなんですかね?」

 案内図を見ながら尚登が言う。

「どうなのかしらね? でも……公式に『輪廻病棟』なんて言葉使ったら、ニュースになりそうなもんだし。そうなってないってことは、正式な名前としては使っていないのかもしれないわね」

 案内図の前で話し込んでいると、


「あの、どうかなさいましたか?」

 と、声を掛けられる。

 見ると、水色の医療用白衣を着た女性が立っていた。


「あ、すみません。こちらの棟の責任者である渡辺先生というのは……?」

 安城が手元の資料を見ながら訊ねた。

「ああ、それでしたらこちらに」

 親切に案内をしてくれた。


 出来たばかりとあって、輪廻病棟は明るく、清潔感に溢れていた。ただ、ここに入院している患者は皆、余命を言い渡され、かつ治療を断った人間ばかりが集まっている。しかし、建物の中は病院特有の消毒液の匂いと、病人特有の何とも言い難い匂いが交じり合っていた。


「渡辺先生」

 その部屋には『新棟統括医師 渡辺律樹』という文字が書かれている。看護師がドアをノックし声を掛けると、中から「どうぞ」と声がする。

「失礼します。お客様ですよ」

 そう言って、安城と尚登を中へ通した。

「では、私はこれで」

 一礼し、颯爽と去って行く後姿を見送ると、尚登は静かに扉を閉めた。


「えっと……?」

 渡辺が二人を見て困っていると、安城が手元の資料を渡し、言った。

「今日から三日ほど、警備に当たらせていただきます、私、安城ミサトと、こっちが遠鳴尚登です」

「ああ! そうか、君たちが」

 銀縁のメガネをかけ、白衣を着た男は、理事長より大分年上に見える。優しそうなベテランドクター、といった風貌である。

「話は聞いてるよ。わざわざすまないね」

 人懐こい笑顔でそう言うと、二人に椅子を勧める。安城と尚登は椅子に腰かけ、経緯を聞くことにした。


「病院てさ、多かれ少なかれ、幽霊を見たとか、声を聞いたとか、そういうことってあるんだよねぇ。だから僕としては今回のも大したことじゃないって思ってるんだけど、なんだか大ごとになっちゃってさ」

「なにか切っ掛けが?」

 安城が訊ねると、

「ん~、この病棟がなんて呼ばれてるかは知ってるよね?」

「ええ、輪廻病棟、と」

「そうなんだよ。ここに入ってる患者は余命宣告されて、更に延命治療をしない人。平均すると数カ月で死んじゃうんだよね」

「そんなに早く?」

 思わず尚登が口を挟む。


「そう思うだろ? でも、無理な治療をしなければ、普通はそのくらいで死ぬんだよね。日本ってほら、やたら延命するじゃない? 食べられない人に管まで通して食事流し込んだりさ。賛否両論あるかとは思うけど、あんなのただの拷問じゃん、って僕なんかは思っちゃう」

 あはは、と軽く笑いながら話す渡辺。


「それに比べて、ここの患者は死への恐怖を最小限に抑えることで、死への期待すら胸に抱いて死ぬわけ」

「期待……ですか」

「そ。だって、生まれ変われる前提で死ぬんだもん。しかも次の人生は自分が望んだ人生ときたもんだ。そりゃ、期待しちゃうだろ?」

「……まぁ」

 曖昧に頷く。


「でさ、大概の場合、それでいいの。みんなここで精一杯生きて、死を迎えるわけだから。でもさ、困ったことにね……」

 声を潜める、渡辺。

「待てない患者が出てきちゃってさぁ」

「は?」

「待てない?」

 尚登と安城が聞き返す。


「そう。自殺者が増えちゃったの。ここ、病院なのに。でね、それからだと思うよ、幽霊の話がワーッと流行り出したの。自殺しちゃうと輪廻転生できないのにさ。それで、成仏できない霊が困ってうろついてるんじゃないか、って話」


「……えええ、」

 尚登が思いっ切り眉をしかめたのである。

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