3-6

 織部宮子は画廊にいた。

 尚登と安城が来るのを待っていたかのように、全ての資料を揃え、待っていた。


「よかった、来てくださったんですね」

 安心した、と言わんばかりの口調である。


「どういうことなんです?」

 安城が怖い顔で詰め寄る。織部は、悪びれもせず笑顔を作ると、

「これから説明します」

 と言って二人に椅子を勧めた。


「で、どこまで突き止めてくれたんです?」

 テーブルで腕を組み、織部が言った。尚登は一呼吸置くと、ゆっくりと語り始めた。


「……まず引っ掛かるのは、このビルでの自殺のこと。ビル自体、特に問題があるようには思えない普通のビルです。高層というほどの高さもなければ、出入りが簡単なわけでもない。なのに自殺者が後を絶たないのはどうしてなのか、不思議でした」

 尚登が静かに語り始める。


「そして織部さんが誘導した『行方不明者』です」

「あら、誘導だなんて」

「わざと情報を流しましたよね? 自殺者とは別に、行方不明者がいるって。行方不明者を扱う生活安全課と、殺人事件を捜査する部署は全く違いますから、我々はその情報を明確には掴んでいなかった。だからあの場で、わざと口にしたんでしょ?」

 尚登の問いに、織部は答えない。


「行方不明者の多くは若い女性。そして、このビルでの自殺者も、多くは若い女性です。自殺者の男女比は、圧倒的に男性が多いんですよ。なのにこのビルではほとんどが女性。そこもおかしい」

 男性自殺者は女性の約二倍にも上る。それなのにこのビルでは女性ばかりが命を絶っている。何故か?

「誘導している者がいるか、もしくは、……です」

「遠鳴君っ?」

 安城が驚いたように目を見開く。


「安城さんも気にはなってたと思うんですけど、自殺者は皆、飛び降りです。屋上に行くにはエレベーターを使うか外の非常階段を使うかしかない。でも外の非常階段には扉があり、最初の自殺者が出た後、中からしか開かないように鍵を変えたと調書にありました。エレベーターも、屋上には止まらないように設定を変えていると。では二人目以降の人はどうやって中に入ったのか?」

「……非常階段の扉を、誰かが中から開けた?」

 安城が言う。


「普通に考えると、そうとしか思えない。でも、なんてわかりませんよね? だからあのゴシップ記事には【怪奇現象か!? 殺人か!? 都会の片隅で次々に起こる不審死の正体に迫る!】なんて書かれていたんです。結局、鍵は壊されていたってことになってたみたいですけど、本当は違うんじゃないかな。自殺ではない死を、自殺ってことにしているだけなんじゃないか、って思ったんです」


 目的のため、言葉巧みにこのビルに誘導する。しかし、ターゲットが拒否したら? 無理矢理運ぶことは出来ないだろう。


「口封じ……?」

 安城が呟いた。


「ええ、そうだと思います。海外へ連れて行くことが出来なかった子を、自殺に見せかけて落としたんです。違いますか?」

 尚登が織部に訊ねた。織部はゆっくり頷くと、手元の資料を差し出した。


「これは今までに渋谷が行った悪事の全てです。さっき書斎から発見しました。仰る通り、彼は若い女の子を海外にしていたのです」


 衝撃的な発言である。


「事の発端は十年前、このビルを建てる時だったようです。そもそも一介の画家がこんな繁華街の真ん中にビルなんか建てられると思います? 無理ですよ。渋谷は、当時付き合いのあった海外のバイヤーを介して、あるアートコレクターと知り合った。そのコレクターは渋谷に大きなお金を出資したんです」

「その資金で、ビルを?」

「ええ、その裏に隠された真意も知らないで」


 そして渋谷は人身売買に手を染め始めた。繁華街に溢れる家出少女たちを騙すことなど簡単だったろう。偽造パスポートで海外に送り出す。その先のことには目を背け……。


 壁画も人集めの一環だったようだ。SNSで『この場所に行けば新しい人生を始められるらしい』などと吹聴すれば、その気になってやってくる若者もいる。


「最初の自殺者が出たのは八年前。彼女の名前は篠田佳代。幼い頃、親の離婚で生き別れたです」

「ええっ?」

「妹?」

 二人が同時に声を上げた。


「別々に暮らしてはいましたけど、私たち姉妹は仲が良かったんです。そして同じように、絵が好きだった。あの、入り口の絵は妹の描いたものです」

 それはヴァルガが『気に入った』と言っていた青い絵だ。

「佳代もバイヤーで、この画廊にも仕事で来ていました。そしてある時、佳代は渋谷の秘密を知ってしまった。……彼が裏で人身売買をしてる、と」

「――まさか、」

 尚登が息を呑む。

「だから消されたんです。あの首なし死体と同じように」


 安城が机をバン、と叩く。

「首なし死体が誰か知ってるのっ?」

 安城の剣幕に、しかし織部は動じない。


「あれは佳代の恋人だった佐藤清太郎さんです。殺したのはコレクターの配下の者だと思いますけど、どんな組織が関わっているかまではわかりません。佐藤さんは、妹亡き後、私と一緒にこの事件を調べていたのですが……向こうコレクターに気付かれた。だから殺されたんです。あんな風に死体を晒したのは、コソコソ動いているへの、見せしめだったのでしょう」

 そう言って、目を伏せる。


「なんで警察に言わなかったんですかっ?」

 拳を握り締め、安城。


「証拠が何もなかったんです。警察に話したって、おかしな妄想程度にしか思われないでしょう? それに、嗅ぎまわっているが私だとバレたら、私も消される」


 もっともな話だ。証拠を見つけ、少なくとも黒であるとハッキリさせた上で捜査をしなければ、彼女の命も危なかっただろう。


「渋谷は、嗅ぎまわっているもう一人が私であることに気付いたみたいです。だから、やめさせようとしたんでしょうね。帰国後、部屋に呼ばれて、二人で話していた時に言われました。すべてを忘れてくれれば組織には黙っておくから、と」

「黙っておく?」

 尚登が首を傾げると、安城が小さな声で『ああ、なるほどね』と口にする。

「なるほどって何ですか、安城さん?」

 尚登が安城を見る。


「渋谷はあなたのことを、愛していた」

 安城が、織部を見る。

「ええっ?」

 尚登が腰を浮かせる。

「だから遺言書には、全てをあなたに譲ると書いてあったんじゃない?」

 確かに、渋谷の遺言にはそうあった。


「ええ、その通りです。渋谷は私を愛していた。でも、彼は知らなかったんです。最初に死んだ……殺された、佳代が……私の妹だ、って。私、全てをぶちまけたんです。そして渋谷を罵った。あなたを殺したいほど恨んでいる、と。そうしたら彼、倒れちゃったんです。元々高血圧でしたからね、私に酷い言葉を投げつけられてショックだったんでしょう。でも私、倒れた渋谷を見ても、救急車も呼ばなかった……」


 そう話す織部に、表情はない。何の感情もない、人形のような顔で言葉だけを紡いでいる。淡々と、その時の光景を。


「ここにあるのは渋谷側の証拠となるであろう書類と、佐藤清太郎さんが残した、渋谷に関する資料です。それとこれが清太郎さんの住所。親兄弟とは疎遠な方なので、いなくなったことに気付かれてないかもしれません。それから……、」

 パッと顔を上げ、尚登と安城の顔を交互に見つめ、織部は言った。


「私は、罪に問われませんよね?」


 そう問いかける織部宮子の顔は青白く、瞳は、どこまでも暗く、濁っていたのである――。



第三章 完


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