3-4
翌日、ビルには人だかりが出来ていた。先についていた安城と合流し、溜息をつく。
「どういうことなんですか?」
渋谷泰治が、死んだのである。
「私が聞きたいわよ。……第一発見者は画廊勤務の織部宮子さん。昨日遅くに、海外から日本に戻ったそうよ。で、今朝ここに来てみたら既に亡くなっていた、と」
渋谷は自室のベッドで死んでいた。自殺なのか他殺なのか、それとも突然死なのかは、まだわからないということだ。外傷はなし。押し入られた形跡もなし。
「そう言えば、渋谷さんってご家族はいないんですよね?」
確か調書には離婚歴あり、と書かれており、あのビルの最上階にある自宅は、自分以外誰の出入りもないとのことだった。
「結婚生活は短いわね。元妻はとっくに再婚してこの町を出てる」
「このタイミングで不審死か……」
織部宮子は画廊で待機していた。長い髪を後ろで結び、紺色のスーツを着ている。年齢は三十八歳と聞いていたがもっとずっと若く見えるし、やり手のキャリアウーマンというよりは、柔らかい印象の女性だった。
「では、チャイムを押しても反応がなく、電話にも出ないことを不審に思い、ドアを開けてみたら鍵がかかっていなかった、と」
「ええ。先生……あ、渋谷先生のことですが、几帳面な性格の方でしたので、ドアを開けたままどこかへ出かけたり、眠ったりということは今までなくて……なにか、おかしいな、って思って」
そうして中に入ったら、ベッドの上で冷たくなっていたそうだ。
「最後に話したのは?」
「昨日の夜、日本に着いてすぐメールをしました。遅い時間でしたので、電話は遠慮したんです。メールの返信は明け方三時頃。多分トイレに起きたんじゃないかと思います。最近夜中に目が覚めてトイレに行くことがある、なんて話をしてましたから」
携帯の画面を見せられる。確かに三時を回ったころに渋谷から返信が来ていた。なんて事のない返信。「出張お疲れ様、詳しい話は明日事務所で」と書かれた文字。話とは、首なし事件の事であると思われる。
「遺体のことは、何か聞いてましたか?」
「ええ。駐車場に首のない遺体が置かれていた、という話ですよね」
両手で自分の腕をさするようにしながら、顔をしかめる織部。
「なにか心当たりは?」
安城が身を乗り出し、訊ねる。
「あるわけないじゃないですかっ。大体、このビルはおかしいんですよ。自殺者が後を絶たなかったり、警察が行方不明者を探しにきたり」
「警察が?」
安城が眉をひそめる。
「ええ、行方不明者の足取りを追っている、という警察官が時々訪ねて来てました。でも心当たりなんかありませんから、そのようにお答えしてます」
それは初耳だった。行方不明者の届けは生活安全課になるが、よほど事件性でもない限り、捜索をすることはない。捜索をしたとしても、マニュアル通り一通り終えればそれ以上深入りすることもないだろう。
「探していたのは、どういった方でした?」
尚登が訊ねると、織部は少し首を捻り、
「若い女性が多かったようですね。中には男性もいましたが、家出少女みたいな写真を見せられることが多かったように思います」
この辺りは繁華街だ。若者の姿も多い。
「テナントに、若い子が行くような店が?」
「まぁ、このビルには色々なテナントが入ってますから、若い子が行くようなお店もありますけど……一点物を扱うような店が多いんです。お値段もそこそこしますよ?」
テナントの情報は尚登も一通り見た。飲食店は一件。あとはファッション、雑貨、アクセサリーなどの創作をしている店で、単価は高め。新進気鋭のデザイナー、というやつか。
「店舗の従業員にも聴取はしてるはず。特に怪しい店はなかったと思うけど」
安城が考え込む。
「芸術家は変わった人が多いですけど、うちは審査も厳しいですし、問題を起こすような人はいないと思いますよ」
確かに、渋谷も同じようなことを言っていた。格安で貸し出しているから審査は厳しいのだと。
「わかりました。またお話を聞くことがあるかと思いますが」
「ええ、大丈夫です。……とはいえ、渋谷さんが亡くなってしまった今、私もどうなるのかわからないのですけど」
そうだ。オーナーである渋谷が亡くなった今、このビルがどうなるのかわからない。テナントもだ。
遺言でも残っていればいいが……などと考える尚登に、ヴァルガが呟く。
『なるほど、そうであったか……』
(え? 何かわかったのか?)
『……人間とは、複雑なものだな』
(いや、なにっ?)
しかし、ヴァルガはそれ以上何も言わない。わざと口を閉ざしているに違いなかった。
*****
捜査は行き詰っていた。
首なし死体の身元が分からず、渋谷泰治の死因も今一つはっきりしなかった。毒物の検出がない以上、自然死と判断するしかないのだが……。
「腑に落ちないわ」
喫茶店で頬杖を突き、顔を歪めながらコーヒーカップを手にしているのは安城ミサトである。そんな彼女を見ながら、尚登は小さく溜息をついた。
「結局、渋谷はあのビルに関するすべてを織部宮子に譲るって決めてたみたいですね」
正式な遺言状が見つかったのだ。
こうなると、渋谷の死で得したのは織部宮子である。そして首なし死体の死亡推定時刻、彼女は海外にいたため、渋谷の死と首なし死体は別の事件ということになる。
「なんだかおかしくない? ビルに首なし死体。からの、オーナーの突然死」
「まぁ、そうなんですが……」
残りわずかとなったコーヒーを一気に飲み干し、尚登が言った。
「現時点では織部宮子を引っ張る理由はありませんし、とにかく首なし死体の方をなんとかしないと班長に怒られそうですよ?」
尚登の言葉に、安城が渋い顔を向ける。
「現実を突き付けてくるわね、遠鳴君」
「そりゃそうでしょう。現実ですよ、これが」
そろそろ動き出すか、と思ったその時、喫茶店のドアが開き、
「あれぇ? 尚登ぉ~?」
ツインテールを揺らし入ってきたのは、リディだ。メイド服ではなく、パーカーにミニスカートというラフな出で立ち。そして若い女の子と一緒である。
安城の目が一瞬鋭さを増す。
「ちょうどいいわっ。ねぇ、ちょっといい?」
こちらの返事などお構いなしに、尚登の隣に座る。連れの女の子に、
「旭ちゃん、そっちね」
と指示を出す。言われた女の子は驚きつつも、安城にぺこりと頭を下げると、安城の隣に腰を下ろした。
「おい、いきなりなんだよっ」
「尚登、警察なんでしょ? ちょっと旭ちゃんの話聞いてあげてよ」
「はぁ? 俺は今、仕事中で、」
「だ~か~ら、これも仕事なんだってば! この子は旭ちゃん。私と同じ職場の子なんだけど、困ってるのよ。警察に相談に行っても全然取り合ってくれないしさぁ。尚登なら何とかしてくれるわよね? さ、旭ちゃん、さっきの話して!」
場の空気などお構いなしに話を進めるリディ。安城もその勢いに押され、何も言えないようだった。
「あ、警察の方……なんですね? よかった。姉を助けてください!」
必死の形相でそう言う彼女を見、尚登と安城は顔を見合わせるのであった。
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