3-3
腕輪が反応したのを、またヴァルガが何か掴んだのかと思った尚登だったが、
『我はあの絵が気に入った』
どうやらそうではなかったようだ。
当たり前のようにヴァルガにヒントを乞うてしまう自分に気付き、恥じる。
『ナオトはどう思う?』
楽しそうな口調で、ヴァルガ。
(え? どれ?)
口には出さず、訊ねる。
『あの、青い絵だ』
入り口近くに飾られた、一枚。
それは青い……青い絵。
何が描かれているのか、尚登にはわからないが、タイトルは「時空の旋律」とある。ますますもって意味が分からなかった。
(うん……よくわからないな)
正直に答える。
「失礼、捜査とは関係ないのですが、あの絵は……、」
尚登が「時空の旋律」を指し、訊ねると、一瞬渋谷の肩が震えた。
「あ~、あの絵は……売り物ではないのです。私の弟子が描いたものでして」
「へぇ、そうですか」
声が上ずっている。どうやらこの渋谷という男、何かを隠しているようである。
それからしばらく、聴取は続いた。だが、特にこれと言った有益な手掛かりは得られないまま、安城と尚登はビルを後にしたのである。
「何か食べていく?」
安城に言われ、頷く。
「そうしましょう。お腹減りましたよ」
「そうね」
ふふ、と笑って、安城が続けた。
「食べたいものは?」
「あ~、なんでもいいです。今日は安城さんに任せます」
こんな風に、二人で食事をすることは多々ある。二人で行動することが多いので当たり前ではあるのだが。食事のときは、お互い遠慮なく食べたいものを言うようにしていた。食への欲求を我慢する関係は長続きしないのだと安城が言ったからである。
「じゃ、イタリアンにしましょうか。ワインが飲みたい気分」
「いいですね。どこにします?」
携帯で近くの店を検索する。と、
「なっおとぉ~!」
声を掛けられ、振り返る。
ツインテールにミニスカメイド服。リディである。
「え? なんでこんなとこに?」
「私が行ってる店、そこだもん」
そう言って近くのビルを指した。
「なぁんだ。私に会いに来たんじゃないのかぁ~」
悪戯っ子のような顔でそう言うリディに、尚登が続ける。
「お前の店がどこかなんて、俺は知らないだろうがっ」
「あ、そうだっけ」
てへ、と拳で自分の頭を叩き、おどける。
「じゃ、私行くね。今、ご主人様をお見送りに来ただけだから」
「おう」
「また、お休みの日にね~!」
言うが早いか、颯爽とその場を去るリディ。
さて、問題は安城ミサトである。
ミニスカメイド服の少女が尚登に話しかけた。そして二人は、とても仲良く、親密そうに言葉を交わし、休みの日にまた、と言ったのだ。店で会おう、ではなく、休みの日に!
安城は、今まで尚登の浮いた話など一度も聞いたことがなかった。そもそもこの仕事をしていると休みは不定期、急な呼び出しも多々あり、よっぽどできた相手でなければ付き合ったとしても長続きはしない。
それが、若いメイド服の少女と……。
まさに青天の霹靂である。
女の気配があれば、気付いたはずなのだ。安城は自分に自信を持っていた。この世界に入って八年。誰よりも努力をしてきたつもりだ。相棒に恋人がいるかどうかなど、すぐに気付く……気付けるはずなのだ。
それなのに……。
「と……遠鳴君、今のって……?」
彼女なの? と聞こうとして、やめる。そんなことを口にしたら、セクハラになりかねない。安城は混乱していた。
「ああ、すみません。ちょっとした知り合いなんです」
「へ、へぇ」
彼女、とは言わない尚登。
でも、だとしたらどうして休みの日に会うのか? 名前呼びなのは何故なのか? 関係は? などと、頭の中でぐるぐるしてしまう。
「あ、ここどうです?」
携帯を差し出し、尚登が言った。
「あ、うん、そうね」
安城はもはや、心ここにあらずである。何故こんなに動揺しているのか、自分でもよくわからなかった。
尚登と組んでから、そういう目で見たことなど一度もないはずだった。尚登は自分より四つも年下であり、自分は彼の上司なのだ。指導すべき立場の人間が、邪な目で部下を見るわけにはいかない。そもそも、対象外だ。そんなこと、ついさっきまで当たり前だったはずなのに……。
「どうかしました?」
黙り込んだ安城の顔を覗き込む尚登。急に顔を近付けられ、安城の心臓が、跳ねる。
「ひゃあ!」
「ええっ?」
飛び退く安城と、驚く尚登。
「……ご、めん。お腹……減りすぎた」
しどろもどろの安城を見、尚登がふっと笑った。
「なんですかそれ。さ、行きましょう」
この日、安城ミサトは、どんなに飲んでもワインに酔うことはなかった。
*****
「なんか、今日の安城さん変だったな」
家に帰り上着を脱ぐと、尚登がそうひとりごちる。
『……そうか、ナオトはバカなのか』
腕に戻ったヴァルガに、何故か唐突にディスられる。
「はっ? いきなりなにっ?」
ヴァルガは帰宅と同時に腕輪への擬態(?)を解く。擬態にも力を使うため、なるべく自然な姿でいた方がいいとのことらしい。
『いや、なんでも。それより今日の現場だが』
「あ、うん。何か感じたみたいだね」
腕輪が反応していたのはわかる。
『うむ。地下のあの場所にはかなり強く負の力が残されていた。それに……』
「それに?」
『あの建物全体にも、よからぬ力を感じた』
「もしかして例の……アンデッド系?」
『そうだ』
ヴァルガが感じるのは、悪人が発する負のオーラの他に、いわゆる霊感的なものがあるようだ。やはりあのビルは、何人もの人間が自殺をしたことで霊的ななにか……悪い気のようなものが溜まっているのかもしれない。
「なぁ、ずっと疑問だったんだけどさ」
『なんだ?』
「ヴァルガって、その……負のオーラみたいなやつが力の源になるって言ってただろ?」
『そうだが?』
「あれってさ、その、取り込むっていうか、吸い込むっていうか……そういう感じ?」
オーラなんか目に見えるものではない。どうやってそれを力に変えるのか、尚登にはよくわからない。
『そうだな。人間が息を吸うように、我は負を吸っている……感じであろうか』
(鼻、ないのに?)
つい、心の中で突っ込んでしまう。
「ってことはさ、例えば犯罪者から負を吸い取れたら、そいつは真人間になるわけ?」
だとしたらすごいことだ。犯罪者がいなくなるかもしれないのだから。
『それはどうであろう? 今は近くにある負を取り込んでいるだけで、その個体から直に負を取り出すことが出来るかはわからぬ。この状態であればまた違うかもしれぬが』
腕。
この状態で犯罪者に触れることは……さすがに難しいだろう。
「いつか試してみたいな」
もし直接取り込むことが出来るのなら、その方が明らかに効率が良いのではないかと考えたのだ。それに……極悪人から負を取り除くことが本当に出来るとしたら、世界は、ヴァルガの腕で一変することになる……。
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