第3話Heaven

「そんな馬鹿な!」


この階は最上階で、屋上へ行くにはここから階段を使わなければならない構造になっている。それ以前に矢崎がエレベーターを降りてから再び振り返った数秒間にエレベーターが他の階に動いたとは考えられなかった。なのにまるでイリュージョンでも観ている様に、あの女性の姿はものの見事に消え去ってしまった。


(あの女性は、一体どこに行ったんだ…)


その時、先程のあの女性の言葉が、矢崎の脳裏をよぎった。


『天国は何階ですか?』


『天国』ってなんだ…


矢崎は自分でも無意識のうちに、再びエレベーターに乗り込んでいた。


矢崎がエレベーターに乗り込むと、先程までは気にも留めなかったがよく見るとエレベーターのボタンの中に見慣れない表記がある事を発見した。


「なんだ、この【H】ってのは…」


【H】=【heaven】=【天国】…そんな符号が矢崎の脳内で合致した。


矢崎はそのボタンに指を触れてみたが、それを押す事には躊躇した。


(これを押したらどうなる?…押して大丈夫なのか?)


何か根拠がある訳ではないが、このボタンを押したら大変な事になる…そんな胸騒ぎが、ボタンに触れる矢崎の腕を押さえつけているようだった。

しかし、消えた女性の謎を明かしたい…この先起こる事への好奇心が芽生えていたのも事実だった。


「ええい、どうとでもなれ!」


暫く考えた後、矢崎は覚悟を決めてそのボタンを押した!




ガタン!




何か大きな音がして、矢崎は一瞬宙に浮いた感覚になった。

いや、そうではない。正確には矢崎はしていた!

あの音は矢崎が乗っていたエレベーターの床が抜けた音だった。つまり、矢崎は最上階・13階から落下していた。かりに一階あたりの床から天井までの高さが3mだとすれば、13階では40m弱はある…は免れない高さである。矢崎は、このまま自分が死ぬであろう事を予感した。

これがなのか、矢崎にはその一瞬がとても長いものに感じられた。

今迄の人生の様々な出来事が本のページをパラパラと捲るように感じ取れる。


そして、パラパラと捲れるという名の本のページは、途中からある言葉がびっしりと並ぶだけになっていた。



『仕事』『仕事』『仕事』『仕事』『仕事』・・・・・・


貴重な自分の人生を、思えばなんと無駄に浪費し続けてきたのだろう。

このまま死んでしまったら、とは一体何だったのだろうか!



まだ死にたくない!














…………さん…矢崎さん…


いつの間にか、気を失っていたらしい…目の前には矢崎の部下の顔があった。


「俺は確か…最上階から落下して…」








「すごいでしょ?このアトラクション、【ヘブン】って言うんですよ」


目の前の部下が、少し自慢げに言った。

「安全性は、検証済みです、今度のアトラクションはこれで行きましょう!」


「そうだったのか…」


一度は『死』を覚悟した矢崎。生きている事がこれ程だという事を今回改めて気付かされた気がした。


「あの【H】は、俺にとっては【Happiness】のHだったかもしれないな」


いつもと変わらないビル街の夜景が、今日の矢崎にはなんとも美しく新鮮に映っていた。


END

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天国~heaven~ 夏目 漱一郎 @minoru_3930

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