エピローグ

 『精神科の閉鎖病棟』から退院して、2ヶ月が経った。

 明るく元気にハッピーな暮らしを送れているかと言われたら、そんなことはない。それが現実、ノンフィクションだ。


 朝ご飯の後、歯磨きなどの身支度やルーティンを終えて一息ついた時、寝る前に自室で読んでいた本を閉じてベッドに向かおうかという時、そのふとした瞬間に自分の中の虚無感に気づく。

 身体が一本の樹だとしたら、ど真ん中に大きな烏鷺うろができているような感覚。その穴を覗くと、果てしなく暗闇が続いているような——。


 良くも悪くも、入院していた頃と何も変わっていない。

 希死念慮はしっかり両手で持ったままから出てきたし、生きたいと思えるようになったかと問われたら「NO」と即答する。

 そんなものだ。だから皆んな、退院のことを『脱獄』と呼んでいたのだろうか。




 もちろん、何もいいことがないとは言わない。治療の進展もあった。

 不眠の症状は快方に向かってきているとのことで、睡眠導入剤は徐々に減らされていっている。

 生活リズムを整えることは自分でも意識しているし、薬を飲まなくても夜が更ければ眠たくなるようになった。中途覚醒も滅多にない。

 満足に眠れない、というのはかなり精神的に参るので、それが改善されたことでとても過ごしやすくなっている。


 そして、社会復帰に向けての第一歩も決まった。

 主治医とも相談しながら、まずはアルバイトから “リハビリ” をしようとなり、新年度から働く場所も決まった。

 幸運なことに、面接で前職の退社や入院の経緯を包み隠さず話したことで、バイト先も私が社会生活の “リハビリ” として従事することを納得していただいた上で務めさせていただくことになった。

 とはいえ、アルバイトでも時給が発生する以上、その会社の一員として責任を持って働かなければならない。先日の研修で『心得』のようなルールブックを渡されたが、そこに書いてある社会人の基本の「き」のような内容でさえ自分にできるのか不安になった。


 また、私が入院当初に泣きじゃくっていた要因の『宮古島旅行』もリベンジを果たした。

 オフシーズンであいにくの雨続きだったが、せっかくだからと奮発してプライベートプール・サウナ付きのスウィートヴィラに宿泊し、大いに楽しんだ。

 水着で映え〜な写真を撮ったり、シーサー作りの体験をしたり、橋を渡る車の窓から野生のウミガメを見たり、、

 行きの飛行機では楽しみよりも、数ヶ月ぶりに生きて宮古島に向かっている自分へのエモさが上回っていた。

 ただし、離陸直後の飛行機から下を覗いて海が見えた時、無意識に「ここから落ちたら死んであの青い海に溶けられるかな」と考えているのに気づき、相変わらずの自分に自分で苦笑した。

 まあ、とにかく、数ヶ月前、地獄みたいな場所に入院したばかりのそこの女。

 宮古島に行けなくなって大人気なく泣き続けていた女よ。

 ちゃんと行って来れたぞ。

 すっごく楽しかったぞ!

 悔しいけれど、「生き延びてみるもんだな」と思ってしまった。




 このまま終われば快方に向かって進んでいく闘病物語として多少は気持ちの良い終わりになるのだろうが、私はありのままの実情を伝えたいので、再び暗い話に戻る。

 私自身が、後味の悪い嫌味なホラー作品を好む所為なのかもしれないが、そこはおいといて……。


 今現在、私は自宅療養中とはいえ世間から見ればただの『無職』だ。

 快方期だからだと思いたいが、最近は気分の波がひどく、自分でも予兆やきっかけが曖昧だからどうしていいか分からない。周囲、特に両親を、困惑させている自覚もあるので居た堪れなさも相まって、余計に苦しい。

「どうして私はあの時、死ねなかったんだろう」

「(死ぬための)知識が足りなかったせいだ」

「こんな馬鹿、生きてる価値ない」

というクセ最強モードのぐるぐる思考も毎日のようにやっている。


 入院中に習慣化した筋トレに30分間のジョギングが追加されたのだが、その動機が「走っている最中は無理矢理にでも呼吸できるから」。体づくりやダイエットで走り込んでいる勢力みなぎる方々に紛れて、強制的に生きる時間の確保という不純な心持ちのランナーがいて申し訳なさはある。


 下記は、走りながら考えたことをまとめたメモの抜粋。


■ ▪︎ ■ ▪︎ ■▪︎ ■ ▪︎ ■ ▪︎ ■ ▪︎ ■▪︎ ■


 半分くらい経ったところで疲れてきて

「少し早いけど一度休憩しようか」

と思い始める。

 1人で走っているから、いつでも好きなタイミングで走るのは止められる。

 走り続けても誰も喜ばないし、止めても誰も困らない。

 そう思うとなんだか気が楽になって、

「もう少し走ってみて本当にキツかったら歩こう」

と、脚と呼吸を止めずに進める。ちょっとスピードも上がったりして。

 あの時は、

「私が止まったら皆んなが迷惑を被るから……」

って無理矢理にでも動き続けてた。

 社会でもこんな風に自分でタスクや目標を決めて動ければいいのに。

 実際、そんな上手くいくことはないんだろうな。

 『夜明けのすべて』という本を読んだけど、そこに出てくる会社は理想郷に過ぎないのだろう。

 私は薄給じゃ満足できないし、精神疾患に関して寛容な人間しかいないコミュニティなんて存在するわけない。

 私だって、自分の病気以外のことは分からないし知ろうともしていない。知ったところで私が背負えることはない。他人の荷物まで背負いたくないし。

 私は今、何の躊躇いもなくリストカットの痕を曝け出して走っているけれど、周りの人はどう思っているんだろう。案外、誰も気づいていないのかもしれない。

 というか、気づかないでほしい。気づいても気づいたことを見せないでほしい。

 気づいたとして、あなたは何かしてくれるの?

 この痕を消す方法を教えてくれるの?

 それとも、私がこの痕を残したことを怒るの?

 どれも私は望んでいない。

 この傷痕は残していたいし、この傷痕をつけた過去を否定したくない。


 ヒトは人生をいろいろなものに例えがちだけど、走っていると目の前にはずっと走路があるから、よく体育館のランニングコースに人生を重ねてしまう。

 至極普通の体育館だから、ランニングコースは円状になっていて、終わりがない。永遠に続いている。

 私にとって、生きることはそんな感じ。

 終われない。苦しくてもずっと進み続けなければいけない。いつになったら終わりが来るの?

 人はいつか死ぬというのなら、「もう満足した」と言っている人間がここにいるのだから近道して『終わり』まで逝かせてくれたっていいじゃないか。

「世界には生きたくても生きられない人々が云々……」

という説教はもう聞き飽きた。

 死にたくても死ねない人間もここにいますよ。寿命を分けられるんだったら私だって喜んで差し上げますよ。もったいないですもんね。ニッポンジンの大好きな『モッタイナイ』。

 いや、死にたいというのとは違うのかもしれない。

 自ら死ににいくのは、過去にやっておいて言えた分際ではないけれど、何というか、はしたない。最近はそう思っている。

 だから、終わりたい。早く終わらせてくれ。もういいから。

 そんなことを考えてたら30分経っていたので、走るのを止めてクールダウンする。こんなに寒いのに汗が噴き出る。

 この中二病臭い考え方も汗と一緒に流れていってくれたらいいのに。

 あ、でもそうしたら更に私の中身がなくなって空洞うろが大きくなってしまうから、よくない気がする。


■ ▪︎ ■ ▪︎ ■▪︎ ■ ▪︎ ■ ▪︎ ■ ▪︎ ■▪︎ ■


 我ながら呆れるけれど、もうこの考え方で生くしかない。




 退院して、いろいろな人に会うたび、

「元気になったの?」

「もう大丈夫なの?」

「この先もずっとこっちで暮らすの? 東京には戻らない?」

と聞かれる。

 本音を返せば引かれてしまうのはわかっているから、

「はい! おかげさまで元気になりました。ご心配おかけしました」

「今はまだ分からないけど、しばらくはこっちで生活するつもりだよ! いつかは業界に戻りたいけど、医者にも焦るなってしつこく言われてるし、親も心配するだろうからね」

と、シャカリキになって返す。相手が期待してそうな答えを、相手が喜びそうな笑顔で読み上げる。


 もう大丈夫なのか? そんなの私が聞きたい。私はもう大丈夫なのか? ニンゲンとして社会に出て大丈夫な存在になれたのか?

 ずっとこっちで暮らすのか? 私が知りたい。いつになったらまたここを出て大好きな仕事に戻れるの? 私はこの先もずっとこのド田舎から出られずに腐っていくの? やっとあっちに出て夢を叶えたのに。

 もう元気になって生き生き暮らしているフリをするのに、疲れてしまった。

 こんな田舎で生活するのは不本意だけど、嫌だけど、馴染まなければいけないから、バイトを探したり、車の運転を練習したり、生きていくための努力をしている。そして、前のように上手くいかなくて落ち込んでいる。

 生きたくもないのに、自分から生活のために頑張って失敗して、バカみたい。最早、屈辱的だ。


 書きたいように書き殴ってしまったが、これが『精神科の閉鎖病棟』に入院したとあるうつ病患者の現状だ。

 私も自分自身で「ネガティブ通り越してダークマターかよ」と思って笑って書いているので、「こんな生物もいるのか」と思う程度にあしらっていただきたい。

 



 ここまで散々愚痴を喚き散らしておいて何だが、入院したての絶不調期に比べたら、こんなに回復したことをいろんな方々に喜んでいただいたし、何より自分でいちばん驚いている。

 こんな風に冗談を交えて自分のことを曝け出したり、大声で笑ったりできるようになるなんて、あの時は考えようともしなかった。

 

 もし、プライベートで私と親交のある方、入院中に多大なご心配をおかけした友人たち、そして、私が病棟にいた頃に少しでも関わってくださった職員さん・患者さんがこの文章にたどり着いて読んでくださっていたら、あの時伝えきれなかったお礼をここで述べさせていただきたい。

 まだまだ練習中だけど、私は生きて呼吸を続けています。

 こんな私をまた生きる道に引き戻してくださって、本当にありがとうございました。


 最後に、私と同じような症状、病気、その他の精神疾患で悩んでいる方や、身の回りに悩んでいる人がいる方に伝えたいのは、『精神科の閉鎖病棟』に入院することは、決して『最悪の事態』なんかではない。本当に苦しかったら、自分の、大切な人の背中を押してあげてほしい。

 また、精神疾患に対して穿った見方をしてしまう私たちへ。『非常識』に思えるその行動は、本人も症状として苦しんでいるのかもしれない。だからといってモラルのない人間を全て善しと許すのはまた違うが、ほんの少しだけ、そんな事情がある可能性を脳の片隅に入れておくことは出来るのではないだろうか。


 私のこの長文駄文の私小説がそんなきっかけになることを願って、最後は神戸ショコラからもらった激励の言葉で締めようと思う。

 結局は、彼の言葉に尽きるのだ。

 

「周りのことは気にするな!!!!」



 2024年春

                        雨季日向

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閉鎖病棟より、愛をこめて。 雨季日向 @chicadesol

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