第3章 4話「宮殿の修繕」

 二度目の田植えの時期を迎えた頃、難波の堀江の工事が佳境を迎えた。

 土手に最後の石を敷き詰める時は、スメラミコトも立ち会った。

 弓月君(ユヅキノキミ)が作業が終わったことを手で合図すると、見守っていた人夫たちからは雄叫びのような歓声があがった。

 スメラミコトは完成した堀江を感慨深く眺め、そして人夫たちを労った。よく大きな事故も起こらず完成させてくれたと、ひとえに人夫や技術者たちのおかげであると。

 後日、弓月君らを高津宮へ招き、正式な報告をさせた。


「よくぞわれが思い描いたどおりの堀江を完成させてくれた」


「ありがたきお言葉。無事工事を終えられスメラミコトに報告できたことを誇りに思いマス」


 弓月君らの一行が頭をさげた。

 はじめこの宮に招いた時は、どこか怯えているような様子も伺えたが、今は態度にも余裕が見られ、たしかに誇らしげな表情をしていた。


「しかし、わたしたちもスメラミコトさまに感謝せずにはいられないのでありマス」


「なぜだ?われはなにもしてはおらぬぞ」


「いえ、工事が滞りもなく進んだのは、なにより倭国の技術者や人夫たちの働きがすべてでありました。民は上のものに従います。上のものに仁と徳がなければ…」


「ほう…」


 ここでもまたあの言葉が出てきたことに驚いた。


「しかし、スメラミコトさまにお詫びせねばならぬことも…」


 弓月君は眉間に皺をよせた。


「茨田(まむた)の堤(つつみ)はまだ完成に至っておりまセヌ」


「そうであったな…」


 堤の工事は難航していると報告は受けていた。どうしても一部で堤を築こうとも崩れてしまう個所があるらしい。


「ただ難波の堀江が完成しましたので、そちらに人手を集中させることができマス。完成はそう遠くはないでありましょう」


「うむ。おぬしたちに任せる。なにか問題が起これば、すぐわれに知らせてくれ」


「はい」


 弓月君らの一行は、再度深々と頭をさげた。





 堀江が完成したことをきっかけに、スメラミコトは調の徴収を再開すると宣言した。

 六年ぶりのことであった。


「各地方の国造や県主にもよく耐えたと、労いの言葉をやってくれ」


 スメラミコトは武内宿禰にそう指示した。

 それから数日後のことであった。

 朝から外が騒がしいのでスメラミコトが宮殿から出ると、血相をかえた武内宿禰と舎人が殿下に駆け付けた。


「どうしたのだ?」


 スメラミコトが訊ねると、武内宿禰は息を整え答えた。


「民たちだ。大勢の民が宮の外に押し寄せているのだ」


「…!?」


「あの数では、さすがに久米部の兵でも…」


「よし。われが行く」


 武内宿禰は止めたがスメラミコトはそれを制止し、殿下に下った。

 門の前に向かうと、たしかに立ち塞がる兵の向こうに大勢の人影が見えた。スメラミコトが姿を見せると、ざわめきが起こり、「あっ、スメラミコトさま」「出てこられたぞ」と声が矢継ぎ早に聞こえてきた。

「静まるように!」と兵の怒声が飛ぶ。

「まぁまぁ」とスメラミコトは久米部の兵をなだめながら近づき、


「いつからこのように民が集まった?」


 と訪ねた。

 兵は驚いて振り返ると、


「ひ…陽が上がるころにはぽつぽつと現れ、いつの間にや一気に…でございます」と答えた。


「うむ」


 スメラミコトはうなずきながら門の前に立つと、よく通る声で「皆どうしたのだ?」と問うた。

 集まっていた民も、まさか直接スメラミコトから問われると思っていなかったのか、一同一斉に黙りこんだあと、しばらく互いに見合い、そして口々に何かを言い始めた。


「待て待て、そんな皆が一気にしゃべったら何を言っとるのかわからぬ」


 スメラミコトが笑いながら言った。


「誰かまとめ役のものはおらぬのか?」


 みかねた武内宿禰が一歩前に出て民に問うた。

 すると、前にいた大柄な男が「おらが」と手をあげる。

 武内宿禰が指示すると、男は兵にまるで捕えられたような恰好で門の中に入ってきた。

 男はスメラミコトの前にひざまつくと、


「スメラミコトさまのおかげでおらたちの暮らしも豊かになりました。むしろ余分な蓄えが出来たほどです」


 と声を少し震わせながらも力強く言った。そして続けた。


「スメラミコトさまが、そんな痛んだ宮殿に住んでおられてはおらたちの気が休まりません。ぜひおらたちの手で直させてもらいたいと思い。やってきたのでございます」


 男が言い終わると、武内宿禰と久米部の兵たちは拍子抜けたような顔をし、


「なんだ攻めてきたのではないかと」


 とつぶやき、スメラミコトを見た。

 スメラミコトは勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべ、


「なるほど。おぬしたちがそこまで言うのなら、宮殿を直すことを許そう」


 と言った。すると、「おぉ」と門の外の群衆からどよめきがあがった。

 ひざまついていた男は顔をあげ、「はっ」と返事をしたのち、また兵に捕えられるようにして門の外に出て行った。

 こうして、民たちによる高津宮の改築修繕が行われることになったのであった。

 その間、スメラミコトは磐之媛を一時的に葛城に帰そうとしたが、磐之媛は断固としてそれを拒否した。仕方なく、普段舎人が寝泊りする建物を借り住まいにすることとした。

 しかし、そのおかげで民が宮殿を立て直す様子が逐一見ることができたのは、スメラミコトとしては退屈せず、興味深いことであった。

 日に日に宮の中には木材が運びこばれてきては積み上げられていくが、運び手の中には娘や子供の姿もあった。子供は無邪気にスメラミコトに挨拶にくる。大人たちは止めては叱ったが、スメラミコトは子供の相手をして話を聞いた。話の内容は要領をえなくなにを言っているのか分からないことがほとんどであったが、スメラミコトはその度に「はははっ」と笑い、子供らもそれにつられて笑った。

 さらにおかしかったのは、磐之媛が姿を見せると子供らが散っていくことだった。


「ふん。可愛くないものたち」


 と磐之媛は言い捨てたが、本心でそうは思っていないことはスメラミコトはわかっていた。次第に子供らも磐之媛の姿を見ても逃げることはなくなった。

 高津宮の修繕が終わるとほぼ同時に、茨田の堤の工事も終えたことが伝えられた。

 スメラミコトは木の香りがする宮殿で、弓月君一行を迎え報告を受けた。


「ごくろうであった。われの思っていたとおりのことになった」


 一同は頭をさげ、そして顔をあげた。

 その表情には、この難工事をやり遂げた誇らしさと共に、どこか寂しげなものもあった。おそらく工事が終われば役目も終わり、今の倭国との技術集団も解散することになるからと考えているのであろう。しかし、心配はいらぬとスメラミコトは内心で一同に声をかけた。なぜなら、この連帯を今断ち切るのを最ももったいないと感じていたのはスメラミコト自身だったからである。すでに次なる構想もあった。


「おぬしらの力を見込んで、われはさらに工事を任せたいと思っておる」


 そう宣言すると、一同は驚いた顔をし、しかし互いに見合うと安堵するように顔をほころばせた。やはり、われの思ったとおりであった。


「この高津宮から南の丹比野郡片足羽(かたしわ)までの大道を整備したい。そして、その先で合流している大和川と石川から感玖(こむく)の海岸までの大溝を掘ってほしいのだ」


 これこそ、スメラミコトが幼い頃から思い描いていた構想であった。ついにそれを実現させるときがきたのである。片足羽がスメラミコトにとって故郷であるから思い入れがあるのでだけではない。もともとスメラ族が河内へ進出したのは難波までの航路をつなぐためのもの。大和川と石川が合流する片足羽は重要な地であり、今もそれは変わらなかった。むしろその重要性は高まっている。

 しかし、ひとたび大和川が氾濫を起こせば片足羽は被害をうけ、元に戻るまでに年月がかかった。その度に河内の開拓、および大和にとっても足かせになっていた。

 大道は氾濫に備え大和川が使えなくなったときの代替の輸送路である。そして大溝は、そもそも氾濫を起こさぬための排水路であった。また新たな水路を作れば下流地域への水の分配も行え、開拓を拡大させることもできるであろう。

 これを実現させるためには、難波の堀江や茨田の堤の比ではない大工事になろうことは容易に予想がついた。年月も相当かかるであろう。今度こそわれの生きているうちに叶わぬかもしれぬ。しかし、難波、河内、そして大和の先のことを見据えるならば、われの次や代や、またその次の代のために、今しなければならないことなのであった。

 弓月君の一同は、はじめは開いた口が塞がらないという感じで驚いた顔をしていたが、次第に真剣なまなざしになった。きっと、すでに頭の中で工事の具体的な構想を練っているのであろう。


「できるか?」


 スメラミコトは、あえてただそう訊いた。

 今は、その意志こそが大切であった。

 弓月君は少し考えるそぶりをしてから、なにかに気付いたように顔をあげた。

 そして言った。


「われわれのすべてをかけて成し得てみせましょう」


 スメラミコトは満足気にうなずいたのであった。

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