第3章 3話 「弓月君」

 弓月君(ユヅキノキミ)の一行が高津宮にやってきた。

 三人組であった。一族を束ねる長と技術者たちらしい。

 彼らはもれなく頭に不思議なものを被っていた。そのせいもあってか、背丈も異様に高いように見える。顔つきは独特で目元が窪み、鼻が高かった。なにより驚くのは、瞳の色が違うことであった。彼らはスメラミコトと武内宿禰の前に整列すると、うやうやしく頭をさげた。


「よくぞはるばるとわれの元に参ってくれた。葛城からは遠かったであろう」


 スメラミコトはそう言いながら目線を泳がせた。通訳のものを探したのである。異国の者は違う言葉を使う。しかし、それらしき者はいないようだった。困ったな、と背後の武内宿禰の方を向くも、武内宿禰もただ首をかしげるだけだった。すると、


「ワレらは大陸を旅してきた一族でありマス。これほどの距離は大したことではありまセヌ」


 と正面の白髭を生やした男が倭国の言葉で話した。


「倭国の言葉を話せるのか?」


「ハイ。もうコチラにやってきてからかなりの時を過ごしまシタので」


白髭の男はうなずく。言葉に独特の抑揚はあったが意味は充分に通じた。


「おぬしが弓月君であるのだな?」


「えぇ。そうでありマス」


 白髭の男はさらに深く頭をさげた。


「では話は早い。われはこの難波を大きく変えたいと思っておる。台地を掘削し河内湖の水を排水させ、淀川には長大な堤防を築くのだ。これまで倭国でも類がないほどの大規模な工事になろう。おぬしらは異国でいろんな技術を学んできたと聞いた。われの今の話は可能であろうか?」


 スメラミコトが訊ねると、弓月君は他の二人と顔を合わせ、なにか相談するように言葉を交わした。どうやら一族の者同士のときは異国の言葉で話すらしい。次第に口調が強くなった。なにを話しているのかはわからないが、おそらく意見がわかれているのであろう。弓月君が説得するように身振り手振りで話す。なんとなくその様子が、子供らが喧嘩し合うようで、スメラミコトは少し微笑ましく眺めた。

 やがて話がまとまったようで、弓月君はスメラミコトの方を向いた。


「我々は、はるか大陸の西から旅をしてきまシタ。山脈の先に見えぬほどつらなる城壁や、空に届くがごとく巨石を積み上げられた人工の山。もちろん、大きな運河、川の流れを変える巨大な堤防もこの目で見てきまシタ。それを見てきて思うのは、人には出来ないことはないということであります。倭国には元々掘削と石を積み上げる技術があったヨウで…」


「ほう。纏向を見たのか?」


「ハイ。あの光景は、他の大陸のどこの国にもないもので驚きまシタ。倭国は緑にあふれ山々に囲まれています。その中に溶け込んでいるのが素晴らしい」


「われは大陸の国を見たことがないのでわからないが、おぬしたちが言うのであればそうなのであろう」


「しかし…」


 と弓月君は言葉をつなぎ、


「纏向とこの地ではまた条件が違うようデス」


「うむ。ここは山に囲まれた大和とは違うからな。よし、表に出てわれが説明しよう」


 スメラミコトは宮殿から出て、弓月君の一行を難波を一望できる台地の端に案内した。


「これが河内湖だ。かつてはもっと大きく海とつながり海水も流れ込んでいたという。今はこの北の台地の開口部が狭まったのでそのようなことはないが、故に淀川や大和川の水位が上がれば、この湾の内は水が溢れてしまう。その度に農地を開拓しなおさなければならないのだ。難波がこれほど広大でありながら痩せた地なのは、そのせいである。われはこの地に訪れた時から思っておった。この河内湖の水を無くし、すべて農地に変えることができればどれほど豊かにすることができるであろうかと」


 弓月君の一行は、互いに異国の言葉を交わしながら、河内湖を望んだ。


「この先の台地に堀江をつくり、河内湖の水を海へ排水したいのだ」


 スメラミコトがそう説明すると、一行は押し黙り、真剣なまなざしで眼下を見つめた。

 そして、また異国の言葉で相談し合う。今度は長かった。

 スメラミコトと武内宿禰は終わるのを待った。次第に言い争いのようにもなる。さすがに止めに入ろうと武内宿禰は動いたが、スメラミコトはそれを制した。やがて、話はまとまったようで弓月君はスメラミコトの方を向いた。


「しっかりと地形を調べてみなければわかりませぬが、可能でありまショウ」


 武内宿禰が近づき耳打ちする。


「スメラミコトよ、良いのか?異国のものに倭国の、しかも宮のある難波の地形を熟知させて…」


 武内宿禰の進言することは理解できた。

 しかし、弓月君らはすでに倭国に帰属し、倭国の民である。

「彼らは大丈夫だ」と答えた。

 スメラミコトは弓月君の一行らに、満足いくまで徹底的に調べてくれて構わないと許した。

 次に、淀川の茨田(まむた)の方へも案内した。

 少し高台から淀川を望む。淀川は近江からいくつもの支流を束ねて流れてくる川で、川幅は大和川をはるかにしのでいた。いつも淀んでいるので淀川と呼んだが、ここしばらくは穏やかだったのでそれほどでもない。その雄大に流れる姿は、不思議と心が落ち着き安らいだ。しかし、ひとたび大雨が降ると恐ろしい姿へと変わるのだ。


「この川に沿って堤(つつみ)を築きたいのだ」


 スメラミコトが言うと、弓月君ら一行はどよめいた。

 そして、また言い争いになった。

 さすがに弓月君以外の二人が殴り合いをせんばかりに互いに迫ったので、武内宿禰が間を割って止めに入った。

 弓月君は「申し訳ありまセヌ」と謝り、


「ここまでの規模の川とは思っておりませんでシタ。これほどまでの規模となると、何千人、いや何万人の人夫(にんぷ)が必要となりまショウ」


 と途方にくれた顔をした。

 まるで戦だと…、スメラミコトは口に出しそうになって止めた。

 しかし、そのとおりであった。これは、われらがカミに挑む戦なのだ。


「人を集めるのはわれの役目である。難波の発展は倭国の発展そのものを意味する。必ず多くの者を集めることを約束しよう」


 スメラミコトは自らに言い聞かせるようにもそう言った。

 弓月君らの一行も、互いに覚悟を決めるようにうなずき合った。


「ならば難波の堀江も、淀川の堤も可能でありまショウ」





 こうして、倭国始まって以来の規模となる堀江と堤防の工事が始まった。

 年が明け、田植えの時期が過ぎると続々と難波に人夫が集まってきた。

 高津宮からはその一部始終を見ることが出来た。日に日に集まり増える人。これほどの人の群れを難波で見るのは初めてだった。周辺の邑は人夫で溢れた。

 実際に上町台地の掘削がはじまると、掛け声、怒声が絶え間なく聞こえてくるようになり、砂埃、土煙が舞いあがり、空が霞んで見えた。

 スメラミコトは何度か、弓月君に率いられて掘削の現場を説明をうけながら見た。男たちが汗水を垂らしながら延々と作業をしている。台地の土手を鉄の鍬で掘削するもの、その土砂を運び出すもの、そしてそれを茨田まで運んでいくもの。その列がはるか先まで続いていた。まるで蟻の行列がいくつもあるようであった。


「この偉業は各地に言い伝えられるであろうな」


 スメラミコトと共に高津宮から望んだ武内宿禰が言った。


「堀江におまえの名を付けてみてはどうだ?大鷦鷯川とか?」


「なぜそんなことをする必要がある?」


「そうすれば、おまえの名を後世に残せるであろう」


 スメラミコトは顔と手を振った。


「われは別に、われの名を残すためにこの工事を起こしたわけではない。民の暮らしを安定させ、疲弊した倭国を蘇らそうと思ったばかりのこと」


「ふん。おまえらしいな」


 武内宿禰は苦笑する。


「しかし、たしかにのちの世になりスメラ族が絶えようとも、この堀江は残るであろうな。そして次の王がまたこの地に城を築き…」


「…おいおい、冗談でもそんなこと申すのはよせ」


 武内宿禰は真顔で睨んだ。


「そうであるな」


「今のは聞かなかったことにしよう」


「うむ。われもなにも言っておらぬことにしよう」


「まぁ、おれたちがなにもしなくとも、勝手に民たちがこの偉業を語りつぐであろう。おまえの名と共に。もし、忘れ去られた時がくるとすれば、それはこの倭国の終わりの時である」


「……」


 スメラミコトは武内宿禰の顔を見たが、なにも言わなかった。

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