第2章 8話「大山守」

 殯宮が完成し、宮に務めた女孺や舎人、久米部の兵が隊列を組んでスメラミコトの亡骸を運んだ。

 殯の祭礼は穢れの儀であるから、御子である大鷦鷯たちは参列できない。遠目でその様子を見守ったあと、各自それぞれの宮に帰った。

 しばらくして、殯宮の祭祀が終わったと大和から報が入った。

 大鷦鷯は日々落ち着かぬ様子で、稚郎子が正式にスメラミコトに即位したという報を待った。しかし、待てど暮らせど、その報は届かなかった。


「やつはなにをしておるのだ」


 大鷦鷯は苛立ちを隠せず、ことあるごとに何度も悪態をついた。

 そんな折のことである。平群木兎が深刻な顔をして高津宮を訪ねてきた。


「どうした木兎。腹の調子でも悪いのか?」


 平群木兎は言葉を発せず、ただ首を横に振った。


「ではどうしたんや?そんな怖い顔をして…」


「……」


 平群木兎は何か言おうとして躊躇するそぶりを見せた。

 ようやく大鷦鷯も、その平群木兎の只ならぬ様子に、なにか深刻なことが起きているのだと察した。様々なことが頭をよぎり、いろいろ最悪のことを考えてみたが思いが定まらない。平群木兎が意を決するのを待った。


「大鷦鷯よ…」


 平群木兎がついに言葉を発した。大鷦鷯はうなずき答える。そして先を促した。


「大長守が那羅山(ならやま)にて挙兵した」


「なにっ!!!????」


 大鷦鷯の大声に平群木兎は仰け反った。そして互いに目を見合う。平群木兎の目は真剣そのものであった。嘘を言っている目ではない。


「…一体、どういうことなのや?兄上が那羅山で挙兵しただと…?何に対して?」


「稚郎子を討つためだ」


「なっ……」


 大鷦鷯は絶句し、固まった。

 那羅山は、大和の北を山背(やましろ)と分ける山で、かつて第十代スメラミコトの時代に、武埴安彦(タケハニヤスニコ)が反逆をおこし、大彦と激戦を繰り広げた地でもあった。兵によって草木が踏み“なら”されたので、那羅山と呼ばれるようになったというが、長らく兄上はその大和の北を護る役目を担っていた。それがまさか、自らが挙兵し山背に攻め込むとは…。兄上が海人部と山守部と束ねる役目を与えられたことに、納得していないことは軽島豊明宮での態度を見てもわかっていたことであったが、そこまで思いつめていたとは…。兄上は、自らがスメラミコトを継承すると信じて疑っていなかったのであろう。それは大鷦鷯も同じであったので思いはわかる。しかし、父上の遺言ではないか…。


「兄上はなにを血迷ったのか…」


「おまえが想像している以上に、スメラミコトの継承については大和では問題になっていた。誰しもが長子の大長守が継承すると思っていたからな。大長守はスメラミコトの生前から、そう言いふらしもしていた。それが結果的には覆されたわけだからな…。周りの落胆も大きかった……」


 平群木兎がなにかを言いかけてやめた。


「なんだ?気にせず言え」


 大鷦鷯が促した。それでも平群木兎は躊躇するようにしてから、


「“大山守”と揶揄するものもいたそうだ」


 と言った。


「大山守…」


 大鷦鷯は、思わずうまいこと言うなと感心しかけて、すぐにそのことを恥じた。

 きっと真っ直ぐな兄上のことだ。そんな揶揄をされていると知れば取り乱したことであろう。兄上は裏表がないが、逆に言えば見境のないところがある。今思えば、父上はそんな兄上のことを見透かしていたのであろうか…。

 事実、兄上は大きな間違いを犯そうとしている。

 稚郎子はスメラミコトが遺言で名指した正式な継承者だ。スメラミコトへの反逆は倭国においては最も罪が重い。たとえ兄が稚郎子を討ち取っても、その先はないに等しい。


「兄上を止めなければ…」


「それは難しいであろう。那羅山はすでに近づくことすら危険だ」


「われが直接、兄上の説得に向えば…」


「待て!おまえがいけば余計に話がややこしくなる」


「なぜだ!?われに兄上の挙兵のことを伝えにきたのは、兄上を止めるためであろう?」


 平群木兎が押し黙った。


「…違うのか?」


 平群木兎は、大きく吐息して言った。


「大長守の側からすれば、稚郎子と大鷦鷯が反逆者ということになるのだ。おまえが挙兵のことを知らなかったのが証拠だ。菟道の次はここを攻めてくることであろう…。おれはおまえにそれを真っ先に知らせにきたのだ」


「つまり、われに兵を向える準備をせよと?」


 平群木兎がうなずいた。

 大鷦鷯は、唾をごくりと飲み込む。


「…稚郎子は、兄上が挙兵したことを知っているのか?」


「報は届いているであろう。大長守の挙兵が漏れたのも密告だからな」


「密告?」


「あぁ。大長守に仕えている兵がことの重大さに慄き、逃れてきて平群に報告してきたのだ。おそらく菟道の方へ走ったものもいるはず…」


「兄上…」


 大鷦鷯は大長守が置かれている絶望的な状況を憂うしかなかった。





 それからしばらくして、平群木兎によって大鷦鷯に届けられた報は、大長守の悲劇的な最後を知らせるものであった。

 大長守が率いた軍は、夜更けに菟道に向けて行軍したという。その様子は、闇の中に不気味に甲冑の擦れる音だけが鳴り、まるで巨大なムカデが山を這うようであったそうだ。兵の志気は高かった。大長守は稚郎子こそが反逆者として説き、自らがスメラミコトとなれば兵たちを重鎮につかわすと約束していたからだ。

 東の空が明るくなる頃に、菟道川(うじがわ)のほとりに到着した軍は、川を隔てて稚郎子の桐原日桁宮(きりはらひげたのみや)を睨んだ。すると途端に霧が出たという。大長守はカミも自身を味方していると兵に向けて豪語したという。

 大長守は、軍を河の土手の上に潜まさせると、自らが先陣を切るため、甲冑を脱ぎ、旅人を装い渡し船に乗った。兵たちは徐々に霧の中に消えていく大長守の姿を固唾を呑み見守った。船が河の中ほどを過ぎた時だった。にわかに船上で異常が起こったという。しぶきをあげ川に何かが落ちるのを兵たちは見たのだ。しかし、待機を指示された兵たちは動くことはできなかった。やがて霧が晴れてきて、兵たちはその状況を飲み込めた。渡し船の上に大長守の姿はなく、そこにいたのは稚郎子。渡り船の渡守として乗り込んでいたのは稚郎子だったのである。


「待ち伏せだ!」


「逃げろ!」


 大長守の兵は一気に乱れた。しかし遅かった。すでに稚郎子の兵に取り囲まれていたのだ。

 一方、船から落された大長守は必死に泳ぎ、対岸に渡ろうとしたが、待ち構えていたのは稚郎子の兵であった。大長守は力尽き、河の中に消えていったという。

 遺骸は川下で引き上げられた。そして那羅山に葬られた。

 殯も行わず、見せつけのように葬る容赦のなさは、まさに反逆者の扱いであった。

 大鷦鷯はうなだれてそれを聞いた。あまりに哀れな兄上の最後であった。悲しみも怒りも起こらない。ただただ空しかった。


「早急に抑えられたことは不幸中の幸いであった。長引けば倭国に与えた損害が計り知れない。その点では、さすが稚郎子であったということか…」


 平群木兎が言った。それは、大鷦鷯も同感ではあった。

 あの稚郎子のことだ。巧妙に計画してのことだったのであろう。兄上がなんの疑いも持たず渡し船に乗るというのも不自然であるし、きっと、霧が起こることさえ予知していたに違いない。天候も戦術を左右させる大きな要素であった。やはり稚郎子こそがスメラミコトに相応しい。父上の考えは間違っていなかったのだ。兄上の死は悲しいが、唯一望みがあるとすれば、稚郎子が兄上を討ったことで、その決意を知らしめたということであろう。

 大鷦鷯は顔をあげ、平群木兎の顔を見た。

 そこには感情の読めない、ただじっとこちらを見つめる顔があった。

 幼い頃は、どちらかといえば平群木兎の方が軟弱で、いつも大鷦鷯が手を引っ張っていた。そして、なにかあるとよく泣きべそをかいた。その面影は、もはやまったくなかった。

 大鷦鷯はさらに考えた。スメラミコトの補佐を務める武内宿禰の役目…。それこそ、平群木兎がふさわしいのではないのか。

 しかし、口にはしなかった。今はまだ…。

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