第2章 6話「問いかけ」

 軽島豊明宮に着く手前で、兄上の大長守と偶然出くわした。


「大鷦鷯ではないか!?お、おぬしなんちゅう恰好をしておる」


 大長守は両手をひろげ、呆気にとられた顔で言った。となりにいた舎人も驚いた顔をしている。

 大鷦鷯は泥だらけの衣のはたきながら、


「まぁ、いろいろあってな」


 と弁解した。


「難波から着の身着のまま駈けてきたということか…?たしかに早い到着であるな…。それは良い心がけであるが」


「……」


 大鷦鷯は大らかな兄上でよかったと胸をなでおろす。もし出くわしたのが、あのめんどくさい弟であったなら…。


「では参るか」


 大長守が手招きし先導して歩いた。大鷦鷯と鴨族の舎人は続いた。

 軽島豊明宮の門に着くと久米部の兵が立ちはだかった。

 大長守が名乗る。すると、


「そのものは何者だ?」


 と兵があごをしゃくり大鷦鷯を方を指した。


「失礼だぞ、これでも御子の大鷦鷯だ」


 と大長守が一喝した。

 兵は動ずることなく大鷦鷯をじっと見る。そして、入れ!と指示をした。

 改めて、大鷦鷯は兄上と出くわしてよかったと痛感した。久米部の兵は、まだ不審なものを見るような目で見ている。ただ、兄上の“これでも”というのは余計だと思ったが…。仕方がない。泥だらけで来たわれが悪いのだ。

 正面の宮殿をめざし歩いていくと、平群木菟がこちらに向かってくるのが見えた。

 平群木菟は大長守と握手をして迎えた。そしてうしろを見ては、


「おまえ大鷦鷯か!?どうしたんだ!その恰好は…?」


 と平群木菟も呆気にとられた顔で見た。


「…獣にでも襲われたのか?」


「いや…」


 大鷦鷯は首を振る。


「着の身着のまま急いでやってきたらしいぞ。難波から来てわれと着くのがほぼ同じだったからな」


 大長守がそう言って「がはは」と笑った。

 平群木菟は納得いかないように首をかしげ、目で「本当はなにがあった?」と問うていた。大鷦鷯は「あとで話す」と目で返した。平群木菟は小さくうなずく。伝わったようであった。


「さすがにまだ稚郎子は到着していないようだな?」


 大長守が言った。

 大鷦鷯はその名を聞いて、ビクッと肩を震わせた。


「あぁ、まだだ。到着次第、后の仲姫が話をされる」


 平群木菟が言うと、大長守が驚き、


「母上が…。ち…スメラミコトはそれほど容体が悪いのか?」


 と平群木菟に迫った。平群木菟は無言でうなずいた。


「……」


 大長守は絶句する。


「では仕方ない。稚郎子を待つしかないか…」


 大鷦鷯が力なく言うと、平群木菟と大長守がこちらを見た。

 平群木菟は、上から下へと大鷦鷯を舐めるように見て、


「その前に…、大鷦鷯は着替えした方がよいな」


 と軽く微笑んだ。

 大長守も振り返り、大鷦鷯の姿を見ては、「そうだな」と答えた。

 二人の目線に晒され、大鷦鷯は「すまぬ」と頭を掻いた。土がポロポロと落ちた。





 稚郎子は、翌日になって到着した。

 まるで申し合わせたように、スメラミコトが目を覚ましたと伝えられた。

 大鷦鷯としては、久しぶりに母上と話せる機会を失ってしまったことと、二重で悔やむ気持ちが湧いた。

 正装に着替え、宮殿の前で、大長守、大鷦鷯、稚郎子の三人は顔を合わせた。

 久しぶりに見る稚郎子の姿は、背が高くなっただけで依然とそれほど印象は変わらなかったが、彫りの深い顔つきはより際立ち、弟とは思えない貫禄が備わったいた。細く伸びた足と腕が印象的で、横に並ぶと背は変わらないのに高く見える。白い肌はまるで娘のようだった。

 三人は互いにうなずきあっただけで、言葉なく殿上にあがった。

 女孺に案内され、スメラミコトの寝室に入った。父上は臥せっていた。三人がその前に座しても起き上がることはなく、そのまま顔だけをこちらに向けた。


「久しぶりにわが御子が揃うのを見たな」


 弱々しい声だった。でもよく通った。帳の隙間から差し込む陽に照らされる顔は少し微笑んだかようにも見えた。


「大長守は那羅山より、大鷦鷯は難波津より、稚郎子は菟道よりはるばるご苦労であった」


 三人は静かに頭を下げた。


「大長守よ、わが子は可愛いか?」


 唐突に、スメラミコトはそう問うた。

 大長守は驚いて顔を上げた。大鷦鷯も上げた。ちらりと稚郎子の方を見ると、稚郎子は深く頭をさげたままであった。

 間があって、


「はい。わが子は可愛いものです」


 と大長守が返答した。

 スメラミコトは、「そうか」と大きく瞬きをし、


「では、年長と年少の子では、どちらが可愛いと思うか?」


 とさらに問うた。

 大長守は、今度は間を置かずに返した。


「それは、年長の子の方が手を掛けたので可愛いものです」


 スメラミコトはゆっくりと目を閉じた。大長守は自慢げに胸を張っていた。大鷦鷯は構えた。次はわれの番だ。一体どんな問いが来るのか…。

 スメラミコトは目をあけ、大鷦鷯の方に視線を向けた。


「大鷦鷯、わが子は可愛いか?」


 同じ問いであった。大鷦鷯はうつむいて押し黙る。

 この父上の急な問いかけの意味を考えていた。唐突であまりに不自然だったからだ。単純に年長と年少のどちらが可愛いかの、そんな問いではないと直感で感じたからだった。

 先日、大鷦鷯も妃の髪長媛が第二子を産んだばかりであった。どちらが可愛いか、そんなものは訊かれれば、どちらも可愛いと答えるに決まっている。ただスメラミコトの御子であるわれらが考えるべきは、感情ではなく跡継ぎのことであった。跡継ぎ、つまり次期スメラミコト。今までの慣例でいけば長子が優先された。そんな当たり前のこと、なぜ父上は問うのか。今さらスメラミコトが御子を前にして感情を吐露するとは思えなかった。それが大鷦鷯が不自然と感じた原因であった。つまり、この問いの答えは、当たり前ではないということ…。

 大鷦鷯は、「はっ」と息を飲んだ。

 まさか…父上が次期スメラミコトに考えているのは稚郎子のことなのではないのか。

 なぜ父上が稚郎子のために、わざわざ異国から師を招いていたのか。その思い入れようにこれでつじつまが合う気がした。あるいはもっと単純に、父上が行幸先で見初めた矢河枝比売(ヤカハエヒメ)。惚れた娘の子であるから…。大鷦鷯にはその思いが理解できた。われもきっと、髪長媛との子を跡継ぎに選ぶかもしれない。

 しかし、すでにいる兄を二人も飛び越えて、年少の稚郎子をスメラミコトにさせるのは破格のことであった。いや、だからこそわれらに問うているのだ。

 父上は、「年少のものの方が可愛い」、そうわれの口から言ってほしいのだ。

 大鷦鷯は、髪長媛を妃として認めてもらった貸しがあった。そして、自身はスメラミコトになるつもりはなかった。稚郎子、たしかに生意気でいけ好かない奴ではあるが、葛城襲津彦も言ったように、これからの倭国を率いていくには、それくらいの気概が必要なのかもしれない。

 大鷦鷯の答えは決まった。


「そら、年少の子の方が可愛いでしょう。年長の子は、もうしっかりとしてますし心配ありません。しかし、年小の子は、われの子もまだ生まれてばかりでありますが、いろいろ心配で可愛く思えるのであります」


 スメラミコトの目が潤んでいた。大鷦鷯は思わず目を反らした。

 その後、父は稚郎子には同じ問いをしなかった。それが答えであった。

 稚郎子は顔を青ざめさせて、思いつめたような顔をしていた。

 おそらく、“頭が良い”弟のことである、先ほどの父上の問いかけの意味を充分に察したのであろう。

 大長守だけが、終始首をかしげて納得していない様子であった。

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