盗み聞き



「まさか俺にこんな弱点があったなんて……」


「心中お察ししますぞ、八俣氏」


「草」


島キャンプ二日目。

智彦達は遅めの朝食であるラピュタパンを頬張った後、島の沿岸部を訪れていた。

目的は、釣りだ。

昼食の為に三人は釣り糸を垂らしていた……のだが。


釣れないのだ。

智彦だけ、全く。


魚がいない、わけではない。

上村と紗季のウキは頻繁に動き、良い釣果を残している。

子供時代はため池にてフナ等を釣っていたため、下手というわけでもない。


ならば何故?

それを解き明かしたのは、紗季が呟いた「魚が怯えている」という言葉であった。

智彦が近くにいると、上村と紗季も釣れない。

逆に距離を取ると、智彦から逃げてきた魚が二人の針にかかる。

それが、続いていたのだ。


「力は完全に抑えてるのに。虫や動物は特に問題無いのに……」


富田村を脱したあの頃ならばともかく。

アガレス指導の下、現在は完全に力を制御できている……はずであった。

首を垂れる智彦を見ながら、上村は何かを思い出し……再び、気の毒そうに智彦へと言葉をかける。


「あいや、八俣氏、その……変な表現ですが、虫はその、八俣氏に近づかぬよう距離を保ってた、と言うか」

「うん……だから快適だった」


「……どう、いう、意味」


上村の言葉を基に、智彦は昨晩の事を……いや、日常生活を振り返る。

虫は日常生活の中に、確かに居た。

居たのだが……。


「家で蜘蛛の巣を見ないし、室内にカメムシが入り込んでないし、蚊に刺されてない……?」


思えばバーベキュー時も、テント内も、虫の乱入が全く無かったのだ。

あの頭の上をぶんぶんと付いてくる、小さな虫も。

以前、腕を滑走路にされたあの虫も。

唖然とした智彦の視線を受け、上村と紗季は大仰に頷く。


「八俣氏に近づかない感じですな。ただ、遠くからこう……眺めている?」

「美術品を見るような扱い。……蟲が畏怖を抱いている。異常」


別に今は・・食べたりしないんだけどなぁ、と。

智彦は未だ微動だにしないウキをぼんやりと眺めた。


「……動物は? もしかして動物からもそんな感じなのかな、謙介」


智彦からの問いに上村は改めて眉を下げ、言い辛そうに残酷な現実を打ち明けた。


「残念ながら……、服従、ですな」

「そんな……!」


そしてまたも思い当たりがある、数多の記憶。

近所に住む佐々木さんの愛犬バビロン。

通学路の空き地に居座る野良猫。

学校で飼っているウサギ達。

思えば、智彦が撫でる際に静かだったのだ。

犬に関しては腹を見せていたし、猫は視線を合わせてくれなかったと、智彦は今更に気付いてしまう。


「俺を、慕ってくれてたわけじゃなかったのか……」


智彦の脳裏に仮初のラーメン屋さんが開店し、らっしゃいと店主が愛想よく出迎えた。

ラーメン屋の店主と仲良くなり、親交の証としてメンマがサービスされる。

ラーメン屋の大株主となり、特典としてメンマがサービスされる。

智彦にとっては前者の方が圧倒的にありがたく、理想なのだ。

そんなバカな例えを考える程、智彦の精神は大きな揺らぎを起こしていた……のだが。


「……まぁでも、虫は実害が無いからいいのか」


考えてみれば、虫か近づかなくなるのは母親や友人にとっても良い事ではないかと。

何より、つい口へと放り込まぬように意識を向けずに済む、と。

智彦の顔が絶望から、いつもの無表情へと変わる。


「だけど、動物は残念だなぁ。来週、皆と一緒にフクロウカフェに行く予定だったのに」

「あー……、確かに、フクロウの様子が変な事になりそうな気がしますぞ」


釣竿を仕舞いながらそれだけが無念だと、智彦は再び頭を垂れた。

だが紗季は、何を落ち込んでいるのだと首を傾げる。


「八俣ならもっと上の動物を狙える。仙狸、妖狐、鵺、八咫烏、猫鬼……モフモフより取り見取り」


「やっぱり存在するんですね、ってか妖狐は間に合ってる、かなぁ」


胡散臭い男の笑顔が脳内から流れ星の如く消え去り、智彦は勢いよく立ち上がった。

釣りができない事への悲壮感は抱くも、不敵な笑みを滲ませる。


「釣りがダメなら、潜って捕まえればいい、か」


智彦が思い浮かべたのは、とあるテレビ番組。

無人島で生活する芸能人が、素潜りで魚を捕らえる内容のモノだ。


併せて、水中でどの位動けるか確認するのも良いだろう。

智彦は早速行動に移そうと、着替えの為にテントへ跳躍するために脚へと力を込めた。

それを、上村が遮る。


「あっ、八俣氏、雑貨屋に銛が無いか尋ねてみては?」

「銛かぁ……いいね。獲ったどー!ってやれるかな?」

「やれますな!」


銛が無ければ、木材や鉄パイプで作れば良い。

智彦が再び脚に力を入れようとすると、次は紗季がそれを遮った。


「……あ、でも昼からの船釣りはどうする? 八俣」


嬉々としていた智彦と上村の顔が、曇る。

ココでの釣りの後、牝小路船長の船で海原へと出る予定だったのだ。


「……俺が行くと、やっぱ魚が逃げちゃうよね?」

「ココならともかく、海上で潜るわけには行きませんからな……ううむ」


ならば答えは一つだと。

智彦は眩く輝く海に目を細め、頷いた。


「じゃあ。謙介と紗季さん、二人で行っておいでよ」


「う、うぇ⁉ ですが八俣氏、船釣りを楽しみにして……」

「私は嬉しい……けど、いいの?」


親友との思い出は今までのがあるし、これからも作れる。

一方紗季には、まだ、思い出が足りない。

自分でもキザな事を考えてるなぁと思いつつも、智彦は二人からの言葉に首肯する。

指で、バッグ内の手帳……皆とのプリクラが貼られた大事なモノの感触を、撫でた。


(思い出は、大事だからね)


何とも照れくさくなり、逃げるように跳躍した智彦。

視界が、青から蒼。

蒼から緑へと変わる。

目当ての雑貨屋近くに着地すると、その視界に二人の女性……雑貨屋横に佇む峠場と登坂が、映り込んだ。


(何をしてるんだろ)


智彦が近づくと二人も智彦に気付き、手招き。

静かにと視線が物語っている為、智彦はそれへと従った。



「お二人とも、何を……」

「何度も言いますけどね! 俺達にもあの家を使わせてくれと言ってるんですよ!」


雑貨店から響いてくる、男性の怒号。

ただその声は大きくも実に聞きやすく、智彦達の耳へ真っ直ぐと通る。


智彦がそっと覗き込むと、三人組が鉄男と対峙していた。

野球帽をかぶった、太めの男性。

おどおどとした、若い女性。

そして、鉄男に対し高圧的に接するスーツ姿の男性だ。


「自衛隊と海保の方々で埋まっているし、空く予定も無い。オーナーからも再三言ったはずだ」

「なんであっちを優先するんですか? 私達マスコミの方が社会に貢献してるというのに!」


どうやら三人組はテレビ局のスタッフで、テントに押しやられている現状に不満を抱き、鉄男へと直談判しているようだ。

自衛隊と海保に貸し出しているため空きが無いと伝えるも、三人は引き下がらない。

それどころか、自衛隊を下に見る発言を行い、その都度鉄男の眉に皺が寄っていく。


(鉄男さんも災難だな。しかし偉そうな人だ)


なおも高圧的に鉄男を恫喝する、スーツ姿の男性。

神経質そうな細い目に、智彦はどこかで見た事あるなと首を傾げる。


「あー、あれ、すずりアナウンサーじゃん」

「知ってるんですか、峠場さん」


峠場が頷くも、「うむ」と説明は何故か登坂が紡いだ。


「一時期人気だったアナウンサーね。歯に衣着せぬ物言いがスカッとすると評判、だったんだけど……」


「どこで勘違いしたのか、人を否定したり馬鹿にするキャラになってね。干されたと思いきや生きてたかー」


芸能関係に疎い智彦は、覚えが無いと心の中で被りを振る。

あぁ今の話をこの子は知らないなと呆れつつ、女性二人は苦笑いを浮かべた。

まぁ知らなくても自身の人生に影響は無いと、智彦は改めて耳を傾ける。


「とにかく当分は無理だ。テント暮らしが嫌なら騒動が落ちつくまで島外に居ろ」


「……ほほぉ、まるで我々マスコミを遠ざけたい言い方ですね」


硯と呼ばれたアナウンサーが、口をにちゃりと開く。

口内の分泌物が糸を引く様に、鉄男は不愉快さを露わにした。

それを図星を受け取ったのだろう。

硯アナウンサーの顔がますます愉悦に歪む。


「ところで、この島を開発していた日開公司のりゅうさんと、縁切ふちきれ建設の方々は何処に?」


「……まとめて船に乗ってどこかに行きやがった。その後は見とらん」


「ほぉ、そうですかそうですか。ソレは良かったですねぇ」



島を出て行く必要が無くなって、と。

硯アナウンサーの眼が弧を描いた。



丁度風が途切れ、樹々のざわめきが喪失した島内。

硯アナウンサーの放った言葉は、智彦達の耳にも届く。


鉄男は一瞬間を置くも、下らないと鼻を鳴らし姿勢を崩した。

動かした手足の関節からは、巌を思わせる音が響く。


「ふん、成程な。アンタらは、俺達島民があのいけ好かない中国人をどうにかした、と考えてるわけか」


「いえいえ、滅相もありません! ただ、タイミングが良すぎるなあと思っただけですよ」


硯アナウンサーが片手を上げると、後方に控えていた男女がカメラとマイクを構える。

二人の顔にも、硯アナウンサーと同等の下劣な笑みが浮かんでいた。


「日開公司主導の下、この島の住民は退去を命じられましたよねぇ? 何せ当時のこの島の所有者は同会社の社長である劉さん。あなた方は断れる立場では無かった」


「……ふん」


「いいじゃないですか! こんな将来性も魅力もなんもない島より都会の方が! 都会はいいですよ? 夜は明るいし人は多いし便利だし! 孤独死しても誰かが見つけてくれるでしょう! むしろ劉さんはきっかけを与えてくれたんじゃあないんですかね? そんな恩人をあなた方は」

「黙らんか」


悪意のある撮影。

こいつ等の目的はコレかと、鉄男はギロリと鋭い目を向けた。

ソレは、海で生きた漢の放つ荒い……そして深い殺気。

三人は波に飲まれ、体をブルリと震わせる。

カメラマンに至っては、持っていたカメラを地面へと落とす程だ。


「なな、なんだこの寒気⁉」

「お前達に割く時間が惜しいから話してやる。確かにこの島を追い出されようとした。条件も酷かったな」


代わりの住宅などは無い。

仕事の斡旋も、もちろん無い。

それでもこの島が有名になり名が聞こえてくれば報われる、と。

鉄男達島民は考えていたようだ。


鉄男は煙草を取り出し、切先に赤を灯す。

硯アナウンサーは顔を顰めるも、非難する余裕はないようだ。


「ある日、この島からみて東の方に島が生えていた。丁度気持ちの悪い海鳴りが聞こえだした頃だ」

「島が、生えたって……」


盗み見している智彦達も、硯アナウンサー同様に首を傾げた。

島が生える。

果たしてそう言う事があるのだろうか、と。

普段であればそこで思考停止なのだが、智彦の記憶に浮かぶのは昨日の祠前での会話だ。


「……男船島?」


昔、海へと沈んだと言われる島。

もしやソレが浮上したのだろうか。


「へぇ、八俣君、面白い事考えたわね」

「でもその説、YESだね!」


普通であれば、こんな妄言は一笑に付すであろう。

だが、智彦の中には怪異や超常現象に関しての疑いは無い。

併せて登坂と峠場は、突如して湧いてきた怪奇現象に興味津々だ。

三人はそのまま、鉄男達の会話の続きを待つ。



「ふ、ふふ、どうせ耄碌からの見間違いでしょう?」


「さて、な。海底火山による隆起か、山を乗せたクジラか。ともかく、島に一番乗りしたら土地は俺達の物だ、と意味不明な事ほざいて、あいつ等は船で出て行ったのさ。それから先は知らん」


何なら港に設置しているカメラの映像が残っていると、鉄男は紫煙を吐いた。

その目に宿るのは、陰鬱。

目の前の愚者三人に対しての感情ではないのだろうと、智彦は何となく感じてしまう


「なんなら島を探してみたらどうだね? 探し人と出会えるかもしれんぞ?」


話は終わりだ、と。

そのまま、天井……にて鈍い光沢を放つドーム状のモノを指差す。


「このやり取りも録画中だ。映像を使うのは勝手だが、切り抜き編集は勘弁してくれよな」


「……くそっ、老いぼれが! この島を悪評を広めてやるからな!」


大きな舌打ちを残し、硯アナウンサー達は去って行く。

今の恫喝も録画されているのに剛毅だなと零すと、鉄男は智彦達へと意識を向けた。


「待たせてすまんな。何か入り用か?」

「すみません、盗み聞きするつもりじゃなかったんですが」


ぼそぼそと話しているのが聞こえていたのだろう。

罵詈雑言を撒き散らしながら去る硯達を一瞥し、智彦は頭を下げた。

鉄男はのそりと立ち上がり、使い古したサンダルに足を通す。


「かまわん。……ふっ、逃げ足の速い連中だな」

「えっ」


思わず振り返る智彦。

後ろに居た峠場と登坂がいつの間にか消え……いや。

いつ逃げたのか、近くの樹々に隠れて智彦へと両手を合わせていた。


ただ別に責められているわけではないから良いか、と。

智彦は二人に関しては口を噤み、早速本題へと入る。


「えと、銛は置いてますか?」

「潜るのか。シュノーケルは必要か?」

「あれば助かります」

「……少し待っていろ」


少し首を傾げ、鉄男は段ボールや戸棚を漁り始めた。

自分も手伝おうと、智彦は反対側の段ボールを確認する。


「鉄男さんが見た島は、昔沈んだという戦艦島、ですか?」


「……ふむ」


なぜそれを。

そう言いかけるも、鉄男は過去の自身の発言を思い出した。

戦艦島のサイレン。

最近聴こえるようになった異音を、そう伝えていたな、と。


「いや、聞いただけです。行く予定もつもりもないので」


ただ、智彦にとっては世間話。

サイレンに似た海鳴り以外は、特に不都合は感じない。

もし、この島に悪影響だからと助清が助けを求めるのならば別だが、すすんで何かをする必要もなカチャリいのだ。


金属音へと振り向くと、鉄男が真新しい銛とシュノーケルを預けてきた。

智彦は感謝を述べ、財布を取り出す……が、いらんとそっぽ向かれる。


「祠を直してくれた礼だ。銛は帰る時に置いていけばいい」


「……ありがとうございます」


「あぁ。……俺達も直そうとした。だが、揺らいだんだ。俺達が苦しんでいるのに助けてくれないご神体を……敬う必要はあるのか、とな」


ただ気味の悪い海鳴りが聞こえるようになっただけ。

そう零す鉄男に、智彦は首を傾げる。


「ご利益、あったのでは?」

「……残念ながら、無」

「いえ、その、追い出そうとした人達が居なくなったわけですし」


当事者ではない人間の、軽い言葉。

だが鉄男の中で何かがストンと落ち、少しの間をおいて「ちがいない」と豪快な笑いを響かせた。


「あー……、久々に笑ったな。おい、銛で獲物を捕ったら持って来い。捌いてやる」

「キャンプで刺身は合わないような気がするんですが」

「馬鹿野郎、飯盒に出汁と一緒に入れて炊くんだよ! 名付けて海鮮炊き込み飯、うまいぞ!」


まずはその身を捌いて、刺身にする。

アラからは出汁を取り、みりんと醤油で味付け。

飯盒内に白米と刺身の層を交互に作り、出汁を投入。

あとは昆布と乾燥ワカメを乗せ、ぐつぐつと炊く。

出来上がった炊き込み飯に、柚子胡椒を乗せても美味しいだろう。

わさびマヨネーズでも山椒でも、勿論満足できる。

ただ大事なのは、出来立てを食べる事なのだ。


しゃくれ気味に饒舌となった鉄男の熱弁は、智彦の口内を潤わせるのには十分であった。

素潜りによる釣果だけではなく、美味しいご飯が準備されているならば、海釣りから帰って来た上村と紗季を驚かす事ができるな、と。

智彦は思わず、口角を上げてしまう。


「……お勧めの魚は、ありますか」

「あぁ、写真を見せてやる」


互いにニヤリと、視線の応酬。

その日、海中でもやはりアレだった智彦は銛で多くの魚を仕留め、鉄男やおすそ分けに来た峠場と登坂を大いに驚かせる。

そして鉄男指導の下、智彦は海鮮炊き込みご飯とアラ汁を料理。

後は、二人の驚く顔を見るだけだと、智彦は赤と青が波打つ海を見つめる。




だが、結局その日。

上村と紗季を乗せた船……牝小路の漁船が、島へ戻っては来なかった。

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