船出
青と蒼に挟まる世界。
軽快に海上を滑る船の上で、智彦は目を輝かせ語彙力を低下させていた。
「……すごいなぁ。……うん、すごい、とてもいい」
海に来た事はあるが、船上で海に囲まれた経験は無い。
しかも水平線から覗いた入道雲が描く、青と白の鮮やかさ。
駆け抜ける潮風に緑のアロハシャツを靡かせ、智彦は感動を露わにする。
青に映えるオレンジ色のクルーザー船が、波を押しのけ力強く進んで行く。
時たま浴びる霧雨上の飛沫が、日差しで火照る身体に心地よい。
「自分は、海は小学校時の臨海学校以来ですぞ!海、サイコー!」
「……謙ちゃん、日差しが思ったより強い。日焼け止め塗るべき」
横では、親友である謙介と、連れである紗季。
智彦と同じように、心地よい潮風に身を晒している。
「夏休みと言えば、学校のプールに泳ぎに行ってたよね」
「かまぼこ板に名前を書いて使ってましたなぁ、懐かしいですぞ」
「高校の授業でも泳いではいたけど、プールと海じゃ全然違うよねぇ」
「ですな。自分はまず塩辛さが染み付いてむせそうですぞ」
確かに、と。
智彦は水面の眩さに目を瞬かせる。
(いくら俺でも、海の化物に襲われたら無理そうだな)
まず、まともに泳げるかがわからないし、息ができなかったらそれまでだ。
海底であれば水圧で潰れるだろうし、何より水中では動きが遅くなる。
が、まぁ水中で戦うような事はまず起きないだろうし。
そもそも海の化物は実在するんだろうかと考え、智彦の視線は水面を跳ねる魚を捉えた。
「紗季さんは、海で泳いだ事は?」
「口裂け女と言う個体では、昔サメと戦った記憶だけ。泳ぐのは謙ちゃんとが初めて。……嬉しい」
「うぉっと、暑いですぞ紗季。……いや、うん、本当に暑い」
紗季が、上村の右腕へぺたりとくっつく。
以前はそれだけで大量の汗を流していた上村ではあるが、もはやそれは無く、紗季へと慈しむ目を向けるだけだ。
親友達の進展に口角を上げた智彦は、改めて海へと感嘆を漏らした。
「いやぁ、そんなに喜んで貰えるなんて思わなかったよ」
声と共に、生真面目そうな男性が操縦席より現れる。
夏、しかも船上であるにもかかわらず、身に着けているのは黒いスーツ。
男性は、智彦達のはしゃぎっぷりに満面の笑みを浮かべていた。
「あ、
「はははっ、いやいや。こっちこそ、参加してくれてありがとう」
智彦が頭を下げるのは、以前不動産関係でお世話になった上村介清。
謙介の叔父だ。
介清は上村と紗季の
「八俣君、すまないがテントは二人とは別で良いかな?」
「はい、勿論ですよ。遠く離して貰っても大丈夫です」
「うえっ!? ちょっ、二人とも何を!?」
智彦と介清の会話を聞き、慌てる上村。
だが何度も頷く紗季がより一層腕へと絡み、動くのは口だけだ。
「はははっ、冗談だよ。試しに張って貰う必要があるからテントは別々さ。紗季さんには悪いけどね」
「むぅ、……残念」
船が、揺れた。
だが嫌な揺れではなく、陸地では無い事を一堂に再確認させる、心地よい揺れ。
何故、智彦達が大海原へ漕ぎ出しているのか。
それは、上村介清の不動産会社が「島キャンプ」として売り出す施設に、モニターとして体験宿泊をするためだ。
智彦達が向かうのは、四国の南方にある離島 、
漁業が活発で、戦後しばらくは多くの住人で賑わっていた島だ。
だが時代が進むにつれ、漁業の衰退や不便な暮らしを嫌がる事により、人口が減少。
ついには人口が二桁となり、島は忘れ去られて行くはずだった。
そこで考えられたのが、島のリゾート化計画だ。
島自体は個人の所有物であったため、とある不動産会社が購入。
美味しい魚介類。
静かなひと時。
空一面の星。
以上の理由に加えて小さい砂浜もあり、富裕層狙いを前提に開発が始まったのだ。
「おや、叔父さんの会社が島を買ったんではなかったんですな」
謙介の疑問に、介清は苦笑いを浮かべる。
「その辺はちょっと厄介な事があったんだよ。……あー、まぁ、いいか」
この件を話して良いか。
介清は一瞬迷うも、特に問題ないだろうと話を続けた。
「女港島は、元々は外国人が購入してたんだ。今、ちょっとした問題になってる件だね」
いわゆる、外国人による日本の土地の購入。
女港島も、その一部であったと、介清は語る。
「……で、その購入者がね。行方不明になってしまったんだ」
その後色々とあって、その行方不明者の家族経由で島が売られ。
ある程度工事が進められている事に目を付け、介清が購入したと言う。
「とは言え、資材搬入など考えると、資本的に開発を引き継ぐのは無理でね」
「そこでキャンプ地としたわけですな」
「あぁ。トイレや炊事場さえ整えれば、キャンプ場として成り立つからね」
介清がスマフォを取り出すと、キャンプ場の画像が表示される。
青と白の下に広がる野原。
鮮明な星空。
魚釣りをするキャンプ客と、それに群がる猫達。
画像を見る面々は、想像以上の夏っぽさに目を輝かせた。
「島にあるのはキャンプ地だけ、ですか?」
「いや、島に住んでる人々もいるんだ、店を出して貰ってるんだよ」
再び、スマフォの画像が切り替わる。
建物自体は古いが、日用品や雑貨のお店。
釣り具を扱う、民家。
あとは、小さな診療所。
どの画像にも老人が映っており、こちらへ笑顔を向けている。
「君達が実際に宿泊して後に、色々と感想や意見が聞きたい。施設も増やしたいからね」
「自分達の他にもモニターはいるのですかな?」
「あぁ、1組だけ。女性のペアだね。早速ランドリーが欲しいと言われてしまったよ」
キャンプにランドリー施設なんて果たして必要なんだろうか?
智彦は首を傾げるも、確かにあった方が便利だなと納得する。
何せ、すぐそこに海があるキャンプ地なのだ。
水着も汚れるし、タオルも多く必要になるのだろう、と。
「……島でキャンプかぁ。林間学校と臨海学校がまとめてきちゃった感じだね」
「ですぞ! ワクワクしますなぁ!」
智彦の呟きに、上村は何度も首肯した。
キャンプと言えば、やはり山の方で……というイメージが強い。
海とキャンプ。
良い意味での妙な組み合わせに、期待が高まるばかりだ。
上空から、鳥の鳴き声が響いた。
一同はその方向を見上げ、眩しさに目を細める。
「…… …… ……」
ただ、紗季だけは下を向いたまま、難しい顔をしている。
右手を顎に当て、何やら思案しているようだ。
「……紗季? どうかしましたかな?」
上村の問いへ紗季は頭を上げ、珍しく言葉を詰まらせた。
言い辛い、ではなく、この場の空気を壊してはいけない、……の迷いによるものだ。
それをすぐさま理解した上村は、紗季へと続けるように促す。
ならば、と。
紗季は介清へと強い視線を向けた。
「……行方不明者の事。叔父様。その人、もしかして島で?」
島で行方不明となれば、島内にナニかがいるのでは。
そのナニかに対応させるべく、自分達を誘ったのでは。
そんな紗季の邪推に、介清は苦笑いを浮かべたまま、首を横へと振った。
「いや、大丈夫。その人は船に乗ったまま行方が解らなくなったみたいだよ。ノイローゼが酷かったそうだからね、自殺しているかも知れないって話だ」
曰く付きはもうこりごりだと、厭味を含まぬ笑いを智彦へと向ける。
そう言えばあの時はそうだったな、と。
智彦は約一年前の事件を思い出し、何とも言えぬ表情になってしまった。
「結局家を借りずじまいで、すみません」
「はははっ、いやいや気にしていないよ。事故物件が片付いて逆に感謝しているさ」
智彦の次は、紗季が謝る番だ。
「……疑って、すみません、叔父様」
「君達の特殊性を知ってる身だからね、そう思われても仕方ないよ。必要な時は依頼と言う形でお願いするさ」
ただ、と。
介清は、浮かぶ入道雲の方へと指を差した。
智彦達がその切っ先を追うと、入道雲の白に、黒い点が、ポツン。
よく見ると、大型のヘリコプターのようだ。
風に紛れ、ローター音が耳へと入る。
「最近、訓練中の自衛隊のヘリが行方不明になっただろう? 現場はかなり離れてはいるんだけど、一番近い島が女港島なんだ」
「あー……、近場で行方不明が続いてると言う事ですな」
「女港島には異変は無いから関係ない、と思いたいけどね。あぁ、それと……」
介清が「
すると、操縦席から小麦色の肌が眩しい30代の女性が顔を出した。
「どうしました、オーナー」
「島に駐屯してる自衛隊や海保は、まだ多いですか?」
「数は減りましたが、マスコミが増えてますね。父が言うには、滞在許可の申請が増えてるみたいです」
「本当は入れたくないけど、宣伝に良いからなぁ……」
上空を、ヘリが通過した。
騒音に眉を寄せた介清は振り向き、智彦達へ今の会話の説明をし始める。
要は、行方不明となったヘリを探す為に、自衛隊へと場所提供している事。
そして、ニュースにする為に寄って来たマスコミにも、同じく場所を提供してる事を。
「島自体は結構広いから邪魔にならないし、何より緊急事態だからね、仕方ないさ」
「それに、雑貨等も売れて品薄だそうです。……まぁ、品揃えに文句を言っているみたいですけどね。あぁ、ところで」
牝小路と呼ばれた女性が、智彦達へと白い歯を向けた。
「君達、船酔いは大丈夫かな?」
智彦は初めての船ではあるが、特に気分が悪い等はない。
上村と紗季も同様で、三人とも頷きを揃える。
「へぇ、立派なもんだ。私が子供の頃は,すぐに吐いちゃったけどな」
「思ってたより揺れないので。牝小路さんの運転が上手だからでしょうか」
「ははははっ、お褒めに預かり光栄だね、八俣君。さぁて、島が見えて来たよ」
牝小路と介清の、視線の先。
水平線から黒い塊がせり上がり、島の形を成していく。
青と白に、緑がその色彩を主張し始める。
「ようこそ、島キャンプ場めこう、へ」
「同じくようこそ、私の生まれ育った島、女港島へ」
二人の視線を辿り、智彦達も島を視界へと収めた。
その胸中には、三泊四日のキャンプ生活が良い思い出となる事への、希望。
潮風に紛れ。
サイレンの音が、聞こえた。
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