魔
言葉が無くなる、室内。
学校に伝わる怖い話をただ語るだけと集められた語り部達は、唖然とした顔で、鐙原学院長を見ていた。
厭らしく顔を歪める、老女。
だがその得体の知れない存在を前にしても、智彦は表情を変えなかった。
……いやそれどころか、安堵した様に、息を吐く。
(良かった……、星夜が巻き込まれなくて)
もし、堀の祖父の導きが無ければ、知らぬ間に星夜を……友人を失っていただろう。
それを成そうとした目の前の
その時、古堂が大きな声を発し、鐙原学院長へとパイプ椅子を振り下ろした。
「老害が!粋がるなぁっ!」
普通であれば、老体の頭蓋に大きなダメージを与える一撃であろう。
だが、鐙原学院長は笑みを浮かべたまま、パイプ椅子を受け入れた。
「おら!解毒剤を渡せ!渡せぇっ!」
勢いを付け攻撃を続ける古堂。
ソレを見ていた他の生徒は、何故か、徐々に顔を曇らせていった。
やり過ぎだと感じたからでは無い。
「なんで……、平気そうなの!?」
「音はしてるのに!古堂君、何か変だよコレ!」
そう。
鐙原学院長が、涼しげな顔をしているからだ。
パイプ椅子を全身に打ち付けられているのに、だ。
「はぁっ!なんで、だよ!なんで、効いて、ないんだよ!」
終いには古堂が力尽き、床へと膝をつく。
鐙原学院長は古堂を見下ろし、上品に笑みを零した。
「無駄よ、残念だったわね。あの御方のお陰で人間を超越してるのよ、私達は」
「あ、あの御方って誰なんだよ!?」
「教える義務も義理も無いわ」
けど、と。
鐙原学院長の唇が弧を描く。
「あの御方の力を知らないまま死んでいくのも可哀そうね。いいわ、見せてあげるわね」
そう零した鐙原学院長の唇が、水気を孕んだ。
いや、唇だけじゃない。
顔に、手に、脚に、深く刻み込まれた皺が、スゥーっと消えて行くのだ。
髪も、黒と艶やかさを内包し始める。
「うふふっ、どうかしら?私も昔は綺麗だったのよ?」
若返り。
目の前にいた老女が、20代前半の女性へと変わったのだ。
昭和期のアイドルと言われると、そのように見えてしまうだろう。
一同は……特に女性陣は、目を見開いた。
「生徒の無念、恨み、後悔……それらがあの御方の力になって、それを分けてくれるのよ。流石にこの姿のまま公務はできないのだけれどもね」
透き通るような自身の肌に魅入りながら、鐙原学院長は言葉を続ける。
「うふふっ、それよりいいのかしら? 時間は刻一刻と過ぎているわよ?」
警備カメラを一瞥し、鐙原学院長は机上へと紙をばら蒔いた。
新聞に挟まったチラシ……その裏に、文字が書いてある。
「これに解毒剤の置いてある場所を記してあるわ。早い者勝ちよ、うふふっ」
お前達の命は、チラシと同等かそれ以下。
暗にそう意識させる鐙原学院長の顔を、影が覆った。
いつの間にか立ち上がった智彦が、机上の紙を全てその手に収めたのだ。
「あらあら、いくら皆より先に死ぬからって、独り占」
「今から全部手に入れて来るんで、皆さんはここで待っていて下さい」
とりあえず情報は出た。
解毒剤に効果があるかは怪しいが、今はソレに縋るしか無い。
ならば後は、自分が事を成すだけだ、と。
智彦は語り部達を視界へと収める。
本音を言えば、他人だった。
だが、縁が出来てしまった。
自身が持つ定義に収まる
であれば助けるべきだ、と。
智彦はチラシ裏に目を通し、とある方角へ顔を向け……先程から感じる異質な気配に眉を顰める。
鐙原学院長の異常さも、閉ざされた部屋や学院も、外界との通信手段の断絶も、全てそいつの仕業だろう、と。
智彦は警備カメラを、睨む。
「やっぱり貴方、生意気ね?私の話を」
「狭間さんは毒は大丈夫ですか?効いてなければ皆を見守って欲しいんですが」
「……残念ながら、僕にも効いてるみたいだ。普通の毒じゃ無いようだね」
飄々としていた態度を失い、狭間は額に汗を浮かべている。
他の語り部達の息も、苦しそうに変わり始めた。
「さっきから貴方何なのよ!ふざけるのもいい加減にしギょペッ!?」
こうしている間にも、時間が過ぎていく。
ならば早速行動に移そうと、智彦は鐙原学院長の首を掴み、先程のロッカーを開けた。
相も変わらず居座る、呪いのロッカー。
その黒い双眸が、まるで戸惑ったかのように揺れる。
(今回は、ある程度加減しなきゃな)
今この場で鐙原学院長を殺すのは、簡単だ。
ただ、この老女は……学院内に点在する悪意の主は、生かしておくべきだと智彦は考える。
(レクレーションが長い間続いてたんなら、被害者の数も多いんだろうな)
【裏】。
熾天使会。
警察。
今回の件は管轄がどこになるかは解らないが、彼ら彼女らに難しい事は委ねよう。
他力本願を携え、智彦は呪いのロッカーへと尋ねた。
「がはっ!はなぜっ!はな、がひゅ!」
「すみません梓さん。これを中で預かって頂く事は可能ですか?暴れられると皆が危ないんで」
一同が、またもや「何言ってるんだコイツ」な目を向ける。
今回はそれに、ロッカーからの目が加わった。
『ムリ ワタ ジ ヨリ ヅヨイカラ』
「あ、じゃあ、力をお分けします」
おもむろに、智彦はロッカー内の肉塊へと、手を当てた。
後は、自身の持つ力を分け与えるようなイメージ。
するとどうか。
ぐずぐずとなった肉が崩れ落ち、その下から若い女性の肌が現れたのだ。
『……え?……あ、え?どう、なって……声が!体も……!』
「ソレが貴女の不幸を呼んだんでしょうが、綺麗ですよ、梓さん。……お願いしますね」
『あ、はい……!』
「まぢなざ!あなだもあの御方と同じぢがらを!?あっ、やべ!ざわらな」
白い手が、鐙原学院長の頭部に伸び、そのままロッカーへと引き摺り込んだ。
ガゴンッとロッカーの扉が閉まる音を背景に、智彦は再び一同を見渡す。
外には、闇。
先程まで見えていた不気味な月が、それ以外に星も、遠くの夜景も消えている。
直感的にではあるが、智彦はこの学院が外界から隔離されたと判断した。
「では皆さん、少しの間待ってて下さい」
「はぁっ……!ぐぅ、堀、すまねーが、任せた!」
「任されます、古堂さん」
「まるで悪夢を見てるようですね。まさかこんな事が現実に」
「今夜だけですよ、滑川さん」
「貴方もまるで怪異ね。……ごめんなさい、貴方が怖いのよ」
「仕方ないと思いますよ、岩上さん」
「情けない事だが僕にはお手上げだ、すまないね」
「なんか変な結界が妖狐の力抑えてるっぽいですね、狭間さん」
「あはは……、ねぇ、堀君、私、助かるかな?死にたくないよぉ」
「助けますよ、福早さん」
「僕の為に一人で立ち向かうなんて……、これはもう自分達は親友だね、堀君」
「あ、はい」
入口の戸が、ガラリと開く。
特に驚きもせず、智彦は部屋を出た。
(場所は弓道場、第一体育館、教会、部室棟、保健室、屋上、か)
とりあえずこの不愉快な気配を辿れば、問題ないだろう、と。
智彦は、霊の怨嗟が渦巻く廊下を、疾走した。
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