厄介な存在
ゴゴゴゴゴ、と。
空調の音が静かに鳴り響く、白い室内。
郷津ありすは目を開き、自身がベッドに寝かされている事に気付く。
「……私、生きてる」
「死にかけていたのだけど。お目覚めかしらぁ、ありすさん」
「あ、は、はい!お早うございま……す?」
白い室内……養老樹グループの病院の一室。
頬へ張り付いた、灰色の髪。
ありすは上半身を起こし、体が未だ気怠い事に気付いた。
窓ガラスの向こうには雪の積もった樹々……では無く、陽の光を受けるビル群。
額に熱を下げるシートを貼り付ける見慣れた顔が、窓ガラスに映る。
「……、そっか、私、風邪ひいてたのか」
思い起こせば、廃坑内でびしょ濡れになり、あの寒さの中そのまま行動していたのだ。
風邪をひいて当たり前、と言うより、よく無事だったなぁ、と。
ありすは自身を見守る女性へ、頭を下げた。
「せれんお姉さま、助けて頂いて有難う御座いました」
「あらぁ、いいのよ。とは言え、40度近い高熱だったから驚いたけれども、ね」
女性……白衣姿の養老樹せれんが、手元のタブレットを操作しながら、ありすへと応える。
ありすが目覚めた事を、どこかへ報告している様だ。
「そんなに!?えと、どの位寝てました、私」
「2日間、かしらぁ?まぁでも、私が手を貸したのは最後だけ。彼が居なければどうなっていた事か……」
彼。
ありすの脳裏に、自身を守ってくれた逞しい背中が思い浮かんだ。
確かに、あの人がその理不尽さで石神様を抑えなければ、自分はここに居なかっただろう、と。
改めて、今、こうして生きている事が幸運だと自覚したようだ。
石になった人は、元に戻れたのか。
石神は、今何処にいるのか。
あの後、どうなったのか。
気になる事は、多い。
だが、ありすが一番知りたい事は……。
「あの、せれんお姉さま。彼って言うのは」
「あ、あら?あらぁ!?ちち違うのよ?彼は、えとね、彼氏って意味じゃ無いの!」
「は、はぁ……、いえ、そうでは無くて」
艶やかな金色の髪を揺らし、慌てる養老樹。
初めて見る養老樹の様子にありすは一瞬呆けるが、すぐさま我に返る。
彼……駄菓子屋さんの名前を、知りたい。
白衣を正す養老樹へとありすが尋ねようとした瞬間、『にゃ~ん』と開錠音と共に、ドアが開いた。
「郷津君!」
「ありすちゃん!」
「保場教授っ!?掃部関さん!……良かった」
涙を浮かべてありすを抱きしめる掃部関と、それを見守る保場。
良かった、と。
ありすも、掃部関の体温へと顔を埋める。
「僕達だけじゃなく、皆も無事だよ」
「今は各自病室で休んでる、けど……気まずいかなぁやっぱ」
掃部関の困り顔に、ありすは苦笑を浮かべた。
各々喧嘩腰で言い合ったのだ、それは仕方のない事だろう、と。
……そこで、とある人物。
正直思い出したくもない男の名前が浮かんだ。
「十河さんは、どうなりました?」
今回の騒動を作り出した元凶で、最後は石となった体を砕かれた、愚者。
それでも、死んで良かったとまでは思えないからだ。
「彼も、なんとかなりそうだよ」
「今も施術中だって。砕けた面が石化してたのが、逆に良かったみたい」
二人の言葉に、ありすは胸を撫で下ろす。
「かなり難しいっスけど安心して欲しいっス、ってスタッフさん言ってたからさ」
「それでも、かなりの後遺症は残るらしいけどね」
「あ、でも、最初からあった石像はダメみたい。長い時間の中、魂が無くなっちゃったんだって」
そんな口調のスタッフいたかしらぁと、養老樹は首を傾げた。
そのまま懐中時計を取り出し、一瞥。
息を浅く吐き、ありすへ目を向けると、視線が重なった。
「せれんお姉さま、私、石神様に何が起こったのか、夢で見ました」
「救出時に貴女に青い光がくっついていたからかしらぁ?……聞かせて貰える?」
ありすは頷き、夢で見た内容を簡潔に伝える。
長い、永い、時間の流れを。
ありすの話に保場は興奮し、掃部関も鼻息を荒くする。
ただ養老樹は目を瞑り、静かに、物語を反芻していた。
「怪異や悪霊と思いきや、地球外生命体の仕業だったのねぇ」
「……やっぱ信じられませんか?」
「普段であれば疑うけれども、
窓ガラスの向こう。
外から、石焼き芋屋の
同時に、ありすの腹の虫が鳴る。
「あっ!す、すみません!」
「ふふっ、二日も食べてないんだもの、今、食事を用意させるわぁ」
何かの端末を操作しながら、養老樹が立ち上がる。
そのまま、ありす達へと顔を向けた。
「ありすさんのご両親は呼んでおいたわぁ、でも念のため、明日まで入院して頂戴?」
「はい!有難う御座います!」
「ではお二方も、御機嫌よう。例の件、考えておいて下さいねぇ」
目の覚めるようなカーテシー。
養老樹は微笑みを携え、アルコールの消毒臭を残し退室した。
「はぁー、絵にかいた様なお嬢様、住む所が違う感じ」
「さすが養老樹グループの御令嬢だね。郷津君は彼女の派閥なんだって?」
「はい。……お陰で皆が助かって、良かったです。あの、例の件、とは?」
保場と掃部関が、高級そうな椅子へと座り、どう説明するかと言葉を練る。
「うーん、要は、養老樹さん
「多分だけど、石神
養老樹の組織、つまり熾天使会。
それがどういう組織なのか、ありすは聞いている。
だからこそ、不安を抱いた。
「大丈夫なんですか?今回みたいな事に巻き込まれるんでは?」
石神の件は、下手すればトラウマモノだ。
しかし保場と掃部関は、困ったように眉を動かす。
「今回の件で、肥後学園大学民俗学部は、もしかしたら無くなるかも知れなくてね……、だから、渡りに船なんだ」
「私も、何て言うのかな。怖い目にあったけど、アレこそ私が求めてたモノかも知れない」
保場も、掃部関も。
超常現象と言う荒波で常識が洗い流され、更地となった価値観にオカルトへの興味が芽吹いてしまった。
そこには嫌悪感は無く、未知との遭遇への期待が募るだけ。
二人のキラキラと輝いた目を見たありすは、つい、微笑みを浮かべてしまう。
私はどうなるのだろう。
そう思うと同時に、ココにはいない存在が気になった。
「石神様は、どうなったんですか?」
「あぁ、石神様は……」
ありす達が談笑している、同時刻。
養老樹は白衣を脱ぎ、休憩室への椅子へと座る。
「……まったく、今回は完全に《裏》の落ち度ねぇ」
「うぐぅ、返す言葉も無い……!」
養老樹の向かいには、項垂れた田原坂鏡花。
手元には、ありすの居る病室の映像が写っている。
《裏》の落ち度。
それは、保場達肥後学園大学民俗学部に、陽落ち村調査の許可を出した事だ。
元々、陽落ち村は石神の怒りを買い、《裏》が当時の政府から封鎖を依頼され、禁足地となっていた。
だが、《裏》のゴタゴタで、陽落ち村を管理する家が、誤って許可を出してしまったのだ。
「……元はと言えば、八俣君のせい、なんだけどね」
「あらぁ、人のせいにするのは頂けないわねぇ、田原坂鏡花」
「いやこれ本当だからね!?今回も大きな事案なのに、彼が関わってるから私が引っ張り出されたんだからね!?」
鏡花の目に涙が浮かぶ。
あぁコレはマジだなと、養老樹は茶化すのを止めた。
「さっきも八俣君が来て、石神様が恐慌状態になって大変だったんだから」
「あらぁ?彼は何しに来たのぉ?……まだ、いるのかしら?」
「茶請けのマカロン頬張って帰ったわよ。……石神様の一部、連れて来たの」
「……どうやって見つけたのかしらぁ?」
「さぁ……」
相も変わらず理不尽な存在だと、養老樹が苦笑いを浮かべた。
だがその理不尽さで、自分を含む多くのモノが救われているのは事実。
智彦が居なければ、ありす達は石にされ、石神はそのまま脅威として鎮座して居ただろう。
「石神様が、自身の一部が居なくなったと言ってた奴だね。黄色い蛇みたいな光だったわよ」
鏡花は、先程の光景を思い出す。
長く黄色い光が染み込んだ石から、イソギンチャクのように数多の色がはみ出る不可解さ。
《裏》の世界に身を置く鏡花ではあるが、今回は驚く事ばかりである。
「まぁコレで、石神様を宇宙に還せるわ」
「そうねぇ、思ったより早く解決してよかったわぁ」
石神を宇宙に還す。
それは、《裏》と熾天使会の会合の下の決断だった。
数週間後ではあるが、種子島において人工衛星の打ち上げが計画されている。
養老樹グループが出資してるソレに、石神を同乗させ、宇宙へと還す。
……計画は、順調に進むはずだった。
が、石神は自身の一部が消えたので、それを探したいと懇願。
そもそも一部とはどういう事だろうと《裏》と熾天使会が頭を抱えていたのである。
「……また彼に借りができたわねぇ」
「本人は気にしないでって言ってたけどさぁ、あと、なんかすごい式……、いや、眷属?そう言うの連れてる雰囲気だったわよ」
「あー……、気にしない方がいいわぁ、あれは」
養老樹の目が一瞬で、ココには存在しない地平線を眺め出した。
あぁコレはヤバい話だと、鏡花は話を打ち切る。
「……、で、養老樹。詳しく聞かせなさいよ」
「あらぁ?何をかしらぁ」
「石神様の事。今回の件、政府に知らせずに処理するって、しかも両陣営合意って異例過ぎるわよ」
「詳細は後日知る事になると思うわよぉ?まぁ、いいのだけれども」
「じゃ、話して。盗聴や式は全て処理してるわよ」
養老樹と向き合う様に、鏡花も腰を下ろす。
音の無い室内に、養老樹の息を吐く音が、響いた。
「まず石神様……の、光の集合体だけど。元は人間では、って説が出ているわぁ」
「はぁっ!?あ、いや……考えてみれば、人間らしき所はあるか」
「えぇ。文字を使う、感情を色で表す……、肉体を捨て宇宙へ進出した人間では、って話ねぇ」
「……なんとまぁ、政府が絶対介入するレベルじゃないの」
「そうよぉ?そして政府のお馬鹿さんが石神様の不興を買って危険が危ないデシって展開よぉ」
「何それ」
「郷津さんに最近借りた本で見たセリフよぉ」
「彼女の知識、欲しいなぁ。ねぇ、こっちの派閥に頂戴?」
「だ~め♪」
冗談はさておき、と。
余りのスケールの大きさに、鏡花は大きく息を吐いた。
両陣営が政府に報告しないわけだと、天井を見上げる。
もし政府が介入した場合、石神は絶好の研究対象になるだろう。
確かに、絶対に怒らせて石像を量産するな、と。
鏡花は頭を振った。
「……あと、軍事面と国交面でも面倒事の塊ねぇ」
「あー、それは聞いた。あらゆる電波をジャミングするんだって?」
「そうよぉ。携帯は勿論、軍事的な電波類を狭い範囲ではあるけど、無効化するみたいねぇ」
「携帯が使えなくなったって報告は見たわ」
「救出時もヘリの無線やレーダーがダメになって、ホント危なかったわぁ」
「うへぇ、山間部でよくもまぁ無事だったわね」
「ふふっ、C社のヘリとは違うのよぉ?」
これも政府が介入する案件だなと思いつつ、鏡花はもう一つの要素……国交面の面倒事を聞くのが怖くなった。
だが興味が勝り、「もう一つの方は?」と、裸足で地雷原へと突き進む。
「陽落ち村の住人は、石神様に鉄を作らせてた、って聞いたでしょ?」
「そうみたいね、……あ、いや、待って。オチが予想できた」
「あら、そぉ?あれ、鉄じゃなく何でも変換できるみたいよぉ?」
「やっぱりだ!……なんでも?」
「そっ。サンプルが事前に必要なるけど、金にも、レアメタルにも、あと賢者の石にも。モルモット達が一瞬でお宝になっちゃった」
「聞かなきゃ良かった!」
国交面、つまり戦争だ。
そのような存在がいるとバレれば、日本を滅ぼしてまで手に入れようとする国が出てくるだろう。
いや、国だけじゃない。
国内や海外の裏に携わる組織が、血眼で手に入れようとするはずだ。
誰にも知られてはいけない秘密に、鏡花は胃痛を覚え始める。
「だから、絶対に内緒。関わった全員、他言できない様に呪いを施術するわよぉ」
「私も?」
「貴女も」
「とほほー!」
鏡花が大げさに机に突っ伏す。
養老樹は心底可笑しそうに、かんらかんらと笑った。
石神には一刻も早く宇宙に還って貰いたい。
共通の思いが、二人の胸中を占める。
「あー、思ったんだけど。八俣君が連れて来た石神様の一部ってさ」
「どこかの組織に捕まってたのかも知れないわねぇ」
「……落盤現場に火薬反応があったのは、それかぁ」
「あらぁ、あらあら」
養老樹は、保場を始めとした肥後学園大学民俗学部一同の調書を思い出した。
気になる点は、一つ。
保場の助手的存在であり、今回一番の重症者である十河の彼女、八島友美、だ。
不思議な事に、八島は同じ時間に、隔離された鉱山内と、外にそれぞれ存在していた。
ドッペルゲンガーの類と養老樹達は訝しんだが、どうやらそうでは無い。
鉱山に閉じ込められる前に、八島は保場から、広場にある家の中の資料整理をいきなり頼まれた……らしいのだ。
勿論、保場はそういう記憶は無いと証言している。
つまり、保場に化けた第三者が、八島を遠ざけ。
代わりに八島へと化け、鉱山内へと紛れ込んだと、予想できる。
「わざわざ落盤させたって事は、郷津さん達を生贄にするつもりだったんでしょうね」
「八島女史に化けた人は、途中で消えたらしいわぁ」
「救助が来るまで隠れてた……か。石神様には視覚しかないから、石にカモフラージュできれば誤魔化せるだろうし」
「変装に特化してるなら、可能かもしれないわねぇ」
二人はそれぞれ時計で時間を確認し、立ち上がった。
つい話し込んでしまったと、衣服を正す。
「まぁ、どの道、そいつらは生きていないだろうけどさ」
「そうねぇ、後で彼に場所を聞いておくわぁ」
「よろしく、あ、そういや二人の身元、確認できたわ」
「あらぁ、良かったわぁ。籍がまだあれば良いのだけれども」
「あるみたい。あの首無しライダーが出る峠の近くで喫茶店を……」
部屋から出ると、廊下をすっかりと茜が支配している。
陽が落ちて暗くなる前に、帰ろう。
二人は無言で、それぞれの方向へと歩み始めた。
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