時は戻って帰省中


ありすと智彦の邂逅から。

時は、少し遡る。





正月明け、智彦は母親の実家である、熊本県の山間部へと来ていた。

学校は始まってはいるが、最近の風潮だろう。

遅れは必ず取り戻すと母親と約束を交わし、共に帰省となったのだ。


遠くに見える、雪を冠した山々。

視界を遮る建物が無いため、その解放感は凄まじい。


(寒い……、けど、心地いいな)


都会と比べて凍てついた空気は、身を甚振る。

しかしながら清涼感もあり、心身が引き締まる作用に、智彦は白い息を深く吐き出した。



(やっぱり都会と全然違うなぁ)



智彦の言葉には風景や空気の事も含むが、別の意味が強い。

その目に映る、霊的な世界。

それは、何かしらの秩序を纏っている。


都市部では霊も、怪異も、各々が……一部例外はあるが、自分勝手で無秩序だ。

だが、この山間部の小さな町では、彼らは秩序を持って存在している。


『山神、水神、土地神……この地を治める神が、にらみを利かせているのだろう』


(あぁ、この……何というかな、夏の神社のひんやりとした感じか)


『静謐と言い表せるな。怪異が発生しづらい土壌となっている様だ』


肩にかけたバッグから響くアガレスから声に、智彦は頷きで返した。

アガレスの言うように、町中に点在する人ならざるモノは、大人しい。

怯えてるモノもいるが、基本的に弁えている様に見える。


『町の人々が山や土地を信仰し、神々が応える。この国特有である一種の共存だな』


本来であればこれが当たり前なのだと、アガレスは説明を続ける。

人ならざるモノは、大昔から存在していた。

人々はそれらから身を守る為に、八百万の神へと救いを求める。

神が応え、畏怖の念は信仰へ。

供物を介した信仰は神々の力と成り、その地は安寧を得る事が出来るのだ、と。


話を聞く智彦は、富田村で戦った富神を思い出した。

手段はともかく、アレも一応神様をしてたのか、と。

何気無く、自身の右手を見つめた。



『勿論、その地の霊達全てが無害とは限らないがね。その辺の裁量は神々次第さ』

「ちなみに、神様の不興を買った霊や怪異は、どうなるの?」

『追放と言う例もあるが、基本消されるだろうな。勿論、人間だってしばしばその対象となる』

「森を切り開いたらその土地の神の怒りを買って~みたいな、ホラーマンガでよく見る奴か」

『多くの場合は何もせずに見捨てるのだがね。あと智彦の存在がまるでホラーマ……ん?』


連なる、轟音。

智彦が振り向くと、車両の列が二人の横を過ぎて行った。

この町では、あまり見る事が出来ない光景。

智彦は車道から少し離れ、視線で車の列を見送った。


土埃が舞い、冷たい風へと乗る。

マフラーで口を覆う智彦の耳に、周りの声が入ってくる。


「なんかありゃあ、随分物々しかねぇ」

「ほっ、陽落廃坑に調査入る言いよったろが」

「あー、そぎゃんな?ばってん、陽落はずっと禁足地じゃろが?」

「どぎゃんじゃろ。町長が変わって……」


陽落廃坑。

そのような場所があったかも知れないと、智彦は幼き日の記憶を手繰り寄せる。


(……とは言え、記憶は殆どない。かな)


母さんの実家……この町に来たのは何年ぶりだろうか。

薄らと覚えているのは、まだ商店街に人が溢れ、活気があった賑やかな空気。

あの時は母さんに、オマケ目的で超人機チタンダーソーセージを買って貰ったな、と。

智彦は、目を伏せる。


(あの後、父さんが事故で死んで……。母さんが忙しくなったんだっけ)


実は、智彦は自身の父親の事をあまり覚えていない。

智彦自身が小さかった事もあるのだが、母親が全く話をしないからだ。

それにより、父親を想起しない事が続き、父親に対しての思い出が希薄なのである。


(……思い出すと辛いからなんだろうけど。でも、暮らしも余裕出て来たし、父さんの事を振り返って欲しいな)


顔を上げた智彦の目に、淡い陽光が差し込む。

そろそろ戻ろうと歩みを止めた智彦だが、アガレスが無口になっている事に気付いた。


「……どうかした?」

『いや……。なにか懐かしい気配がしたんだ』

「アガレスだから、読んだ事のある本が乗せてあったのかもね」

『ふっ、かも、しれないな』




智彦とアガレスは、母親の実家へと戻る。

智彦の母親の両親……智彦の祖父と祖母は、智彦を大層可愛がった。

何せ15年以上、会っていなかったからだ。


「ほっ、智彦!モチば食わんかい!ほっ!智由ちゆ!きな粉ば持ってこんね!」

「ぜんざいもあるけんね。さぁ、アガレスさんもどうぞ」

「父さん、母さん、智彦に食べさせてばかりじゃない!……ふふっ」


人間状態のアガレスを巻き込んだ、無償の歓待。

以前の智彦であれば、この干渉は煩わしいと処理していたであろう。

アガレスもまた、裏の無い歓迎にどんな笑みを浮かべていいか解らぬまま、食の暴力を受ける。


(智彦、すまない、もう食えない……!)

(俺もだよ、餅が重すぎる!)


「ほら、もう……!父さん、母さん、今夜はここまでよ」


祖父母が、苦笑を浮かべ頷く。

その反応に対し、智彦の母親は朗らかに笑う。


ファンヒーターの、低い音。

テレビからは、地方のTV局が作った番組の音声。

そして、皆の笑い声。

母親の心からの笑顔を見て、智彦は安堵した。




布団乾燥機を使った後の匂いに囲まれた、翌日。

智彦が遅めの起床をし、庭でストレッチをしていた頃。

智彦の母親……八俣智由が、庭先の物置へと智彦を誘った。


「どうしたの?母さん」

「うん……、智彦に、話しておかなきゃいけない事があるの」


物置……と言うが、小さなガレージの規模だ。

智由は雑多に置かれた物をどかしながら、奥へと進む。

そこには、大きな何かがビニールシートを被っていた。


「智彦のお陰で、色々と余裕が出来たわ。……本当に、有難う」

「こっちも。母さんの苦労の上に胡坐をかいてて、ごめん」

「子供だからそれでいいのよ。……智彦は、死んだ父さんの仕事、覚えてる?」


智由の言葉に、智彦は首を横へと振った。


「そうよね。話もしないし、関係あるものは全部処分しちゃったから」


一瞬、智由の顔が苦痛に歪むが、それを正した後にビニールシートを剥いだ。

現れたのは、年代物のバイクだ。

部品が所々外され、もはや走れそうには無い。


「父さんと私は、小さなバイクのお店をしてたの。ホントに小さい……、でも、幸せだった」


智彦が赤ちゃんの頃だから覚えてないわよね、と。

智由は言葉を綴り続ける。


「智彦が知っての通り、あの人が死んだのは事故……バイクの事故、だったわ」


智由は垂れた黒髪を艶めかしくかき上げて、バイクを撫でる。

目を細め、バイクの思い出を偲んでいる様だ。


「あの人は友人と一緒にツーリングをしてたの。そして、事故にあった。……事故の原因は馬鹿馬鹿しくて信じられなかったわ」


一呼吸。


「けど、……智彦の話を聞いて、今の貴方を見ていたら、アレは真実なんだなと思うようになった」


車体に付いた大きな傷を指でなぞり、智由は視線を智彦へと向ける。


「場所は当時名前が無かった峠道。父さんを殺した犯人はいきなり峠攻めを挑んだそうなの。そいつは父さんのバイクをガードレールに押し当て、そのまま……」


聞くと、智彦の父親はその拍子でバイクから放り出され、谷底へと落ち……死亡したそうだ。

と、ここで、智彦の中に疑問が生まれる。


「犯人は、捕まったの?」


事故で死んだと聞いていたのに、まさかの他殺。

父親の死について知らなかったとしても、謝罪とか、慰謝料とか、刑期とか……犯人についての話は聞いた事が無いと、智彦は首を傾げる。


「いえ、捕まらなかったわ」

「どうして……」

「捕まえられなかった、のかしらね。あの人の友人がいくら証言しても、ダメだったわ。……首が、無かったそうなの」


「……人間じゃ無かった、って事?」

「えぇ、巷では首無しライダーって呼ばれてるみたい」


ならば、捕まえる事が出来ない、と。

そして、他殺では無く事故で処理された事に、智彦は納得した。

だがその顔は、恐ろしく昏い。


「智彦、もし……もし、首無しライダーに関わる事が有ったら……」

「うん、父さんの敵討ち、させて貰うよ」

「ありがとう。親として、本来であれば関わるなって言う所なんだろうけど、智彦ならやれるんでしょ?」

「勿論」


親子で、仄暗い笑みを交わす。

復讐によって救われる心が、ココには確実に存在している様だ。




「よし!大事な話は終了!一緒にお昼の用意を……あら?」



バイクへと再びブルーシートを被せる智由の手が、止まる。

視線の先……物置の入り口には、小さい雪が舞っていた。


「天気予報じゃ、こっちは晴れが続くとあったのに」


物置を出た智彦が空を仰ぐと、一面の曇天。

山の天気変わり過ぎだろと思っていると、縁側から祖父母の声が響いた。


「あん山に、誰かが入ったごたるね」

「山の神様が、山から人ば追い出そうとしよらす」


祖父母が眺める先には、山々が連なった奥……何の変哲の無い山が、一つ。

だが確かに、そこから曇天が広がっている様に見えた。


「人を、追い出す?」


「そぎゃん。つっても悪い意味じゃ無か。あん山に近づかんように雪ば降らせるったい」

「あそこは何か悪かもんが居て危険、って聞くけんね」


智彦の呟きに、祖父母はまじめな顔で返した。

再び曇天を見上げると、徐々に、白い雪が増え始める。


「明日は雪かきせないかんばい」

「良かったら智彦も手伝ってはいよ」

「……うん、頑張る」


祖父母の頼みであれば、やぶさかではない。

むしろ自身の力が役に立つと、智彦は大きく頷く。


……が、それよりも。


(何かがあるなぁ、これは)


祖父母が見ていた山に、智彦の第六感が反応する。

否定的でない、肯定的な反応。

居間へと戻る祖父母を見送り、智彦は思案し始める。

その時ガサリと、後ろに大きな気配が生まれた。


『智彦』

「お帰りアガレス、図書館、どうだった?」

『図書館と言うより公民館の一室だったが、興味深いモノばかりだったよ』


アガレスもまた、智彦の視線の先にある山を、眺める。

何となくではあるが、他の山々と違い、得体の知れない瘴気を纏っている。

二人には、そのように見えた。


「アガレスも、何か感じてる?」

『あぁ、先程の懐かしさが関係あるのだろうな。行くのか?』

「行かなきゃ後悔するって、勘がね」

『ふっ、なら確定だ、行こう』



夕暮れ。

理解者となった智由の許しを得て、智彦とアガレスは廃坑方面へと向かう。

余計な荷物を持たず、スマフォ片手に着の身着の儘だ。


『スニーカーなのにこうも易々と……さすがの踏破性だな、智彦』

「そっちは走ってる様に見せて少し浮いてるでしょ?ずるいな」


深々と舞う、雪。

白い息が目立つ程に、暗くなる周囲。

地図にも無い悪路ではあるが、幸いにも樹々が傘となり、道への降雪は少ない。

新しくできたタイヤの跡を追っていくと、遠くに灯りが揺れていた。

見覚えのある車両の周りに人が張り付き、凍てつく空気の中、何かをしている様だ。


これは何かあったのかと、智彦は声をかける。


「どうかしましたか?」

「……え、人?あ、ああああの!助けて下さい!」


本人は軽く走ってきたが、智彦のいた町から片道三時間の道だ。

しかも、悪路で運転もままならない。

肥後学園大学民俗学部の面々は、渡りに船と、智彦達へと助けを求めた。


まとめ役らしい太めの女性が、智彦へ名詞を渡してくる。

『肥後学園大学 民俗学部3年 八島友美』と書かれたソレを受け取り、智彦は説明を促した。


「あの!私達、この先の廃坑を調査してたんですが、落盤が起こって!教授と仲間が閉じ込められたんです!」

「携帯も通じないし、もはや下山して助けを求めるしかないって時に、脱輪しちまって」


男性の言葉で、智彦はスマフォを見る。

確かにアンテナ表記が無く、そこまで深い森なのかと首を傾げた。


「あの!貴方はどうやってココに?もし車だったら、乗せて貰えませんか?」

「俺達はここに残るので彼女だけでも!あぁでもどこに助け求めればいいんだろう?消防?」

「警察にも一応!あぁぁぁ、慣れてる皆はいいとして、ありすちゃんが心配だよぉ」

「いや、八島。お前はまず十河の心配しろよ、彼氏だろうに」


ありす。

八島の言葉に含まれた名前に、智彦とアガレスは、眼を細めた。


『失礼、お嬢さん。そのありすって娘の名字は、郷津、ではないかな?読書好きの、いや、本の虫……じゃなく、本狂いの』


「え、えぇ、そう……です。もしかして、お知り合いですか?」


ならば何という偶然と驚く八島を前に、智彦とアガレスは目を合わせ、頷く。

第六感のコレの事かと、二人は得心した。


「俺達が先に助けに行きます。貴女方は下山して、……えっと、どうしようアガレス?」

『熾天使会が良いかも知れないな。お嬢さん、スマフォをお借りしても?』

「は、はい!」

『もし繋がったら、八俣智彦からのお願いです、と先に伝えるように』


アガレスが、八島のスマフォに養老樹の連絡先を入力する。

その間に、智彦は車両を持ち上げ、道へと戻した。


「は……?え、えぇー!?」

「俺達が数人がかりでも動かなかったのに……」


唖然とする面々に頭を下げ、智彦は走り出す。

アガレスも後を追い、共に、闇と白に染まった陽落村跡地へと、足を踏み入れた。



「ここが落盤したって廃坑かな?……妙な気配がするから早速だけどぶち抜こう」


『待て智彦、向こう側に人がいるとまずい。土砂が散らぬよう、私が力で抑えよう』



こうして。

物語が再開する。

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