隙間録:花子


【あぁ、憎い!俺を裏切ったアイツが憎い!】


【殺したい……!儂がずっと貯めていたお金をあの外人どもめ!】


【ロクな人生じゃ無かった。コレも全部男作って家を出て行った糞ババアのせいだ】


【お腹空いたよひもじいよ。小遣い稼ぎで痴漢でっち上げただけなのに!】


【妬ましい!俺より長く生きる全てが妬ましい!】



昔は繁栄の象徴であった、昭和のシンボルである大型団地。

屋上にある貯水タンクの上に、黒い影が揺れる。


『今日もこの世は恨みがいっぱい』


黒い影……恨み神の一部である花子は貯水タンクへと腰を下ろし、空を見上げた。

濃い灰色の雲がうねり、大粒の雪を吐き出していく。

花子は降り注ぐ雪を掌で受け止めようとするも、苦笑いを浮かべる。


『今日は気分が乗りませんし、恨みは拾わなくて良いでしょう』


恨み神と呼ばれてはいるが、彼ら彼女達は、全ての恨みに応えているわけでは無い。

また、応える義務もない。

ただただ、気まぐれに応えるだけだ。


『明日は、北海道に足を運びましょうか。人が少ない所が良いですね』


目を細める花子の耳には、未だに多くの怨嗟が流れてくる。

死ぬ事への恨み。

他人への恨み。

社会への恨み。

そして、逆恨み。

恨み神の一部となった当時は神経がゴリゴリと摩耗していったが、今ではもはや慣れ……いや。

人が息をすように、当たり前の事となっていた。


ふと、花子の耳に声が入る。

視線を下へと向けると、敷地内の公園で子供が遊んでいた。


恐らく、姉妹であろう。

空から落ちてくる雪へと手をかざし、満面の笑みを浮かべ寄り添っている。


花子は視線を自身の右掌へと移し、眼を閉じる。


『彩子、貴女も恨みを持っていれば、拾えたのに……』


闇。

孤独。

飢え、乾き。

あの日、祠に閉じ込められた花子は気が狂っていた……様な記憶がある。

爪が剥がれ肉も削ぎ、骨が見える指でガリガリと、開かない石の扉へと縋っていた。

空腹の余り自身の排泄物や髪の毛までも、胃へと入れた。

喉から血が溢れるも、村人達に呪詛を吐いていた。


……そして気付くと、自身の遺体と手を繋いだ、妹の骸が目に入っのだ。

恐らくだが、妹の婚約者が手を貸した、のだろう。


『貴女に恨みがあれば、一緒に成れたかも知れないのに……』


花子の妹である彩子は、生きる道を捨て、花子と共に朽ちる事を選んだ。

そしてその顔には恨みは微塵も無く、安寧であった。


『でも、そんな彩子を、私は尊敬、します』


恨みを持たず消えて行った、高潔な魂。

脳裏に彩子の笑顔を思い浮かべながら、花子は立ち上がる。


『最後に、八俣さんの姿でも見て行きま……あら?』


花子の眼前を、小さな魂が横切った。

小さい、魂。

けれども、力強い魂だ。


『水子、ですか。……生を受ける事が出来れば、強い存在になれたのに』


と、そこで、水子の魂が恨みの声を上げた。

花子はつい、その恨みを拾ってしまう。


『……成程、貴女のお母さんを苦しめた人に、罰を与えたいのですね』


自分よりも母親を思うとは、優しい子。

花子が恨み神として力を使い、復讐相手のイメージを読み取った。



『……すみません、三人の内、一人は無理です。うん、無理。私個人で阻止させて頂きますね』


ですが残り二人に復讐する力を与えましょう、と。

花子は、この世に生まれる事が出来なかった魂の、小さな手を取った。

瞬間、小さな魂は小さな輝きを残し、その存在を滲ませる。



少しの間。

花子は再び空へと浮かび、雪が街を染めていく様を見つめた。

このまま人の恨みも覆いつくせば良いのに……。


『いえ、雪で覆われても、溶ければ、再び……』



花子はそう呟き、曇天へと消えて行った。

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