区切り
冬の夕方は、早い。
子供達の遊ぶ声が先程前聞こえていたかと思うと、それは風の音に変わり、いつの間にか黄昏時となっている。
他の季節と比べ静かで、寒くて。
人々は穏やかさを。
または、寂寥感を。
そして時には、恐怖を、抱く。
とある病院の、一室。
電気が点いていない仄暗い個室の中で、一人の女性が、ベッドに横たわる男性を見つめている。
男性は呼吸をしているものの、その肌には生気が無い。
女性も、濁った瞳を男性へと向けている。
風が吹き、ガタリと窓が揺れた。
女性……樫村直海は体をビクリと震わせ、初めて室内が暗い事に気付く。
慌てて電気を点け、再び、男性……藤堂光樹を、見つめた。
「……なんでこうなっちゃんだろう」
直海はそっと、自身のお腹に両手を添え、先日まで記憶を綴る。
年が明け、幾日も経たぬ日の、深夜。
急に体調が悪くなり気を失い、病院で目覚めた時には、妊娠の事が両親にバレていたのだ。
それだけではなく、お腹にいた新しい命……藤堂との子が、死んでいた。
直海の両親は怒り狂い、藤堂家の病院へと怒鳴り込む。
だが藤堂は、直海が倒れた同じ頃に、原因不明の眠りから醒めない状態となっていた。
「あんな事、しなきゃよかった、のかな」
直海が思いだすのは、クリスマス前。
「八俣智彦に復讐をしないか」と持ち掛けて来た、男だ。
その後は男の言うように、謝罪するという態で呼び出し、智彦の食べるモノに赤い液体を混ぜた。
それが、この現状の原因だろう、と。
愚かな女は、理解しているようだ。
(……なんでこう、私の周りを台無しにするのよ)
今回と前回の警察の件で、親からはほぼ絶縁状態。
クラスからは完全に孤立し、腫物扱い。
直海から歩み寄ろうとするも、智彦は全く相手にしてくれない。
挙句の果てに妊娠後、覚悟が決まり寄り添うとした相手……光樹がこんな状態だ。
直海の中に、どす黒い感情が湧き始める。
「ねぇ光樹、起きてよ。一緒に幸せになって、アイツを羨ましがらせるって、言ったじゃない」
彼岸花の社で智彦に救われた直海は、智彦とよりを戻したいと願った。
だが、もはや一方通行。
智彦は直海に関わりたくないと思うどころか、何をしても無関心であった。
直海が智彦を更に憎みだしたのは、この時からである。
何故、自分と別れて芸能界に人脈を築いたのか。
何故、自分と別れて養老樹グループと縁を持ったのか。
何故、自分と別れて物怖じしない強さを手に入れたのか。
何故、自分と別れて金回りが良くなったのか。
何故、たかが浮気くらいで許してくれないのか。
何故、浮気をしないように心を繋ぎ止めてくれなかったのか。
何故、お腹の子供は智彦のとではないのか。
何故、何故。
何故。
そう考えれば考える程、智彦がまるで直海へ当てつけるように生きてると思え。
そもそも、連絡が取れなくなった横山愛と共謀し、自身を浮気させるように仕組んだのでは、と。
もはや逆恨みではなく、被害妄想まで抱くように……直海は堕ちてしまっていた。
「もう、私には、貴方しかいないのよ……」
藤堂家からも疎まれてはいるが、直海には藤堂しかいなくなってしまった。
勿論それらも、直海の中では智彦の仕業と変換されている。
扉の向こうから、足音が聞こえる。
あぁ今日も追い出される時間か、と。
直海は荷物をまとめ始めた。
すぐさま、ガチャリとドアが開く。
現れたのは、光樹の家族……では無く、智彦だった。
「っ!?智彦っ!な、何しに来たのよ!」
直海がガタリと立ち上がり、光樹を庇うように智彦へと立ち塞がる。
智彦は無表情のまま、寝たきりとなった光樹をへと目を向けた。
「落ちぶれた私達を笑いに来たのかしら?光樹はこんな状態だし、私は、お腹の中の子供、死んじゃったし!あははっ、さぞいい気分でしょうね!」
顔を歪ませ、直海は智彦へと食い掛る。
その言葉に、智彦は直海の眼を真っ直ぐと見つめた。
「今回の
「あっ…!?し、仕返ししに来たのね!?」
バレていた。
つまり智彦がココに来たのは、復讐の為だと。
直海は藤堂へ覆いかぶり、眼を瞑る。
智彦は大きく息を吐き、直海を藤堂から引きはがした。
女性に対する優しさはなく、そのまま床へと投げやる。
非難を上げる直海を無視し、智彦は藤堂をじっと見つめた。
「身を挺してまで、本当に藤堂が好きなんだね。俺の時に……いや、いいや。この、頭に蛇のように絡まってるヤツかな」
智彦は一瞬悲しそうな表情になるも、藤堂の頭に巻き付いた縄を見つけた。
常人には見えないソレを、智彦はいとも容易くブチリと千切る。
すると、藤堂が呻き声をあげ、ガバリと上半身を起こした。
「光樹っ!」
「え?俺は今まで森に、え?ゆ、夢?え?直海?」
直海は光樹に抱き着き、涙を流す。
光樹もまた、憑き物が取れたような晴れやかな顔で、直海の頭を撫でた。
お互い自業自得で色々なモノを失った結果の共依存ではあるが、そこに愛情は確かに存在しているようだ。
「ずっと、森を歩いてたんだ。何年も。一本道で、同じ景色が続いて……、道を外れても出られなくて」
藤堂はそう口にすると、再びベッドへと沈む。
直海は慌てて肩を揺らすが、藤堂の顔は先ほどと比べ穏やかであった。
「気絶しただけだと思うよ。んじゃ、俺は帰るから」
「……待ってよ。ねぇ、どう言うつもり?」
「さぁ、なんで、だろうね」
智彦は、睨む直海と相対する。
だがその口調は、以前のように気怠いモノでは無い。
智彦自身、何故ここにきて、光樹の世話をしたのかが解らない。
智彦の中で、短くも極めて高度な情報整理がされ、その解答をなんとか言語化する。
「けじめ……いや、違うか。んー、上手く言えないけど、区切りにしたい、って感じかな」
富田村ですみれと決着をつけ、智彦が思ったのが、「過去との決別」であった。
今までは、力を手に入れた身でありながら「富田村では地獄を見たのに」と。
自分は被害者なのだ、と。
そう、考えている部分があると気が付いたのだ。
「陳腐な言い方かもだけど、新しい自分になったから、再出発しようとしてね。だから、リセットして、ゼロにしたかったんだ……と思う」
「何よ、今更……」
と、そこで直海の動きが止まり、智彦の言葉を反芻した。
再出発。
つまり、今までのを無かった事にして、やり直したい?
直海は内心焦るも、藤堂を一瞥し、呼吸を整える。
「……ま、まぁ、智彦がそう言うんなら?よりを戻してもいいわよ?私も悪かったしね」
以前の直海であれば、ここで打算が強く働いていただろう。
しかし彼岸花の社で救い出されたあの日、直海は智彦と過ごした日々を思い出した。
自分は確かに、智彦を好きでいた。
それを忘れ、酷い事をした。
許されるのならば関係を修復したい……そう思っていたため、直海は智彦の言葉へと飛びついたのだ。
(ごめん光樹、私に幸せを掴ませて!)
心の中で光樹に謝罪しながら、直海は右手で髪を弄び始めた。
「あ、でも、その、いい……のかな?えっと、堕胎経験あるん、だけど……智彦は気にしないでくれる、のかな?勿論、私が悪いのは解っているから、何でも言う事を聞く、いや、聞かせて?」
気にしないでくれるだろう、と謎の信頼を待つ、直海。
しばしの、間。
何の反応も無い事を不審に思い、直海は智彦へと視線を戻す。
すると、智彦は何とも言えない顔で呆けていた。
「あー……、そういう意味で捉えたのか。違うよ、直海たちの事をどうでもいい、と思ってたけど、もう他人でありたいんだ」
「え?……ぁ、ああ、はぁ!?」
顔を歪める直海に、智彦は今まで見せた事の無い、極めてさわやかな笑顔を浮かべる。
「どうでもいい」。
智彦は直海達を、そう思っていた。
嫌いの反対は無関心と言うが、やはりそれでも、智彦は「どうでもいい」と関心を持っていた事に気づいたのだ。
故に、無関心でいるために他人でありたいと。
過去の自分との関係を清算しようと。
裏切り者3人への恨みを消し去ろうと……いや、富田村へ行く事となった要因を作った事への感謝で相殺を。
そのために自分はこの場にいるのだなと、今更ながらも智彦は自覚したようだ。
そもそも事の発端は、裏切り者達が智彦を見捨てた事に始まる。
今の自身を形作ったのは、いささか不本意だがすみれ……富田村である事は間違いない。
つまり、直海達がそのきっかけを作ってくれた……と、考えるようになったのだ。
勿論感謝なんか伝えないし、未だに納得はしていない。
納得はしていないが、理解はしている。
故に、ゼロからスタートする為の手切れ金代わりに、藤堂の下へと訪れたのだ。
「藤堂には今回の恩で、あと横山にもそう伝えておいてくれ」
「ちょ!ちょっと待ってよ!智彦!あのね!」
「じゃあね樫村
部屋を出ていく智彦に縋ろうとするも、直海は足がもつれ転んでしまう。
智彦はそれを気にもせず、清々しい気持ちで、玄関を出た。
外気の冷たさが、澄んだ体へ侵食していく心地良さ。
息を吐くと、正月弛みの残る街が、白くぼやける。
心構えは変わったが、恐らく、生き方に変わりは殆ど無いだろう。
だが少しくらいは、前向きに生きれるようになるかも知れない。
もう被害者ぶって、厭世的に腐れる必要もない。
智彦はスマフォとりだし、裏切り者達だった3人の情報を消去した。
「――――――――――ッ!?!?!?!?」
後方で、藤堂医院の窓ガラスが割れた。
直海の奇声と共に椅子が宙を舞っているが、智彦は振り向きもせず、母親へと電話をかける。
「……あ、母さん?今から帰るんだけど、何か買って行くものあるかな?」
母親の要望を記憶に刻みながら、智彦は病院を見つめる人々の間を、すり抜ける。
「……わかった、牛乳は低脂肪でいいのかな?あ、それとね、今夜、話したい事があるんだ」
多分長くなるかも知れないけど、と。
智彦の穏やかな声が白い靄となり、寒空へと溶け込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます