すみれ
『やぁぁぁまぁぁたぁぁぁああああああ!!!』
四肢が自由となったすみれが、智彦へと襲い掛かる。
粘性の毒が皮膚を覆い、骨が無いかの様に体がぐにゃりと歪み、巨大なナメクジの化け物へと変貌する。
晦の夜へと溶け込みそうな、黒く長い髪。
そこから浮き出るような、白い肌。
時たま滲ませる笑みは、蠱惑的で。
初夏に響く風鈴のような、声。
智彦がこの地獄で恋をした巫女は、その姿を醜い様相へと変えてしまった。
『やぁぁっぁ!まぁぁぁっ!たぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「謙介は離れてて。……そんな呼ばなくても聞こえてるよ。さぁ、今度こそゲームを終わらせようか』
うねりと動く手をムカデのように生やした、アメジストの如く紫に輝くナメクジの巨体。
その頭部に生えた細長い目の、片方。
そこから生前のすみれの上半身が生え、智彦へと奇声を上げ続ける。
『やぁぁぁぁまぁぁぁぁぁぁぁぁあたぁぁぁぁぁぁああ!』
ナメクジの体から紫色の粘液が吐き出され、智彦を包み込んだ。
本来であれば、あらゆるモノを瞬時に骨すら残らぬように溶かす、猛毒。
だが智彦が腕を振るうと粘液が喪失し、足場に群がっていたナメクジも爆散する。
「相変わらず、自分の事を神だと思ってるようだね」
言葉と同時に、智彦の体がブレた。
次の瞬間、ナメクジの巨体の半分が弾け、汚い雨と成り広場へと降り注ぐ。
『やまたぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!』
「すみれさん、終わらせて貰うよ」
跳躍。
智彦は蹴りを放ち、ナメクジの頭部を切断。
断面から湧いてくる人間程もある寄生虫の群れを、着地前に正拳突きとその余波で吹き飛ばした。
『あぅ、あああ、ぐえぇっ!?』
ベチョンと地面へとバウンドする、ナメクジの頭部。
智彦は片方の目を捻じ切り、すみれの上半身を見下ろす。
『かふっ!ふぅっ!あー……、もう。参ったわね。ここまで強くなるなんて、こんなはず、無かったのにな』
先程までの鬼気迫る怨嗟は、何処へやら。
すみれは目を細め、乾いた笑いを響かせた。
「変にこっちを強化するようにしなきゃ、俺も死んでたよ」
『そうでもしないと、皆、あの糞村人共を一人も殺せなかったのよ。ったく、上手くいかないな』
智彦はすみれの両脇を支え、ナメクジの体から取り外した。
下半身があった場所には何も残っておらず、小さく細い軟性の根が、結合部分を求めて蠢いている。
『おめでとう八俣君。君の勝ちよ……さっさと終わらせて』
諦観の籠ったすみれの声に、智彦は顔を上げ、慰霊碑に打ち付けられた老人……村長へと、近付く。
一瞬の間を置き、村長が固定する釘を、すみれの時同様に引き抜いた。
『ぁ ぁぁぁ ぁ ぁぁ』
力ない嗚咽を漏らしながら、老人は虚ろな目を動かす。
智彦は生きる屍を雑に、すみれの前へと投げやった。
死ぬ前に、復讐をしろ。
そう言いたいのだろうと、すみれは村長を見据える。
最初は、優しい人だと思っていた。
巫女として育てられることが決まり、その誉れが嬉しかった。
だが思い出すと、あの時両親の流していた涙の意味が、解る。
後から解った事だが、家族は自分を差し出さないと村から追い出すと脅されれいた。
歓喜の後に待っていたのは、村長からの劣情。
その後……苦痛激痛による、死。
体を汚した村長が憎かった。
何も教えてくれなかった村人が憎かった。
体中から虫が湧き出る様を見て、喝采を上げていた村人が憎かった。
自身の死を、業務的に処理する村人が憎かった。
すでに巫女の存在に興味を抱いていない富神が憎かった。
村から奉納される供物で、堕落に墜ちている神が憎かった。
自身の遺体を掘り起こし、丁重に葬ってくれた両親は誇らしかった。
負の連鎖を終わらせる為に、村の宝を隠した兄も誇らしかった。
そんな家族を、富神へと捧げた村人が。
3人の体を弄び、ゴミのように捨てた富神が。
心底、憎かった。
『まだまだ苦しませたかったんだけど、ね』
すみれが、ぬるりと光る右手を動かした。
その先端が村長の体に巻き付き、ゆっくりと締め付ける。
『ごっ!? ぶ、へげっ!があああっ!だず、げででででっ!』
ミシミシと、村長の体から異音が響くと、その体が捻じ始めた。
服が、皮が、肉が裂け、骨が歪に粉砕されて行く。
すぐさま村長の声は途切れ、慰霊碑に叩きつけられたソレは、もはや元が何なのかが判らない肉塊となった。
『はぁ、呆気ない。……さ、終わったわよ。さっさと消しなさい』
「うん。……すみれさん、俺もね。自分の感情で、人、結構殺したんだ」
『そう。でも、後悔は無いんでしょ?』
「全く無いかな。やり返しただけだし」
『恨み神の力で、貴方に復讐に来るかもよ?』
「その時は2回目の絶望を教えてあげるさ」
すみれの笑みに、智彦も口角を上げて答える。
先程まで殺し合っていた気配は、すでに無い。
『さようなら、八俣君。貴方の狂気、大好きだったわ』
「さようなら、すみれさん。短い間だったけど、好きだったよ」
智彦が、右腕を振りかぶる。
すみれは笑みを浮かべたまま、それを見つめた。
『先に地獄で待ってるわ』
「当分は行く気は無いけどね……それじゃ、また」
とは言え、この男なら、地獄の閻魔や鬼すら、余裕で殴り倒すだろうな。
それまでは、地獄を愉しんでやるか、と。
胸中に愉悦が沸き出た瞬間……すみれの意識は、この世界から消失した。
ズゾゾと溶けていくすみれの体を、智彦は無表情に見つめる。
あれ程までに憎い存在ではあったが、その胸中には、清々しい風が吹いていた
雲が晴れ、下界が月明かりに晒される。
常に村を覆っていた薄い靄も、消え。
富田村が今まで見た事ない位に、月明かりに染まった。
「……さ、帰ろうか。謙介」
「無事終わったようで何よりですぞ。ところで、良かったのですかな?」
「ん?何が?」
「いや、すみれ氏を倒したら、八俣氏の力も無くなるのでは……と」
あー、と智彦は、思い出すように声を上げた。
すぐさま拳に力を入れたり、体を捻ったり、目を凝らしたり、それぞれの動作を確認し始める。
「……大丈夫、みたい」
「なら良かった。しかし何となくですが、空気が澄んできた気がしますぞ……ぉ?」
目の前を、光が横切った。
智彦と上村は光を追い、村を見下ろすように鎮座する廃坑へと目を向ける。
光の、滝。
地面から、廃墟から、池の後から、空へ。
無音ではあるが、光が激しく流れていた。
二人は無意識に、両手を合わせ、目を瞑る。
少しの間を置いて智彦が目を開くと、自身の体が仄かに光っていた。
「……ありがとう」
力に変換された魂達は、このまま智彦の中へと居続ける事を選んだ。
智彦には、そう彼らが言っているように感じ、感謝の言葉をぼそりと呟く。
「八俣氏、その、月明かりで見えるようになったのですが、体がすごい事になってますぞ」
「あー、ぬるぬるだね。車、乗せて貰えないかな」
「難しいでしょうなぁ。池か川があれば良いのですが……」
「一応あるにはあるけど……ごめん、謙介。帰りは走って帰るよ」
もう一件、寄らなければいけない場所が、ある。
智彦はもう一度光へと振り返り、はぁ、と小さく息を吐いた。
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