富田村



高速道路を、一台のジムニーが走る。

黄緑色の車体が陽の光を反射し、軽快に車線を変えた。


「有難う御座います、紗季さん。乗せてくれて」

「構わない。あのままじゃ謙ちゃんを担いで走るつもりだったんでしょう?危険」


えぇ、っと。

後部座席へと振り返る上村に、智彦は苦笑で返す。

全力で走ればすぐなのだが、話をする分には丁度良いかと、智彦は紗季の提案を受け入れたのだ。


「と言うか、紗季氏。いつの間に車を……」

「つい先日。謙ちゃんと一緒にドライブに行きたくて」

「あー……、計画を邪魔しちゃってなんか申し訳ないです」


恐らくだが、紗季はサプライズを企んでいたのだろう。

ソレを台無しにしてしまった事に、智彦は素直に謝罪した。


「構わない。ドライブはいつでも行ける。今はこっちが大事……でしょ?」


どこまで知っているのか。

それよりも、何故知っているのか。

とは言え、それは怪異特有の性質だろうと、智彦はすんなりを流す。


「……で、八俣氏。今向かっているのは、富田村……でよろしいのですかな?」


上村がカーナビ画面を操作すると、廃坑(国有地)という場所へと進んでいるのが解った。

周りに何も……それこそ集落すら無い。

だが高速道路の出口からは近い、山林地帯。


「うん。……恨み神が力を貸した巫女と、決着を付けようと思ってね」


あの日の情景を、智彦は思い浮かべる。

ラスボスだと思っていた神を自称する存在を、苦も無く捩じ切った後。

唯一の仲間だと思っていた巫女の幽霊……すみれが、面白可笑しそうにネタバレをし、悪霊となって襲って来た、あの夜をだ。


生者へと憎しみを持ち、自身の作った世界……富田村へと人々を誘い、絶望し死んでいく様を楽しんでいた、すみれ。

被害者ではあったが。

恨みを無事晴らせただろうが。

自分がもはや死者であると言う覆せない事実が、歪みの原因だったのだろう、と。

智彦はぼんやりと推察した。


「……何となく、解る」


煽って来たプリウスをうまく誘導し壁高欄へと衝突させた紗季が、智彦の話へ反応した。


「私も、人外。たまに人間の女性が、どうしようもなく羨ましく、妬ましくなる時がある」

「紗季!自分はそんなの気にしないって言っ」

「解ってる。謙ちゃんがそうだから、私は墜ちないでいられる」


そう言うモノか。

いや、そう言うモノ、なのだろうと。

自身が人外へと肩まで浸かっている事に気付かない智彦は、目を細めた。


高速から出て、車は徐々に山の方へと向かって行く。

点在する民家がやがてなくなり、自然豊かな様相へと変わっていった。



「……だけど、未だに良く解らない点があるんだよね」


富田村は、すみれが復讐を果たした後に、彼女が作ったゲームの様な世界だ。

つまり、彼女はゲームマスターであり、あの世界を好きに弄る事が出来る。

要するに……。


「なんで俺に負けたりしたんだろう」


すみれは、つまりはラスボスだ。

ならば、自身を強化したり、ダメージを受けないなどのチート……って奴を使えた可能性が高い。

なのに何故、あの様に……悪霊として襲い掛かって来た際に放った拳で、撃破できたのか。


もしかして滅ぼして貰えるのを待っていたのだろうか、と考える智彦。

だがそもそも、とも首を捻る。


「俺、どんどん強くなっていく自覚はあったんだけど、何もしてこなかったんだよね」


それは、智彦の絶望を深くするエッセンスだったのかも知れない。

順調に成長させ、物語の終わりに心を折りに来る。

すみれならばやりそうだが、こっちの強さを解っていなかったのだろうか、と。

今更ならが、本当に今更ではあるが、智彦は不思議に思ってしまった。



「あー、八俣氏。昔、RPGを作るゲームを自分の家でプレイしたのを覚えていますかな?」


そんな智彦に、上村は昔を懐かしむように目を細め、尋ねる。

智彦もまた同じような眼となり、過去を見つめ始めた。


「あったねぇ、謙介は嫌いな先生の名前を敵に付けてたっけ」

「懐かしいですなぁ。……まぁ、ああいうのって、バランスがホントに難しいんですぞ」


上村は、思い出すかのように伝え始めた。

敵が強すぎても駄目。

こっちが強すぎても駄目。

ゲームのバランスは、テストプレイを繰り返して整えていくのだと。

つまりすみれと言う巫女は、人……プレイヤーを誘い込み、彼ら彼女らの進度や死によって、バランスを整えてった……のかも知れない、と。

まるで人体実験だなと、智彦は上村の話に耳を傾ける。


「八俣氏の話を聞くに、すみれという巫女は、やはりプレイヤーが苦しむ様を見ていたのでしょうなぁ」


智彦の話を基に、上村が富田村へ抱いたイメージは、クソゲーではないが高難易度な死にゲー、だ。

ゲームマスターが一方的に蹂躙するのではなく、ある程度プレイヤーと敵が拮抗した状態にする事で、死と隣り合わせの緊張感。

同時に、どう足掻いても絶望な負の感情を維持させる。

見てる分にはさぞ愉しい喜劇であっただろうと、上村は思わず眉を顰めた。


「それでもやはり、迷い込んだ人が全然進めない為、色々と雑な対応をしたのだと思いますぞ」


最初は面白かっただろうが、プレイヤーがだんだんと進めなくなってしまった。

そこで、すみれは雑な救済を設置してしまったのだろう。

難しいシミュレーションゲームに、バランスを崩す程に強い仲間を加入させるように。

アクションゲームで、無限に撃てる高火力武器を、しかも上段撃ちすら可能なモノを入手させるように。

軽い気持ちで、敵を倒した際の魂で自身を強化できるようなシステムを作った……のではと、上村は考えた。


「ですが、かなりギリギリだったのではないですかな?」

「中盤まではね。でも、蟲を食べても魂が手に入ったし、それでなんとか。……いや、それでもかなり厳しかったけど」


富田村の仕組みはいたってシンプルで、敵を倒す、魂が手に入る、それを使ってプレイヤーを強化する、だ。

敵を倒して魂を手に入れれば楽になるのかと言えば、とんでもない。

必死に倒した化け物から得られる魂の量に対して、強化に使う魂の量がはるかに多い。

しかも、守りが重要な化け物の次に、すぐさま攻撃が重要な化け物が出てくると言った、理不尽なバランス。

すみれの中では、迷い込んだ人を使い捨てるように、実装した成長システムをテストプレイしていく……はずであった。


が、ここでイレギュラーが発生してしまう。

それは、村にうじゃうじゃと存在する蟲だ。


すみれが間違って設定してしまったのか、蟲にも魂が存在し、智彦がそれを空腹しのぎに食べ始めた。

結果、決して多くは無いが、ノーリスクで魂を手に手に入れる方法が確立されてしまったのだ。

それにより、智彦は徐々に自身を成長させ、富田村内の狩人と変貌していった。


勿論、智彦が生き抜いたのはそれだけが理由ではない。

村内の入念なリサーチ。

時間をかけて、敵の動きや習性を観察。

化け物と戦う際に、周囲の環境をも利用する。

勝てそうにない敵は、すぐさま逃げる。

才能と言ってしまえばそれまでだが、智彦の生への執念が、彼を化け物へと変えていったのだ。


富田村から生還できたのは、運も含めた智彦の実力があった……これだけは、間違いないと言える。



「……ついた。私はここで待ってるから、気を付けて」


紗季が、獣道手前に車を停める。

智彦が辺りを見渡すと、まったく見覚えのない場所だった。

いや、辛うじて……木々の向こうに、見覚えのある山が見えている。


「……蟲の影響で、この辺りの植物が育ったって事かな」


改めて周りを見ると、工事車両などの痕跡があった。

プレハブ小屋も目に入るが、割れた窓ガラスから、蔦が飛び出している。


「獣道を行こう。それでいいかな、謙介」

「構いませんぞ。では紗季氏!行ってきますぞ!」


紗季に見送られ、二人は獣道を進み始めた。

不思議な事に、智彦が歩くにつれ、道を覆う蔦が縮んでいく。

そして誘われるように、苔生した社へと、辿り着いた。


「鏡花さんの話だと、死体が吐き出された後に道が閉じた……らしいけど」


ギキィと、智彦が社へと足を踏み入れる。

始まりの場所。

智彦が壁に手を触れると、円状の闇が目の前に蠢き始めた。


「ブラックホールの様ですな」

「当時はまさにそうだったんだよね……さぁ、行こう」


闇を潜る、二人。

緑が黒へと変わり、周囲の様相が激変した。


「あぁ、変わらないな」

「ここが、富田村……」


月が浮かぶ、静寂の夜。

所々が壊れた、人の気配が無い家屋達。

月が雲に隠れると、途端に周囲は闇へと染まり、弱く瞬く外灯だけがその存在を強くする。


ジャリジャリと舗装されていない道を踏みしめ、二人は進む。

周りに、生者の気配も、化け物の気配も感じ無い。


以前は得体の知れない声が、生温く錆臭い風に運ばれていた。

周りには迷い込んだ人の末路が点在し、こちらを羨むように、白濁した目に月を浮かべていた。


「おおぅ、建物が崩れてますな」

「うん、でもこの建物のお陰で、俺は死なずに済んだんだ」


初めて、智彦が化け物を殺した場所。

今は化物の残骸どころか、ココにあった女生徒の遺体も消えている。

だが地面に突き刺さった柱と、その下に広がるどす黒い染みは、そのままだ。


「……さっきの続きだけど、すみれ……ラスボス、弱かったんだよね」


闇の中を進みながら、智彦は懐かしむように、言葉を零していく。

ラスボスだと思っていたのは、神を自称するあの下半身がムカデの糞野郎……富神だった。

3回ほど形態を変えたが、思ってた以上に弱く、正直肩透かしであった。

この時点では、富神がこの富田村を地獄へと変えた元凶、と考えていたのを智彦は覚えている。

実際は、すみれが配置したボスであったのだが。


そして贄人の池で始まった、最終戦。

いらぬ事をベラベラと宣うも、智彦の拳で瞬時に沈んだ、ラスボスのすみれ。

自身の性能を上げるなり、無敵化なりできただろうに、と。

あの瞬間の、すみれの信じられないモノを見るような眼が、脳裏に蘇った。


「普通はさ、こっちに負ける要素が無いと思うんだ」


ふと、二人の隣に人影が現れた。

智彦は特に驚かず、それが廃屋のガラスに映った自分だと認め、拳を解く。


「羅観香氏と出会う前に、あの店で色々と聞いたのを覚えてますぞ」

「あの時は信じて貰おうと、必死だったからなぁ」

「はははっ。まぁ、アレですぞ。八俣氏が手に入れた、神殺し、ってスキルの効果ではないですかな?」

「んー、でもコレって富神みたいな神様をどうにかするモノじゃないの?」

「ですぞ。すみれ氏は、神を無自覚に自認していたのではないですかな?」

「……あー、成程」


何せ、この地獄を自由自在に作れる立場だ。

富神すら、駒として使っていた。

なるほど、周りから見れば、あと本人は無意識に、神の範疇に収まっていたのだろう。

智彦は、上村の考察に膝を打った。


「最初に言ったように、雑ですな。その神殺しも、富神に苦労する人に向け作ったんでしょうな」

「こっちは必死で本当に死に物狂いだったけど、傍から見れば穴だらけだったのか」


でもそのお陰で生き延びる事ができ、今の生活があるのだと。

智彦は何とも言えない気持ちとなる。


月明かりの下、慰霊碑が見えて来た。

大きな岩に打ち付けられた老人と、全身に空いた無数の穴から腐ったナメクジを垂れ流す巫女。

憎悪に満ちた赤い目が、智彦を捉える。



『やぁぁぁぁまぁぁぁぁぁたぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!』


「随分憎まれてますな」

「まぁ、そりゃ、ね」


すみれは髪を振り乱しながら手足を動かすが、打ち付けられた釘により微動だにしない。

それでも殺意と怨嗟を、智彦へとぶつけだす。


月が、雲へと隠れる。

慰霊碑の周囲が闇に染まるが、地面を覆う朽ちたナメクジが、紫に光り出した。



「さぁ、ちょっと間が空いたけど、決着を付けようか…すみれさん」



智彦が、すみれを固定する釘を。

ズゾゾッと抜いた。

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