友人との食事はラーメンが基本
年始。
凍てついた街が、陽光によりじわりと動き出す、正月特有のまったりな雰囲気。
とは言え、すでに人の生活は動きだしている。
社会人は忙しなく歩き、制服姿の学生もちらほらと。
お年玉で懐が温まった子供が、営業中の店を覗き込んでいる。
この時期によく耳に入る琴の音。
福袋を片手に行き交う人々。
その中を、智彦と上村が、気怠そうに歩いていた。
「ふわぁぁぁ……」
「眠そうですな、八俣氏」
「うん、まぁ色々あったからねぇ」
「色々かぁ」
深夜の復讐劇から、二日。
あの夜、智彦に接して来た存在……恨み神。
智彦は仇である吉祥寺悠胤を、結局彼女へと譲ってしまった。
拒否権は、勿論あった。
だが、三人の内二人に対して……実にあっけなくはあったが、智彦は復讐を成し遂げている。
なので、一人くらいは良いだろうと。
来根来東矢の様に、恨み神を介して復讐を成そうとしている人々へ譲ろうと、そう考えたからだ。
恨み神は吉祥寺悠胤へと手を伸ばした後、智彦へ感謝の言葉を残し、消えて行った。
その後、鏡花に電話し、「後はこちらで処理しておく」との言葉に甘え、そのまま帰宅。
目的の書籍が無く項垂れていたアガレスを慰めつつ、昼前迄爆睡してしまったのだ。
「まぁ、怪異関係だよ。昨日は昨日で、来客が多くてさ」
智彦は華やかな街の飾りに目を移しながら、昨日の事を思い出す。
家に押しかけた来訪者は、二人だ。
まず一人目は、ニューワンスタープロダクションの星社長。
始終ご機嫌だった星社長は、まずは夢見羅観香の件で智彦へと感謝を伝えた。
聞くと、加宮嶺衣奈はもはや生前と変わらぬ様で、それが羅観香の励みとなっているとの事。
三人で訪れたかったと言うが、やはりと言うか、羅観香はあまりの多忙さで無理のようであった。
世間では加宮嶺衣奈のその異質さが話題ではあるのだが、星社長は純粋に、二人が共に居る事を喜んでいた。
そこで、一枚の契約書が机上へと広げられる。
それは、智彦達が借りている家と土地を譲渡する内容の契約書であった。
面倒事は法務部ですべて処理し、税金などは約10年はこちらで支払いますと、星社長。
勿論、智彦の母親は首を縦に振らなかった。
と言うより、何故こんなにも良くしてくれるのかと、かなり困惑したようだ。
結局は、今の夢見羅観香があるのは智彦のお陰……と星社長が熱弁し、智彦の母親はその契約を受け入れた。
いずれ正直に……あの富田村からの事を話さないとなぁ、と。
智彦は若干モヤモヤしている状態だ。
「良かったですな!あぁ、そういや羅観香氏のファンクラブの更新がされてましたぞ」
「ありがとう。うん、嶺衣奈さんの件があって、色々更新されたみたいだよ」
羅観香との縁で、智彦と上村は、当時創設されたばかりの夢見羅観香ファンクラブの会員となっている。
そのファンクラブだが、加宮嶺衣奈の件でメンバーが爆発的に増えてしまった。
そこで星社長はコレを期に、ファンクラブの内容などを充実させる。
既存メンバーに配布された新しいメンバーカードも、その一部だ。
ちなみに智彦は会員No2、上村がNo3だ。
星社長がNo1だったが、加宮嶺衣奈へと、その座を明け渡したらしい。
(星社長については、疲れはしたけど有難かったんだよね、うん。本当に有難かった)
何せ、夢にまで見た一軒家だ。
智彦の母親は戸惑ってはいたものの、内心かなり喜んでおり、感謝を伝えられた事が嬉しかった。
やっと今までの恩返しができたのだと、智彦はつい涙を流してしまった。
問題は、二人目の来訪者だ。
「次に、せれんのお爺さんがね、訪れて来たんだ」
「あ、ああー……そうだったんですな」
上村の苦笑いに、智彦もつい苦笑いで返してしまう。
新年の挨拶と称して電撃的に訪れた養老樹祭庵は、智彦に様々な贈り物を用意していた。
特に推してきたのが、高級住宅街に建つ豪邸の権利書。
だが智彦にはそれがどうも張り巡らされた蜘蛛の巣に見え、断固として贈答物を辞退。
玄関先で駄々をこねる御老体を養老樹せれん達が回収して行くという、珍事態であった。
「貧しかったからこそ、豪邸の生活には憧れがある。けど、住んでる図が想像できないんだよね」
「掃除が大変そうですからなー。とは言え、人を雇えば解決……いや、そういう人員もパッケージとして入ってそうですな」
「多分ね。あと、何もしてないのに高額のを貰うのは、その、怖い」
養老樹祭庵は、どうしても智彦を一族に欲しかったため、プレゼント作戦を独断で行った。
……のだが、本人に自覚は無いのだが、智彦は金持ちからの施しの様に感じてしまい拒絶したのだ。
「今後も続きそうな気がしますぞ」
「だよねぇ。せれんに何とかして貰いたいけど……」
商店街に、一陣の風が通り過ぎた。
されど、走り回る子供達にはどこ吹く風の様だ。
ふと、上村が憂鬱そうに眉を顰めた。
「……クラスのSNSで回ってきたんですが。一応、八俣氏にも伝えていた方が良いと思いましてな」
「うん?」
「先日から藤堂氏は原因不明の昏睡。あと樫村氏は、その、堕胎、したらしいですぞ」
「そっか」
アガレスの言っていた呪詛返しだろうと、智彦は考える。
藤堂はどうでもいいとして、問題は直海だ。
まさか妊娠していたとは……と考えるも、誰の子か含めやはり心底どうでも良く、智彦の声は平坦であった。
だが、上村に気を遣わせてしまった事を申し訳なく思い、何とか話題を変えようとする。
「そういや謙介、今回のコミデは大丈夫だったの?その、紗季さん、とかさ」
「あー、それが会場関係で延期になったんだけど、ダメそう」
「……そっかぁ」
遠い目をして素で応える上村から、智彦は気の毒そうに目を逸らした。
オタクの祭典である、年末のコミックデパート、通称コミデ。
それは上村にとっては、年に二回の大イベント……なのだが。
紗季がそれを許すわけが無く、上村は健全な生活を強いられていた。
ただ、上村の熱意に紗季が音を上げそうではあるのだが。
「いやまぁ、最近は紗季氏がいて当たり前になりましてな。悪くない生活から、もはや手放したくない日常になりましたぞ」
「外堀どころか内堀も埋められてるなぁ」
恐らくそのまま結婚まで行く可能性が高い。
上村本人もそれを感じ取ってはいるのだが、敢えて言葉にはしなかった。
「ところでお昼はどうしますかな?」
「折角だし、食べて行こうか」
二人は本日の戦利品……玩具屋で買ったプラモデルの福袋を正し、商店街を見渡した。
昼を少し過ぎているので、多くの飲食店は空いている様だ。
何処にするか吟味する智彦の背後に、昨日ぶりの気配が生じる。
「ラーメン、はどうでしょう」
「ラーメンかぁ」
「あー、それもいいですなぁ。……知り合いですかな?」
二人が振り返ると、黒曜石の様な長い髪を靡かせる、黒いセーラー服の美少女。
狐を思わせる釣り目を、優しそうに細めている。
智彦は、いつも通りに。
上村は、智彦の反応から眼前のは害の無い存在だと把握し、頷く。
「うん、世間からは神扱いされてる人だよ」
「ふふっ、神なんてものじゃないですよ。ただの化け物です」
「ふむ、まぁ移動して話をしますかな。では、あの店に入りましょうぞ」
智彦はともかく、上村は一般人枠だ。
だが動じない反応が面白く、恨み神は……智彦も、笑みを浮かべる。
ココの店主は元某国の特殊部隊との噂ですぞ、と上村の言葉を聞きながら、智彦は『粉満堂』と書かれた店の暖簾を潜る。
筋骨隆々の店主の野太い声に頭を少し下げ、三人は一番奥の席へと腰を下ろした。
店の中には、三人だけ。
とは言え寂れた雰囲気は無く、そういう時間帯だけの様だ。
其々が注文を伝えると、まずは恨み神が口を開いた。
「まずは、八俣さん……でしたよね?先日はありがとうございました」
「気にしないで。恨みを晴らす事は出来た?」
「はい。皆、貴方に感謝をしていました」
「そっか、良かった」
智彦は上村に、先日の復讐劇と、目の前の恨み神の事を簡単に説明する。
上村はやはりあまり驚かず、一方で恨み神と言う存在に興味を抱いた様だ。
「恨み神氏は、何と言うか…すべての恨みに応える存在、なのですかな?」
力なき者、手段の無い者が縋るのであれば、それは善性を含む存在ではあるのだろう。
だが、逆恨み等の加害者が被害者ぶった恨みにも、応えるのだろうか。
上村は純粋に疑問を抱き、恨み神へと尋ねてみる。
「『皆』が望むのならば、そう言う事もあります。……殆どありませんけどね」
恨み神は自身を指さし、言葉を続けた。
「先日であった時に、白い仮面を身に憑けてたでしょう?アレが、私達の本体なんです。集合体……レギオンの呼び名が身近でしょうか」
曰く、恨み神と言うのは、恨みを晴らすことに執着した霊や魂が集い、形を成しているのだという。
つまり、目の前の女性は、分体であると。
人々の、霊達の恨みを受け取り、恨み神内で多数決で、力を貸すかを決めているそうだ。
「思ったより俗っぽかった」
「私達の中には悪人も多いですが、それ以上に善性の人々も多いですからね」
智彦の呆れに気分を害すことはなく、むしろ可笑しそうに恨み神は笑みを漏らす。
と、そこで話は一時中断。
それぞれ注文したラーメンを受け取り、麺を啜りながら会話を再開する。
「神、と呼ばれてるけど、誰かが勝手に言い始めただけですから。こんな感じでラーメンも食べる、普通の化け物ですよ」
「普通とは一体……、ちなみに、世界的規模でその……恨みを受信、してるような感じですかな?」
「まさか。海外には興味ないので日本だけ。あと、たまたま立ち寄った場所で気が向いたら手伝うだけですよ。あ、ニンニク入れるけど匂いは大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫。謙介も……大丈夫みたいだね。あ、お冷お替り貰ってくるよ。その前にちょっと電話してきていいかな?」
「構いませんよ」
「どうぞどうぞ」
恨み神から感謝の言葉を受け、智彦は《裏》へ迷惑をかけた事を謝罪しておこうと、席を立ち鏡花へと電話をかける。
その間、上村と恨み神はスマフォについての質疑応答をしていた。
そこに戻ってきた智彦が話に加わり、世間話へと切り替わる。
なんとも緊張感のない空気だが、恨み神は好ましく感じ、顔が穏やかに染まる。
「あぁ、同年代の子と会話して、しかも食事って憧れだったんです。うれしいな」
恨み神の、心底嬉しそうな年相応の笑み。
『恨み』を冠する名前とは全然違う印象に、二人は一瞬呆けてしまった。
「憧れって……。恨み神さんは、こうなる前は何をしてたんですか?」
「それ以前に、名前は無いのですかな?」
恨み神は二人からの質問に目を見開き、麺を啜った後に再び笑顔を作る。
「あぁ、こう尋ねられたのは初めてかも知れません。そうですね、戦前の田舎で女学生をしてて、名前は……花子、と呼ばれてました」
戦前。
目の前の美少女が長い年月存在していると知り、上村は絶句してしまう。
だが智彦は驚く事もなく、スープを飲み込み、頷いた。
「花子さんはやはり大きな恨みを持っていた為に、恨み神に取り込まれたんですか?」
「……そうですね、暗く狭く汚い場所で、この世を呪ってました」
恨み神……花子が暮らしていたのは、戦前の、山間部にある田舎の村との事だ。
そこで、双子の妹と、しがらみは多いものの、楽しく生きていたらしい。
「昔の田舎って、今では考えられない風習等があったんですよ」
ある日、花子の住む村で流行り病が広がった。
そして何故か、その原因は花子達が双子だからだ、とされた。
昔からの言い伝えと言う理不尽な理由により、花子の妹は流行り病鎮静化の為に、贄となる事が決まる。
花子は苦悩の末、妹の身代わりとなる事を決意。
「でもやはり受け入れられなくて。妹と一緒に、村から逃げようと考えたんです」
ある満月の日、月が雲に隠れるタイミングで、二人は逃亡をはかった。
が、事前に予想されており、二人はあっけなく捕まってしまう。
「連れていかれたのは、山神を奉る祠でした」
祠の下の地下室……と言うよりは、狭い洞穴。
花子はそこに閉じ込められ、噎せ返るような臭気、空腹、痒みの末、死んでしまったという。
「諦観が、徐々に憎しみへと変わりました。村人、両親、そして妹へ。私は呪詛を口にしながら死に、気付くと恨み神が居たんです」
目の前に浮かぶ、白い仮面。
頭に響いた「復讐したいか」の問いに、花子はすぐさま頷き、恨み神へと取り込まれたそうだ。
「……復讐は、果たせたんですか?」
上村は無意識にも顔を顰めている。
智彦は、花子の復讐は権利だと考えていた。
それはやはり、どこか似たような境遇だからであろう。
だが花子は、眉尻を下げ首を横へと振る。
「私が恨み神に取り込まれた時、私が死んで実に30年ほど過ぎてました。村は結局流行り病が収まらず、廃村となり、緑の中へと消えていました」
復讐を果たせなかったと言う虚無感。
だから、恨み神の一部と成り、同じような者の手伝いをするように決心した、と。
花子はスープを飲み干し、会話の内容の割には何とも締まらない感じで、話を終えた。
恨みを晴らしたい人の願いを聞き、力を与える。
だがそれは命の代わりに力を与えたり、一部になる事で力を与えたり。
逆恨みの類であれば、力を貸さなかったり。
しかもそれらは、運よく遭遇した場合に限るという、微妙にふわっとした存在。
目の前の分体がどの位存在するのか、本体はどのようなルールを持っているのか。
謎は、多い。
「花子氏、聞いておいてなんですが、色々とこちらに教えても良かったのですかな?」
「えぇ、大丈夫です。私だけの情報ならなんら問題は無いので」
故に、対処法が確立できない厄介な存在だなと。
智彦は、お冷のグラスを両手で包みこんだ。
気付けば、店内には数組の客が食事をしていた。
このままでは邪魔になると、三人は同時に立ち上がり、智彦の奢りで清算。
智彦が改めて店内を見ると、手前の席では、壮年の夫婦が仲睦まじくラーメンを啜っている。
と、そこでとある人物を思い出した。
「花子さん達……恨み神に力を与えられた人が、知り合いにいるんだけどさ」
「あら、そうなんですか?世間は狭いですね」
「うん。ちょっとお尋ねなんだけど、復讐する力を与えた後は、放置なの?」
店を出て、足取りは自然と公園へ。
智彦が思い出したのは、来根来東矢と、寿々だ。
彼らの復讐は、成就した。
ならば彼らはどうなるのだろうと、心配になってしまったからだ。
その問いに、花子は「うーん」と黒い髪を指で弄び始める。
「基本的に成仏したり、恨み神の一部へと還ったりします」
「強制力はあるのかな?」
「ありません。ですので、そのまま残る方々も居ます。前例はあまりないのですけど」
なるほどと、智彦は白い息を吐いた。
結局は、力を与えるだけ。
その後は干渉はしない、極めて厄介な……思う所は多々あるが、そういう役割の存在なのだと。
智彦は改めて認識する。
(でも、そうだからこそ、来根来さんやタカモリさんみたいに救われる存在もいるのか)
とは言え、彼らの場合は『良い方向』にたまたま収まっただけだろう。
世の中には復讐を成し得た後もこの世に居座り、悪意をばら蒔く奴らもいるはずだ。
そう、あの糞みたいな地獄の様な……。
「そう言えば、あの巫女もそうでしたね。たしか……富田村、でしたか」
瞬間。
周りの温度が、下がった。
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