悪夢
サンバルテルミ総合病院、別棟。
一般の患者とは別に、《裏》や熾天使会の患者を扱う、特別な場所。
そんな病棟の。地下に埋もれた一室。
強化ガラスの向こうに、今朝方回収された吉祥寺悠胤が、体を拘束された状態で喚いていた。
「もう嫌だ」「死なせてくれ」と開放を懇願する言葉を放ち、拘束から逃れようと体を動かす。
その様子を、強化ガラスの向こうから数人が眺めていた。
「思ったより、元気ですね」
ハンチング帽を被った、黒い和服の男。
《裏》のまとめ役である
横では、同じく《裏》の幹部である田原坂
その後方には、緊張した面持ちで俯く、田原坂鏡花が居た。
(うぅ、八俣君、正月から問題起こし過ぎよぉ……)
幹部の一人である田原坂月花の妹ではあるが、鏡花は《裏》の運営とは離れていた。
と言うのも、元々は御三家であった逢魔崎家に、弟子と言う形で取られていた人質だったからだ。
だが、智彦の出現で、その立ち位置は一変。
人質からは解放されたが、今や鏡花は「智彦への窓口」と言う形で妙な権力を有し、最近では幹部と行動を共にしていた。
鏡花としては胃痛案件ではあるが、それでも姉である月花と肩を並べている感じがして、内心嬉しかったりする。
「月花、他の方々は如何でしたか?」
「はい、南部涼雪と逢魔崎功刀は死亡、他のメンバーもぎょうさん死んどりました」
「生き残りはそのまま拘束してるわぁん。御三家は現在監視を付けてるわよん」
二人の言葉に、九品は短く息を吐き、頭を振った。
「巷で有名な都市伝説の正体が、まさか呪殺であったとは……」
「ほんと、馬鹿な事をしでかしちゃったわねぇ」
「被害者と依頼主、あと仲介人を全力で調べてますで」
呪術による暗殺。
それは《裏》の世界においては、禁忌だ。
諸事情により行使する場合は、《裏》の秩序を司る上層部が決定する。
もしその手順を踏まず、私利の為に行った場合、《裏》による私刑もしくは追放が待っている。
とは言え、少し前までは、それが形だけとなっていた。
理由は、吉祥寺、南部、逢魔崎家と言った有力者達の横行だ。
彼らは私利私欲の為、自身の持つ力を振りかざした。
《裏》の上層部はそれらを何とかしたかったが、彼らの持つ影響力には下手に逆らう事が出来ず、頭を悩ませていた。
そこに現れたのが、八俣智彦だ。
智彦は、件の、特に影響力の強い御三家の当主を撃破。
結果、御三家とそれに寄生する勢力の力は大きく削がれ、《裏》に蔓延る悪習は消えて行った。
また、風通しが良くなった事により、今まで押さえつけられていた各家と勢力より、若い才能が輩出。
一時的にその力は弱まったのは事実だが、《裏》は成長し始めた。
以上の事で、今の《裏》は智彦に対し好意的であり。
道が交わらない限り、敵対するつもりも一切無い状態だ。
だからこそ、九品達はコレだけが心配なのだ。
「鏡花さん、彼……八俣さんは、今回の件について本当に怒って無いのですね?」
「は、はい!むしろ彼らの情報に対し感謝され、《裏》の戦力低下を謝罪されたくらいで……」
鏡花の言葉に、幹部三人は安堵の息を吐く。
そして、智彦に対し心底申し訳なく感じた。
《裏》の不手際で、智彦の命を狙うものが出てしまった。
なのに、結果を見れば、お咎めも無く関係に変化も無い。
それどころか、吉祥寺悠胤への復讐を取りやめ、《裏》へ身柄を渡してもくれた。
(強者の余裕、なのでしょうかね。ですが、何かしらで報いなければ)
一人で敵陣に入り込み、自身を害した人間を容易く屠る。
そして、こちらへ気遣い。
普通であればその強さに嫉妬をするが、あまりの力量差にそれは湧かず、九品はつい口角を上げてしまう。
「だけど、恨み神、ねぇ。ましゅまろチャンネルでも話には出てたけど、実在したのねぇん」
「恨み神の仕業とされる現象はぎょうさんあるけど、確証があらしまへんさかいね」
恨み神。
怨恨を抱く人間の魂と引き換えに、力を与える存在。
恨みに染まった魂の願いを叶える、神と称されるナニか。
そこには恨みの善悪は関係なく、ただ純粋に、恨みを晴らす機会を与えると言う。
《裏》は、恨み神をタナトスと呼ぶ熾天使会は、恨み神の存在を長年追ってはいた。
だがそれでも神なのか怪異なのか、どんな容姿なのか、そもそも男なのか女なのかすら解っていないのだ。
よって過去何人も恨み神を祓おうとする者がいたが、まず邂逅すらできないのが現実であった。
「黒いセーラー服の女性……それが解っただけでも、凄まじい一歩ですね」
「あらあらあら~、それだけじゃなく、タナトスの力がどのようなモノかも解りますわよぉ~」
ガチャリと、ドアが開く。
入って来たのは熾天使会に属する、養老樹せれん達だ。
「御機嫌よう、《裏》の皆さま、あと田原坂鏡花」
つい、いつもの感じ受け答えしようとする鏡花だが、今の状況を
養老樹は心底可笑しそうに目元を歪め、《裏》の幹部へと顔を向けた。
「九品様、今回は貴重なサンプルを任せて頂き感謝いたしますわぁ。父と祖父も、宜しくとの事でした」
「養老樹さん、こちらこそありがとうございます。ですがコレも八俣さんのお陰です。早速ですが、お尋ねしても?」
智彦の名に一瞬体を揺らすも養老樹は頷き、「そろそろです」とガラスの向こうの悠胤へと目を向ける。
一同もそれに倣うと、悠胤の動きが弱くなっていった。
『い、やだ!眠りたくない!やだやだぁ!や、だぁ……っ!』
こてん、と。
悠胤がいきなり眠りについた。
周りのスタッフが、急いで様々な機械に張り付きだす。
「……このように、10分のサイクルで、彼は眠りにつきますわぁ。食事中や用便中関わらず、何をしていても強制的にですねぇ」
「車を運転する事ができしまへんなあ」
悠胤が眠りについて、約1分。
穏やかな顔が徐々に苦痛に歪み、うめき声を発するようになる。
それが徐々に酷くなり、最後には絶叫しながら、目を覚ました。
「眠りについたら、5分であの様に目覚めます。10分と5分の繰り返し、ですわぁ~」
「それはまた生き辛くなっちゃったわねぇん。聞いていいかしら?いつもあんな感じなの?」
「はい、今資料をお渡ししますわぁ」
養老樹の後ろに控える石田が、《裏》へと紙媒体の資料を渡す。
そこには、吉祥寺悠胤の件が、細かく書かれていた。
「後は私が説明を。まず彼が眠っている間、必ず悪夢を見るようです。内容は毎回変わりますが、夢の中で彼は甚振られたり殺されたり、まぁ、酷い目にあうのが共通です」
鏡花は周りに合わせ、資料へと視線を落とした。
悠胤が眠る5分の間に見る、悪夢。
養老樹の言う様に、それは多岐に渡っている様だ。
ある夢は、両親から延々と家庭内暴力を受け、40代で親への恨みを晴らそうとするも返り討ちに遭う夢。
ある夢は、戦争に向かい、捕虜とされ、戦争が終わるまでの35年間に拷問を受ける夢。
ある夢は、決して治らない病気を抱えながら、寿命で死ぬその時まで体を蝕む病魔に苦しんだ夢。
同じように夢を扱う身で、嫌な予感がしたのだろう。
初期の段階で悠胤は自殺しようとするも、自害防止の呪いを刻まれたのか、できなかったとも記されていた。
どれもこれも悲惨だ。
と、そこで鏡花はある事に気付く。
「……え?夢の中じゃ数十年生きてるの……?」
「あらぁ、気付いたわねぇ田原坂鏡花。そうなの、数十年分の生が5分に凝縮されてるのよぉ~。ちなみに本人は、夢の中にいる感覚は無いみたいよぉ」
思わず、うへえ、と声を漏らしてしまう鏡花。
周りのメンバーも、苦虫を潰したような表情となる。
数十年の苦しみを味わい目を覚ますも、現実では5分しか経っていない。
起きれば今までの夢を思い出し、10分後に同じような苦しみを味わう事を自覚し、絶望する。
……吉祥寺悠胤は、それを昨晩から繰り返しているのだ。
「自身が行って来た様な事で苦しむとは皮肉ですね。やはり、呪術の類でしょうか?」
「いえ、霊障の類だと解っています」
九品の疑問に、石田が一枚の画像を見せる事で、応えた。
悠胤の頭部をCTスキャンした写真。
悠胤の脳に、まるで水泡の様な数多の青い欠片が張り付いている。
「コレは……、霊とちがうでっしゃろか?」
「えぇ、霊体の欠片が、彼の脳へと張り付いているのです。原理は解りませんが、コレが原因でしょう」
悠胤の絶叫をBGMに、皆が考察へと入る。
鏡花は手持無沙汰になり、ぼんやりと会話を聞き始めた。
これらは悠胤へと恨みを持つ霊だろうと。
まずこの様な事は人為的には不可能だと。
霊を取り除くと廃人になる可能性があると。
過去の死因不明の遺体で残っているモノは無いかと。
各々が、心なしか楽しそうに意見を出し合っている。
(はぁ、ますます八俣君を欲しがる人が現れるだろうなぁ)
鏡花は内心、溜息を吐いた。
智彦との窓口と言うポストに身を置いてはいるが、やはりと言うか。
智彦を篭絡し《裏》へ引き込むように言われる事が増えているのだ。
だが、無理だろうと、鏡花はガラスの向こうへと目を向ける。
あの日鏡花は、一時的ではあるが智彦と敵対してしまった。
なのでそういう関係に成るのは無理だろうと、スマフォを取り出し弄ぶ。
(でも、《裏》に生きる身としては、理想、なんだよなー彼)
霊や怪異と相対する為、殉職する者は出てしまう。
それ故に未亡人や孤児になった者も、決して少なくはない。
もし、そう、もしも、万が一にだ。
智彦と結婚すれば、そんな立場には絶対にならないだろうと、鏡花はまだ見ぬ未来に思いを馳せる。
(彼なら幹部まで絶対行くし、稼ぎも凄まじいと思うんだよね。何より露骨に力を誇示しないってのもいいし。いずれ熾天使会を併……)
ふと、鏡花のスマフォが着信を告げる。
智彦からの、電話。
驚きながらも鏡花が九品に目配せすると、頼みましたよと、九品が頷いた。
「はい、鏡花です。どうしたのー?……あぁ、うん、もうその話はお互い止めとこうよ、一応終った事だしさ、うん」
何となく不機嫌な養老樹へと口角を上げ、鏡花は智彦の会話を誘導する。
「あぁ、でね、八俣君。今回色々と迷惑かけちゃったじゃない?だから、《裏》としてはお詫びしたいのよ。えと、何か欲しいモノとか……ないかな?」
目の前の通話を見て、九品達は鏡花への評価を改めた。
良い関係を築けている。
やはり、横山家をあてがわなくて良かったと、短く息を吐いた。
「……え、そんなのでいいの?うん、解った、近い内に届けるね。……え?はぁっ!?え、今、恨み神と一緒にいるの!?え、本当に?」
恨み神と言う単語に、皆が耳を傾けた。
驚きの連続ではあるが、九品達は鏡花の電話が終わるのを、今か今かと待ちわびる。
皆から集まる視線に焦りながら、鏡花は通話終了をタップ。
そのまま九品達へ、今の会話内容を伝えた。
「えと、まずは彼が欲しいモノ、ですけど。ご年配の方が喜びそうな日本酒を、欲しいそうです」
「……日本酒、どすか?」
「う、うん。2月に母親方の実家に行くらしく、お土産にしたい、みたい」
「あらん、じゃあ贔屓にしている酒蔵の銘酒、『行かず後家』を送ろうかしらん」
真朱麿がスマフォを取り出し、酒を手配し始める。
横では九品が、話の続きを目で急かしていた。
「あと、昨晩の事で、恨み神の方から接触があったそうです。獲物を譲って貰った事への謝罪、と言ってました」
「何とも人間臭い……。こちらの、吉祥寺の事には何か言ってましたか?」
「いえ、何も。恐らくですが、恨みを晴らしたとして、もはや興味が無くなったのかと」
復讐を成す。
いや、復讐を成す力を与える。
極めてシンプルで。
ただ、それだけ。
一同は改めて、恨み神と言う存在に得体の知れない寒気を覚えた。
「あらあらぁ~、流石、八俣智彦ねぇ。タナトスと会話するなんて、彼が初めてなのかも知れないわぁ」
「えぇ、養老樹さんの言う通りです。可能であれば、是非、色々と伺いたい」
つまり、話を聞いてくれと言う事だろう。
鏡花は苦笑いを浮かべ、九品へと首肯で返した。
「興味は尽きませんが、邪魔する訳には行きませんね。ちなみに、何処で会ってるのでしょう?」
「はい、えと……ラーメン屋、だそうです」
「ラーメン」
皆の声が、重なった。
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