目覚め



智彦が目を開けると、ここ最近やっと見慣れた天井であった。

毛布の埃に一瞬咳き込み、体を起こす。

室内は暗く、朝ではないようだ。


『やぁ、お目覚めかね』


机上の貴族鼠色の本が開き、アガレスが現れる。

智彦は大きく息を吐き、枕元の時計を見た。

時間はまだ、24時前。

眠りについて、あまり時間は経っていないようだと、智彦はアガレスの声に応える。


「夢を見ていたんだ。とても酷い夢を」

『どんな夢かな?』


智彦は、どう答えようか、迷う。

そう、アレは……、可能性だ。


「俺が、普通に生きていたら、ああなったかも知れない……夢、かな」


智彦は、気怠そうに笑みを浮かべた。

あの蝉の音が五月蠅い、あの場所で。

あの地獄に迷い込まなかった場合の、未来。


裏切り者達の甘言で、周りから信頼を失い、凄惨ないじめを受けたかも知れない。

母親と和解できず、家族関係が壊れていたかも知れない。

上村と、再び交友を持つ勇気が持てなかったかも知れない。

羅観香、嶺衣奈、星社長、せれん、石田、鏡花、縣、迫浴、若本と能登、桑島、そして目の前のアガレス。

彼ら彼女らと、交わる事が無かったかも知れない。


だけどあの地獄に行って良かったなどと絶対に思いたくないな、と。

智彦はベッドから立ち上がった。


『ふむ、夢の中で絶望させ、精神的に殺す呪術、か』

「え、呪いなの?コレ」


智彦の驚きに、アガレスは首肯で返す。


『智彦が帰って来た時、君の中から呪術の蝕みを感じたんだ』

「それ、教えてよ……」

『なぁに、智彦の事だから大丈夫かなと思ってな。……大丈夫だっただろ?』

「精神的にすっごくきついけどね」


自身の中、つまり体内。

あぁ、今回もアイツらの仕業なのかと、智彦は無意識に殺気を漏らした。


元旦……今日の今朝。

何処で知ったのか、藤堂と直海が、智彦の家へと訪れたのだ。


「謝りたい」。

そう言い放つ二人を智彦は当然無視していた。

だが余りのしつこさに、そして時間を無駄にしたくないと、智彦はしぶしぶ了承。

勿論許すつもりは無いと前置きし、裏切り者もそれでも構わない、と。

三人で、最寄りのファストフード店へ行ったのだ。


「あいつ等、俺のメニューに何か混ぜたのか」

『恐らくだが、術者の血液だろう』

「うえぇぇ……最悪だ」


智彦はペットボトルのお茶を開け、ぐびぐびと飲みだした。

体外に排出されてはいないのだが、気分的に薄めようとしたのだ。


「はぁ、あの地獄で精神的に強くなったと思ってたのに……」


夢の中で、本気で死のうとした心の弱さ。

智彦は自身の脆弱さに、再び息を吐いた。


とは言え、富田村生還後の智彦の精神は、強いというより、無関心と言うモノであった。

多くの縁が出来、刺激が生じ、無関心が弱くなりつつあるのは間違いない状態だ。


『悪い事ではないさ。智彦が元に戻りつつある、と言う事だろうから』

「……確かに、そうかも、ね。でも、体内から攻められるとはなぁ」


驕りでは無いが、智彦は自身の力は異常だと判断している。

敵対者が襲ってきた場合、容易く返り討ちにできる程度には、だ。


しかしながら、今回の様に内側から来られたら苦戦する。

自身の弱点を把握し、智彦は腕を組んで唸った。


『あぁ、それなら大丈夫だろう。今現在、智彦の中には呪術への抗体ができている最中だ』

「……うん?呪術への抗体なんてあるんだ?」

『普通は無いぞ?だがコレで今回の様な呪術も効かなくなるだろう。ますます人間やめてるなぁ、友よ』


アガレスの眼には、智彦の霊体へまるで蔦の様に絡んでいく呪いが見えていた。

その色は、赤。

血液を媒体にする、よくある……だが相手を確実に殺す、死の呪いだ。


それを、智彦の霊体から湧き出る霊力が、蔦を枯らし始めたのだ。

蔦は、それでも伸びようとする。

なのに、智彦の霊力に負け、終いには種へと戻り……弾けて、消えた。

最早同じような呪いは受ける事が無いだろうと、アガレスは愉快そうに笑う。


「……あいつ等、どうしてやろう」


室内にギリリと、歯の軋む音が響く。

呪いと言う手段はともかく、夢の中とは言え母親を殺したのは許せないな、と。

智彦は光樹と直海、あとついでに横山への殺意が生まれた。


『……自身の手で罰を下したいのは理解できるが、叶わないだろうな。その二人は今頃無事ではあるまい』


呪詛返し。

智彦が呪いを退けた事により、呪いは術者へ返ったと、アガレスは説明する。


「つまり、同じような夢を見る事になる、って事かな?」


アガレスの頷きに、智彦は緩慢にベッドへと座った。

少しの間ではあるが思考し、首をコキリと鳴らす。


「まぁ、うん。残念だけど、直接手を下さず仕返しした、って事で納得するよ」

『それがいい。とは言え、少し前の君であれば、今頃窓から飛び出し、直接殺しに行っていただろうがね』

「あー……かなぁ。あの時もアガレスが止めてくれなければ、確実に殺してただろうし。……やっぱモヤモヤする」

『だろうな。ならば、呪いを作り出した者の下へ向かうが良いさ』


アガレス曰く。

呪いは電気の様な物だ、と。


発電所から変電所を経由するように。

何者かが作った呪いが、藤堂達を経由し、智彦へと届いたのだと。


それを聞いた智彦は、眼を細める。


「……場所は解る?」

『呪いの根源は君の夢を覗いていた……いや、操作していたはずだ。弱くはあるが跡を辿れば造作もない事。とは言え、県を越えてしまうだろうが』

「走れば問題無いよ。じゃあ、一緒に来てくれるかな」

『勿論さ。ついでに呪い関係の書物がソコにあれば、見てみたい』

「ブレないなぁ。あぁ、走りながら鏡花さんに色々確認しなきゃいけないか、あっち関係かも知れないし」


智彦はパジャマの上からジャンパーを羽織り、机の引き出しから運動靴を取り出す。

カララと窓が開き、冬の寒気が部屋の空気を攪拌する。

カーテンが大きく揺れた、その一瞬。

智彦の姿が、部屋の中から消えていた。


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