非日常



「どう、しようかな」


智彦は制服のまま、愛用している図書館の敷地内で呆けていた。


母親の自殺後、智彦は真っ先に大家へと相談。

その後警察を介して、役場への相談の下、一人きりの葬式を行った。


墓など無いし用意もできないので、遺骨は未だ部屋にある。

だが事故物件と化した事で大家の怒りを買い、来月には出て行かなければ行けなくなった。


母親の実家と連絡を取るも、仲が悪かったため、智彦含めて接触を拒絶。

父親側の実家は、もはや解らない。



(いや、そもそも父さんは僕が幼い頃に事故死、てか、母さんと実家は仲が良かったはず、なのに)


頭痛を覚え、智彦はベンチに座ったまま空を見上げる。

空はやはりどこまでも青く、広く、大きく。

されど自分は、暗く、浅ましく、小さく。

余りのみじめさに、智彦の頬を涙が伝った。


一人の少女が、智彦の前を通り過ぎる。

紫に似た本を片手に抱えるその少女は、智彦を訝し気に見て、すぐさま目を逸らした。

智彦は無言でハンカチを取り出し、涙を拭う。


(まずは住む所を探して……、いや、未成年に貸してくれる所、あるかなぁ)


夢の中では、色々とあって新しく大きな家に住んでいた。

そこでは、家族として接してくれる母親と楽しく暮らしていた。

友人である謙介が遊びに訪れ、またある時は、縣と言う男子とも遊んでいた。

あと、何故か、悪魔と言う空想上の存在とも、だ。

だからこそ、アレが夢だと解り、より一層今の自分の惨めさを引き立てているのだ。


(……何故か、場所がわかるんだよな。行ってみよう)


緩慢に立ち上がりながら、智彦は夢の中では新居だった家へと足を向ける。

行っても何も無いかも知れない。

だが、何かあるかも知れない。

淡い期待を胸に、智彦は前へと進む。


歩いて、約一時間半。

智彦は、夢の中で自身が住んでいた家を見つける事が出来た。

人の気配がするので、空き家では無いようだ。


智彦は、ただぼんやりと玄関を見つめる。

表札は無いが、やはり、夢の中で済んでいた家で間違いないみたいだ。


「星社長の……ニューワンスタープロダクションの所有物、だったっけ」


智彦は一瞬躊躇ったが、敷地内へと入り、玄関の取っ手に触れようとした。

……その直前、智彦を責めるような声が後ろから響く。


「過去形でなく現在進行形よ」


どこかで聞いた声。

弾かれるように、智彦は声の主へと顔を向けた。


「……羅観香さん、嶺衣奈さん」


普段はテレビをあまり見ない智彦だが、目の前に立ち塞がる女性二人の名前は、解る。

テレビではなく、プライベートで付き合いのあったような……、奇妙な記憶。

智彦は顔に気色を浮かべるが、羅観香と嶺衣奈の眼は険しくなった。


「……合宿中だと何処で嗅ぎつけたか知らないけど、帰ってくれないかな?ストーカーさん」

「えっ、いや、違っ!」


羅観香を守るように前へ出た嶺衣奈が、智彦を警戒し始めた。

しかも、ストーカー呼ばわりだ。

智彦は否定しようとするも、どう言い訳するか迷ってしまった。

夢の中で暮らしてた家を見に来ました……信じて貰えるはずがない、と。


「この家の存在、秘密なんですよ。しかも星社長が先日建てたばかりなのに!」


羅観香が、スマフォを操作し始めた。

恐らく、警備員……最悪、警察。

智彦はまずいと思い、その場から走り出した。


途中、何度か後ろを振り向く。

追いかけてくる、刑事らしき男女。

智彦はギョッとしつつ、更に速度を上げた。


やがて誰も追いかけてこないのが解ると、智彦は近くにあった河川敷へと逃げ込む。

バーベキューを楽しむ三人家族がチラリと智彦を見るが、特に気にする事も無く、肉を焼き始めた。


やはり、夢と比べてしまう。

夢の中では、自分は羅観香と仲が良かった。

しかも、嶺衣奈の幽霊も、自分の事を嫌ってなかった。

……そう、夢の中では嶺衣奈が幽霊だったのだ。

どんな状況だよと、智彦は自嘲気味に息を吐いた。


(……とりあえず、バイト行こう。学校は中退だろうし、そのまま就職できないかな)


あわよくば、寮等が無いだろうか。

まずは経理の桑島に相談してみよう。

そう考えながらバイトへと向かった智彦であったが、更なる絶望が襲う。


「僕じゃありません!僕は、受けた記憶が無いんです!」


養老樹グループと言う大きな会社からの、大口の依頼。

到着日厳守の荷物を、到着指定日を表記していなかった為に大問題となっていたのだ。

そしてそれを対応したのが、智彦だと。


「確かに桑島さんが忙しい時は補助で窓口に立ちましたよ?けど、そんな責任が重いモノは対応するわけないじゃないですか!」

「しかしねぇ、桑島君が、この件は八俣君が対応したと言っているのだから」


所長の言葉に、智彦は桑島へと目を向けた。

桑島はソレを受け止めず、目を逸らし、頷く。


「だ、だったら!依頼した人に確認して下さい!そもそも調べれば僕のIDでは無」

「本社と先方で既に示談は終わってね、とにかく誰かが責任を取らなければいけないんだ」


ふと、バイト先の全員が、智彦を見ている事に気付いた。

嘲りを含む、憐憫の眼。


あぁ、成程。

僕はスケープゴートにされたのか、と。

智彦から乾いた笑いが漏れる。


「ごめん、八俣君。私には夢があるの」

「私は給料80%カットだよ……、すまんな八俣君、明日から来なくていいよ」




それからは、どうしたかは覚えていない。

気付くと、智彦は学校の屋上で夕日を眺めていた。

誰かが捨てたであろう歯茎丸出しの気味の悪い人形を、つま先で弄ぶ。



「あんな夢、見なきゃ良かったのに」


それこそ最初は地獄であったが、多くの縁を築く事ができた、夢。

様々な色が混じった、日常。

嫌でも、夢と現実を比較してしまう。

そして嫌でも、自分の将来が途切れた事を自覚してしまう。


犯罪に手を染めれば、生きて行く事は出来るだろう。

なのに、こんな状況でも犯罪へと走る勇気が湧いてこない。

とことん弱い人間だなと、智彦は足を動かした。


一歩……。

二歩……。

三歩。


目の前には、フェンス。

下には、アスファルト。


(ははは……、もういいや。死のう)


このまま生きていても、好転はしないだろう。

どうせ一人だし、悲しんでくれる存在も、居ない。

泥水を啜る覚悟で生きて行けば、命だけは長らえる事は出来るだろう。


だけど無理だ。

記憶に刺さってしまったあの夢が棘となり、今後何かある度にジンジンと痛みを与える。

痛みなんてものじゃない、激痛だ。


耐えられるわけが、ない。


(せめて、死んだ後はあの夢を見続けたいな)


智彦は躊躇なく、フェンスへよじ登り……。

頭から、奈落へと墜ちる。



数秒の、間。



赤い夕陽の下。

ドズンッと。

重い音が、敷地内に響いた。




























































「……あれ?」


智彦が、ムクリと身を起こす。

いい高さから頭から落ちたのに、鈍痛はするがケガは無い。

それどころか直下の地面が浅く凹み、砂埃を上げている。


「……え?俺なんで死んでないんだ?」


と、同時に疑問が浮かんできた。

何で僕は、いや俺は、あの裏切り者達に羨望を向けていたのだと。

何で俺は、須藤を恐れていたのだと。

何で俺は、あんなのろのろとした速さで走ってきたのだろうと。

何で俺は、こんな所に居るのだろう、と。


「……あぁ、そういう記憶を持たされてたのか」


大きく息を吐いた智彦が、こちらを向く。

そのまま拳を振り上げ……。






パリン



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る