騒動の後で
空は遠くまで青く、だからこそ余計に寒く感じる、冬の日の午後。
師走と言う名の通り、世間は忙しく回り、また、大晦日と正月に向け、動き出している。
その喧騒から取り残されたように佇む、一軒の喫茶店。
やや暗いながらも落ち着いた店内の一番奥の席に、コーヒーの芳醇な香りが、重なっていた。
「あー……、なンつーか、すごく疲れてるな、八俣」
「やっぱ顔に出てますか……」
「少しやつれてない?ってか、君の友人も皆、同じ感じね」
スーツ姿の若本と能登が、目の前に並ぶ若人達を不憫そうに見つめる。
窓から入る陽の光りを浴びる智彦、上村、鏡花、養老樹の顔には、あからさまな疲労が浮かび上がっているからだ。
「あらぁ、解ります刑事さん?ホントにもう大変でぇ……」
「今回も養老樹に同意するわ。忙しすぎよ……」
「自分も今回ばかりは疲れましたぞ……」
コーヒーと甘い匂いを嗅ぎながらも、なかなか頭が覚醒しない。
智彦だけでは無く、上村、鏡花、養老樹も同様の倦怠感。
だがそれも、仕方のない事だ。
あの後、養老樹はパーティーの挨拶時に、自身に来る縁談が嫌で智彦に婚約者のフリをお願いした事を正直に伝え……ようとした。
そこでふと、養老樹の中に嫌な予感が過る。
今ここで智彦がフリーだと解れば、彼を獲得しようと騒乱が起こる、と。
だがこのままでは、智彦が自身の婚約者として世間的に確定してしまう、と。
この時、養老樹はステージ下の鏡花と、目が合った。
(もうこのまま私の婚約者にしていいんじゃないかしらぁ?)
(こっちと軋轢が生まれるからダメ!)
(なら彼がフリーだとこの場で言うべきかしらぁ?)
(彼を巡って戦争になるでしょ!それもダメェ!)
頷き。
お互い言いたい事が伝わり、二人は瞬時にBestでは無くBetterな最適解を導き出す。
養老樹は、智彦との婚約は不履行だとパーティーの参加者へ伝えるも、このように付け足した。
『八俣智彦は、熾天使会の養老樹せれんと、裏の組織に属する田原坂鏡花のどちらかを、将来的に婚約者にする予定だ』と。
養老樹のこの言葉に、智彦を欲する勢力は一瞬湧くも、すぐさま悲痛な表情を張り付けた。
智彦を狙う場合、《裏》と熾天使会両方を敵に回す意味となるから自重せざるを得ない。
また、両組織も、とりあえずは静かになるだろうという思惑だ。
勿論、養老樹……と鏡花が、その場凌ぎで放った嘘ではある。
自身の婚約者と言うフリは続いてしまうが、《裏》に目を逸らせるし、落ちついた頃に無かった事にすればよいのだ。
これで、彼に迷惑をかける事は無い。
養老樹は一安心しつつ、智彦へとすぐさま電話し、勝手に設定を作った事へ謝罪。
智彦自身は女性関係に思う所は無かったため、問題無しと伝え、むしろ面倒をかけてゴメンと謝罪。
よって、今回の騒動は沈静化となる……。
「養老樹、あんたが八俣君に婚約者のフリを頼まなければ、こんな事にならなかったんだからね」
「……返す言葉もないわぁ、本当に」
……訳が、無かった。
「熾天使内から、八俣智彦を篭絡しろって声が強くなったのよぉ……おじい様からも」
「私も、八俣君とどうにかしてくっつけと、組織内からつっつかれて」
「自分も、八俣氏を説得し縁を結んで欲しいと、知らない人が一杯……」
今回の事情について、《裏》と熾天使会の上層部はある程度知っていた。
だが問題は、事情を知らない層だ。
彼ら彼女らは自身の属する組織の為に、智彦を絶対手に入れろと、養老樹と鏡花を毎日のように急かした。
また、智彦と言う存在が居ればその組織の未来は明るいと、中立だった組織が両陣営へと下ろうとし始めた。
それにより、組織は混乱。
規模が大きくなり、怪異への抑止力が強くなる嬉しい面もあるが、一時的に無秩序となり、管理できなくなる。
最悪、一部が暴走してしまう可能性すら出て来た。
このままでは昔の様に、熾天使会と《裏》が対立してしまう恐れがある、と。
抗争を危惧した両陣営の上層部は、今回の『設定』の一部を伝え、争いの火種は何とか収まった。
一方、両組織を出し抜こうとする勢力も現れる。
さすがに智彦の家へ直接突撃する者はいなかったが、上村経由で智彦と縁を結ぼうと接触する者も出始めた。
とは言え、上村は口裂け女である紗季と、愛を育む存在。
裏の世界の陣営が見守る男女に下手な事は出来ないと、こちらは何とか収まった様だ。
……強硬手段に出ようとした輩が、人知れず紗季の包丁の餌食になってはいたようだが。
智彦に関しては、常に遠くから監視……ではなく、様子を探られている。
アガレス曰く、多い時には20人程が張り付いているらしい。
一部では、二股野郎と非難もされているという。
しかも毎日の様に、養老樹祭庵から贈り物が届き、養老樹せれんへ返す日々。
それがストレスで、智彦も少し弱って疲れている状態だ。
ただ、智彦の中に、養老樹と鏡花への恨みは無い。
現状を見て、二人の婚約者候補と言う立場が無ければもっと荒れていた、と解っているからだ。
自分も、疑似ゴーレムと戦う場所をもう少し考えれば良かった、と。
智彦はブラックのままコーヒーを啜り、小さく息を吐いた。
とりあえず。
とりあえずは、だ。
騒動が収まったからこそ、この場に皆がいる。
安寧のまま、新年を迎える事が出来る。
一同はしばしの休息に、同じく息を吐きだした。
店の中を見渡すと、智彦達以外に客はいない。
飛行機が空気を裂く音に混ざり、店の奥からコポコポと耳あたりの良い音が響いてくる。
若干暖房が暑過ぎと感じながら、智彦はコーヒーカップを置き、若本と能登へ、声を向けた。
「えと、確か今日は疑似ゴーレム……人食い人形の件ので話がある、んでしたよね」
「だな。正直俺たちもよく解ってないが、アイツ……道明堂がこの場を設けたみてーだ」
「聞きたい事も伝えたい事も多いから、早く話しましょうか。の前に、自己紹介かしら?」
智彦達は、若本と能登の言葉に、頷いた。
昨晩、一同のスマフォにかかってきた、非通知の電話。
それは、疑似ゴーレムの件で話がしたいのでこの喫茶店にこの時間に集まって欲しい、という内容であった。
その声は明らかに以前出会った道明堂のモノであったが、疑似ゴーレムに関して詳細が知りたかったので、智彦は特に疑う事無く、この場へと足を運んだのだ。
互いに、簡単な自己紹介。
養老樹と鏡花の素性に若干刑事側が驚くも、特に問題なく紹介が終わる。
やはり、警察と鏡花達の組織はそれなりに繋がっている様だ。
「ンー、あと二人来る、って話だが来てねぇな」
「……羅観香さんと、縣、かな?」
「縣の奴は、今日は私に全部押し付けて爆睡中よ」
羅観香は多忙故、遅れているのだろう。
ならば、あと一人は紗季かなと上村へ目を向けるも、上村は首を横へと振る。
だったら道明堂本人が来るのかと、智彦は姿勢を正した。
「ま、そのうち来るだろ。あー……まずは、四十万芽瑠汀の話だ」
「……本人死亡のまま、連続殺人犯として四十万芽瑠汀を書類送検の予定よ」
智彦達がパーティーに参加していた頃、若本と能登は、四十万芽瑠汀の部屋を見張っていた。
そこでふと、窓が開く音が聞こえる。
不審に思いつつ二人は様子を見るが、夜中になっても電気が消えず、人の気配もしない。
また、玄関の鍵が開いたままだったため、二人は部屋へ侵入。
そこで、床に散らばった肉片や血を見つけ、事件性があると捜査をし始めた。
「下半身だけだったが、遺体は四十万芽瑠汀だった。……四十万の日記のコピーだ。こいつを見ながら、話を聞いてくれ」
鬱蒼とした顔つきで、若本は言葉を続ける。
四十万芽瑠汀の部屋を捜査した結果、本人と家族以外の四つの痕跡が出て来た。
一つ目は、四十万芽瑠汀の友人であり、行方不明となっていた女性の血液と干からびた肉片。
二つ目は、一人目の被害者とされる女性の、髪の毛と歯。
三つ目は、二人目の被害者とされる女性の、髪の毛。
四つ目は、丁寧に保管された髪の毛や爪の欠片、便など。
「ンで四つ目だが、他の三つに比べ結構前の奴らしくてな」
「日記にあった、加宮嶺衣奈のモノ、みたいね。入手手段はアレだけど。あとは加宮嶺衣奈の色んな写真や資料が一杯あったわ。病的にね」
智彦は日記のコピーに目を通し、若本と同じような表情となる。
今回の疑似ゴーレムは、四十万芽瑠汀が
躊躇や反省も無く、ただただ、人を食料として浪費していく事への嫌悪感。
この様な悪意に慣れているであろう鏡花と養老樹も、眉を顰めている。
「あの時、あの人形はもっと人を食べているようでしたぞ。その辺りは解っているんですかな?」
「あぁ、上村の言う通り、他にも食ってたようだな。とは言え、解ってるのは六人程だ」
「駅前に家出少女が集まる場所、あるでしょ?どうもそこで捕食してたようね」
能登が、小さなアパートと大学生らしき女性の写真を、机上へ広げた。
同様に、別の女性が写った五枚の写真を、並べる。
「突き止めたのは道明堂だけど。駅に近い、この女子大生の家を拠点に使っていたわ」
「家の中には、食ったであろう女の遺品が散らばってやがった。ったく、胸糞悪い」
若本の言う様に、実に胸糞悪い。
だがやはり、知人でない他人の死には心が揺らがないな、と。
智彦は刑事二人へと視線を戻す。
「……縣が成果を出せなかったはずよ。人を食べた後、その人間へ成りすましてたのかしら」
「会場でみたあの能力ねぇ?食べた後何食わぬ顔で人混みに紛れ、拠点に戻る。全く、大した知能ねぇ……」
「あんなのが、世の中にはまだまだ眠ってるのかしら、やだなぁ」
「暗く狭い場所で、出番が来るのを……何かに成れるのを待ってるのかも知れないわねぇ」
店の奥で、電話が鳴った。
能登は体をビクリと震わせたが、智彦達は緩慢に、コーヒーへと唇を付ける。
「人食い人形が犯人でした……ってなわけにゃいかねぇ。遺族の為、現実的な犯人が必要だ」
「四十万さんのご家族には酷だけど、無理の無いシナリオを作った上で、四十万芽瑠汀が犯人だと、報道されるわ」
それはそうだろうな、と。
自分もそうだった、と。
智彦は心の中で頷く。
それは生きる糧と成り、道を進むエネルギーとなる。
犯人が見つからないとするよりかは遥かに前向きで建設的だと、智彦はコーヒーを飲み干した。
「まぁそう言うわけで、だ。関係者と言う事で、今回の事件を話したわけだが……」
「他言は絶対しないで頂戴?勿論、SNSで情報を流すのも駄目だから」
一同は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。
言うつもりもないし、言ったところで信じて貰えないだろう。
最悪、被害者たちが悪いように言われ、残された人達を更に苦しめる可能性だってある。
「……残りの二人は来ませんね」
「だなぁ。まぁ、話を続けるか。嬢ちゃン達の組織から預かったあの人形の欠……ン、来たか」
若本が入り口の方へ目を向けると同時に、来客を知らせる鈴が響く。
店員の低い声に応える聞き慣れた声に、智彦は声の主へと顔を向けた。
「こんにちは羅観香さん、遅かったね……おや?」
「あはは、仕事が長引いちゃってね。皆さん、遅れてすみませんでした」
店に来るまでは変装してたであろう帽子と眼鏡を取り、茜色の髪を弾ませながら、羅観香が智彦達へと手を振る。
その後ろには、同じく帽子を取り淡く微笑む、あさぎ色の髪を靡かせた、加宮嶺衣奈。
「……う、うぇ?羅観香氏、嶺衣奈氏が今日はハッキリ見えますぞ?」
「いやいやいや、あり得ない。先日とは全然違う何この重厚な霊力」
「あ、あらぁ?まるで……、そう、まるで人間の様、だわぁ」
上村、鏡花、養老樹が、唖然とする。
一方、刑事二人も、動きを止めていた。
資料で観た事のある死んだ人間が、目の前に、生者の様に存在しているからだ。
【遅れてすみませんでした。私の事を説明する手間で、時間がかかってしまったので】
「しかも!?」
「喋った!」
「あらあらあらぁ~!?」
羅観香と嶺衣奈は可笑しそうに笑みを浮かべ、用意されていた席へと座る。
すでにコーヒーは冷めていたが嶺衣奈は気にせず口へと流し込み、うがい飲みで喉を潤した。
「飲食もできるんだ?……良かったね、羅観香さん」
「社長には内緒でってお願いしたけどもしかして聞いてた?智彦君は驚いてないよねぇ。あのパーティーの後ね、急にこんなになったんだ」
【初めまして……はおかしいけど、よろしくお願いね、智彦君、皆さん】
智彦は驚いていない訳では無い。
ただ近い将来、嶺衣奈がこのようになるのではと、予感を持っていただけだ。
「驚いた。幽霊、なンだよな?」
【幽霊と言うより怪異、でしょうか。何と言うか……屋上から落ちて目が覚めたと思ったら、こうなってたんです】
若本の問いに、嶺衣奈はガラス製の鈴を鳴らしたような声で応えた。
横では羅観香が心底嬉しそうに、愛おしそうに、嶺衣奈の唇を眺めている。
「……可能性だけど、あの会場には霊力を持つ人が多かったから、かしら?」
「その人達の力が乗った言霊で、こうなったのぉ?興味深いわぁ」
「いや、恐らくですが、こう言ってはアレですが、あの疑似ゴーレムのお陰かも知れませんぞ」
考察をし始める鏡花と養老樹の横で、上村が眼鏡を指で正した。
「アレが偽物だと、そして今この場に居る嶺衣奈氏が本物なのだと、皆が考えたから……な気がしますな」
「うん、俺も謙介の考えがしっくりくる、かな」
そして、と。
「何より羅観香さんが、横に居る嶺衣奈さんこそが本物だと心の底から信じた、からなんじゃないかな」
智彦から送られた言葉に、羅観香の顔が嬉しそうに、そして悲しそうにくしゃりと歪む。
そんな羅観香の肩を、嶺衣奈が優しく受け止めた。
芸能界と、世間。
いや、それどころかオカルト方面が騒がしくなる。
一同は妙な期待を胸に秘め、二人の再会を祝福した。
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