鼓動
カラン。
カラン。
疑似ゴーレムの破片が、乾いた音と共に、床へと落ちていく。
先程までは肉々しい人間の体であったそれらは、黒色の木片へと成り果てていた。
もはや半分も残っていない、疑似ゴーレムの胴体の一部。
その空洞化している中から、小さな白い光が溢れ出す。
数としては、およそ20。
光は蛍の様に辺りを飛び回ると、やがて薄らと消えて行った。
ただ、一つだけ。
消えゆく光から外れ、智彦の周りを漂う光があった。
だがそれも、次第に輪郭を無くしていく。
(……バイトではお世話になりました。さようなら)
智彦が光へと手を合わせた、その瞬間。
会場内が沸き上がり、混沌とした様相と化した。
ある者は、良い見世物だったとの感嘆で。
ある者は、目の前で怪異を見た興奮で。
ある者は、智彦の強さへの驚愕で。
そして皆が思ったのだ。
恐ろしい怪異を容易く倒したあの男と、縁を結びたいと。
観衆と同様に、《裏》と熾天使会。
また、それ以外の組織も、同じ様に考えた。
あの男を、やはり、是非とも欲しいと。
周りの反応に一瞬驚いた智彦だったが、すぐさま、床へと座り込んだ羅観香へと手を伸ばした。
偽物とは言え、最愛の女性を目の前で失ったのだ。
それは想像もつかない程のストレスだったのだろうと、そのまま立ち上がらせる。
羅観香の背後に佇む嶺衣奈は、疑似ゴーレムが消えて行った場所を、未だに見つめていた。
「……ありがとう、智彦君。そして、ごめんね」
「偽物だったんだから、見なくても良かったのに……」
「ううん。けじめ、って奴かな。本当に一瞬だけど、あの偽物の言葉に心揺らいじゃったから、さ」
「でも、惑わされなかったじゃないか。やっぱ羅観……んん?」
羅観香の言葉に応える智彦が、異変に気付く。
人々が、自身へ近付いて来てるのだ。
「あ、あらあらあらぁ?八俣智彦!さっきの部屋に戻るわよぉ!彼女も連れてきなさぁい!」
「養老樹、任せたわ!ちょっとこれ、防ぎきれる自信がないけどさぁ!」
「上村とクチサケはこっから離れろ!人が押し寄せるぞ!」
会場内に居る全員では無いが、それでも100近くの人間の波。
最悪、将棋倒しなどの被害が出てしまう。
鏡花と縣が、苦肉の策で人除けの結界を発動しようとした、その時。
『いやいやいや、流石、我が孫娘の婚約者じゃのう。皆さん、サプライズは如何でしたかな?』
空気を響かせる音量で、養老樹祭庵のおどけた声が、会場内に響いた。
暴徒化寸前の人々の、足が止まる。
本日のパーティーの主催者である、養老樹グループ会長の、声。
だが、多くの者が反応したのは、そこではない。
本来であれば、羅観香が歌っていたであろう、ステージ。
その上に祭庵とその家族が現れ、皆の注目を集める。
『ふむ、皆さんこんばんわ。本来であれば後程紹介する予定じゃったが、紹介しよう。孫娘である世恋の婚約者、八俣智彦じゃ』
祭庵が、智彦へと右手を向けた。
再び沸き起こる、声、声、声。
熾天使会は歓声ではあるが、多くは智彦を手に入れられなかった勢力からの叫声だ。
また、ステージ上のせれんの家族は、話について行けず動揺している様だ。
「おじい様!? 彼の紹介は予定にないのに……まずいわね。八俣智彦、貴方は今日はもう帰りなさい!」
「え?いいの?ってか、せれんは大丈夫なの?」
「人の心配よりあなたの心配よぉ!このままじゃ本当に婚約者になっちゃうわぁ!」
「ふぇっ!?婚約者って何?どどどう言う事智彦君!」
養老樹に手を引かれる智彦であったが、途中、両腕に養老樹と羅観香を抱える。
そして養老樹の指示の下、先程とは別の個室へと逃げ込んだ。
個室の鍵を閉め、養老樹が振り向く。
「ふぅ……あの蟲毒で、おじい様は貴方を気に入ってしまったみたいねぇ」
「でも、それは別にいいんじゃないかな? むしろ、せれんの狙い通りになるのでは?」
「ねぇ智彦君! 養老樹さんと婚約したの!? ねぇってば!」
「あぁもう、夢見さんには後で説明しますわぁ!」
個室には外へ繋がるドアがあり、養老樹は壁の横の機械で指紋照合を始めた。
ニャーン、と音と共に、開錠音が響く。
「今は婚約者のフリよぉ。でも、おじい様の言葉で、それが事実になってしまうわぁ」
「あー……、成程」
あの会場には、表と裏を含め、色々な有力者が招待されていた。
つまり自身では婚約者のフリのつもりでも、それが事実だと認識されてしまう事か、と。
智彦は眉を顰める。
「スマフォ持ち込み禁止で助かった、のかなぁ」
「そうねぇ。許可してたら今頃、貴方の雄姿が動画で拡散されてたわぁ」
それだけじゃない。
件の婚約者の件も拡散されずに済んだと、智彦は軽く息を吐いた。
「……ふふっ、そんなに私の婚約者になるのが嫌かしらぁ?」
「そんな訳ないよ。……その、色々あってさ。今はそう言うのを考えたく無い、いや、考えられないんだよね」
養老樹としては、揶揄ったつもりであった。
だが智彦の眼が少し濁るのを見て、養老樹はこの話題は止めようと考える。
同時に、智彦の中にある種の人間らしさを垣間見て、少し嬉しくなった。
「せれんはとても魅力的だから、そういう関係に成れたら嬉しいんだろうけど。今の状態だと不義理かなぁって」
「あらあらぁ、ホントこの手には真摯ねぇ八俣智彦。あとは私が何とかしておくから」
養老樹が、ドアを開いた。
個室の光りが、闇夜へと侵食する。
「寒ぅっ!とは言え、今年はホワイトクリスマスは期待できないわねぇ」
雪の気配は全く無く、闇夜に浮かんだ月が、寒々とした光を放つ。
冷たい空気が、室内の滾りを攪拌した。
「明日にでも、電話するわぁ。見られない様に帰りなさぁい。……今日はありがとう。助かったわぁ」
「うん。……じゃあごめん、後は任せるよ。羅観香さんもまたね!」
「う、うん!またね!」
フッ、と。
智彦の姿が、音も無く消える。
二人は呆れながらもドアを閉め、深く息を吐いた。
「あはは、養老樹さんも、彼に振り回されてますね」
「ホントよぉ。でも、嫌いじゃないわねぇ。今日は彼が居てくれて本当に助かったわぁ」
養老樹が近くの冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出した。
どうぞ、と。
一本を羅観香へと渡す。
「有難う御座います。智彦君、名残惜しそうな眼してましたね」
「会場の料理を食べられないのは無念でしょうねぇ。明日、届けさせようかしらぁ」
「それが良いかも知れませんね。……養老樹さんは、智彦君の事、その、好き……なんですか?」
「どうかしらねぇ……」
ミネラルウォーターで口を湿らせ、養老樹は今の感情を言語化する為に、思案する。
「……所属する組織の為に、彼に好意を抱いてる、のかしらぁ?ふふっ、彼の言葉を借りると、不義理だわぁ」
「……私も、似たような感じです、ね。嶺衣奈との繋がりの為、事務所の為に……でしょうか」
沈黙。
室内に、喉を潤す音のみが、響く。
口ではそう言った二人だが、それぞれもやもやとしたモノを抱いていた。
ならば何故、智彦の言動で心が軋んだのだろうと、養老樹。
ならば何故、二人が婚約したという嘘を聞いて焦ったのかと、羅観香。
「……さぁて、戻って一仕事しなきゃ。まずは皆に正直に話す、しかないわねぇ」
「あ、そういえば私の出番って、まだあるんでしょうか?」
「あらぁ、当たり前じゃない。さっ、一緒に戻りましょう」
恐らく養老樹達を探しに来たであろう足音が、近付いてくる。
今頃会場は、パーティーの仕切り直しでてんてこ舞いだろう。
「あんな事あった後だけど、皆ちゃんと踊れるかな。てか、欠員が……、あぁ、芽瑠汀ちゃんの件、どうしよう」
「その辺りは警察を手配してるはずよ。まぁ、話くらいは聞かれるかも知れないわねぇ」
「け、警察、受けてくれるんですか?オカルトなのに」
「存在自体がオカルトの貴女が何を言ってるのかしらぁ?そう言うのを扱う部署があるのよぉ」
養老樹達を探しに来たスタッフと合流し、会場へと足を進める養老樹と羅観香。
さて、どう言う風に今回の件を説明し、祭庵を説得し、智彦へ迷惑かけないようにするか。
難題で頭を悩ませていた養老樹はふと、気付く。
羅観香の背後に浮かぶ嶺衣奈が、見えているのだ。
スタッフにも視認出来ているらしく、一同が驚愕を貼り付かせている。
(あらあらあらぁ、打ち合わせ含め今まで見えなかったのに。会場内に溢れる霊力に影響されたのかしらぁ?)
特別な撮影器具を使った番組では、嶺衣奈はしっかりと見えている。
それ以外では、輪郭や、透けた姿が時々浮かぶくらいだ。
だが今は、ハッキリと加宮嶺衣奈の存在が彩られていた。
そして、その顔は。
まるで生きた人間の様に、生気が溢れている……ように、見えた。
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