変異
養老樹祭庵とのやり取り後、智彦は養老樹せれんに手を引かれ、スタッフ用の休憩室へと案内された。
養老樹は智彦の手を握り、まじまじと見つめる。
「本当に異常はないのねぇ?嘘だったら承知しないわよぉ?」
「何も無いし、嘘でもないよ。大げさだなぁ」
「アレがどれだけの厄物なのか、貴方に言っても解らないわよねぇ……はぁ」
念の為と、養老樹は智彦の手に消毒アルコールをかけ、再度掌を見つめた。
あの蟲毒を喰らい、正常どころか取るに足らないモノだと見ている。
本当に規格外だ、と。
養老樹はつい、笑みを浮かべてしまう。
「……ありがとう、八俣智彦。私の為に無茶をしてくれて」
「あ、いや。……事前の打ち合わせ、無駄にしちゃったかな」
「そうねぇ、順番に貴方の事を説明するはずだったのに、おじい様ったら」
「せれんのお爺さんにちょっとムッとなって、大人げない事しちゃったよ。……ごめんね」
「ううん、結果を出したのだから、貴方は何も気に病む事は無いわぁ」
「なら、良かった。コレで当分はせれんに縁談は行かない、かな?」
「え、えぇ、そう……ね」
本来であれば、その為に智彦へと、正月が終わるまで婚約者のフリをお願いしたのだ。
よって、今回の件は大成功と言えるであろう。
それなのに、養老樹の心が一瞬、軋む。
養老樹には、それが何なのか解らない。
だが、もう少しは智彦が婚約者のフリをしてくれるのだと考えると、心が落ち着いた。
同時に、体が熱くなる。
一方、智彦は珍しく焦っていた。
養老樹の守護天使が、何故か、智彦を睨んでいるのだ。
とは言え守護天使には殺気が全く無いため、智彦にとって意味が解らない状態。
智彦は、守護天使が睨んでいるイコール自分が養老樹に何かしでかしたと考える。
が、当の養老樹に怒気は無く、むしろ機嫌がいい方だ。
無言となった、二人。
その沈黙を破ったのは、養老樹のスマフォであった。
電話を受けた後、二人は急いで会場へと戻る。
既に、会場内は人々の熱気が渦巻いていた。
声。
音。
光。
智彦は再び、自分の知らない世界を垣間見る。
(以前の俺だったら、全く縁が無かっただろうな)
クリスマスなど関係無しに、智彦の生活はバイト漬けだった。
しかもそれは生活費の為では無く、智彦を裏切った三人との交友費の為として、だ。
自身の不遇を親の責任にして、それを言葉にして、母親を悲しませてきた過去。
あの頃の俺ならば、養老樹を恵まれた人間として恨み、世の中不平等だと社会を呪っていたに違いない、と。
とは言え、富田村以外で変化の転機が欲しかったなぁ、と。
智彦は、先程の電話の主……再度手に入れる事が出来た親友に、手を振った。
「やぁ、謙介、紗季さん、こんばんわ」
白いスーツで着飾った、高身長の男性。
ルビー色のドレスで彼に寄り添う、美女。
上村謙介と口々紗季は、智彦達を認めると、安堵したように息を吐く。
「八俣氏!よかった!もうさ、世界が全然違う感じでどうしたらいいか解らなくて!」
「人が多い……、謙ちゃんと一緒は嬉しいのだけれども、苦手……」
二人の焦燥した姿を見て、智彦はつい噴き出してしまった。
慣れない、余裕の無い、違う世界に迷い込んだような、焦燥感。
二人も一緒なのだろうと、解ってしまったからだ。
何より、今回この会場はスマフォの持ち込みが不可。
合流するまで、さぞ心細かっただろう。
「あらぁ、二人とも似合ってるわねぇ?」
「養老樹氏、じゃなかった。養老樹さん、この度はパーティーに招待頂き、有難う御座います」
「同じく、有難う。せれん」
二人が頭を下げるのを手で制し、養老樹はさりげなく周りを見る。
招待客、とりわけ裏の世界に身を置く者達が、上村と紗季を意識している様だ。
(怪異からの恋愛により成立した人間との組み合わせ。気になるわよねぇ)
古来、妖怪と言った怪異が人間と番になる例は、意外と多い。
が、それはあくまで物語として伝わる範囲だ。
今現在、目の前で寄り添う、ただの人間と、怪異。
彼らが今後、どのように共に歩んでいくかを見守って貰う為に。
また、馬鹿な事をしようとする輩を牽制する為に。
養老樹は、この二人もパーティーへと招待したのだ。
「八俣氏、話は聞いてますぞ。でも大丈夫ですかな?」
「ん?何が?」
「八俣氏の事ですから、なんかやらかして、このまま養老樹氏の正式な婚約者にされそうな気がしますぞ」
「ははは、無理だって。俺とせれんじゃ、家柄が違うんだしさ」
「あ、あらあらぁ?八俣智彦、貴方ならもっと上を目指せるはずよぉ?」
再び、養老樹の心が軋む。
慣例であれば、智彦の言う通りであった。
智彦がいくら強かろうが、所詮は一般人で、その場しのぎ。
いつか養老樹に釣り合う家と、関係を結ばなければいけないのだろう。
解っている。
解ってはいるのだ。
だが言葉にできない胸の痛みを誤魔化すように、養老樹は笑顔を張り付ける。
「あ、居た!」
と、そこに。
日常的に見慣れた女性が、養老樹達の前に現れた。
養老樹はつい、頬を緩めてしまう。
「御機嫌よう、養老樹、さん。本日はご招待頂」
「あらあらあら、田原坂鏡花、学校では無いのだからいつも通りでいいのよぉ?」
「はいはい、解ってるわよ。まぁいつも通り警備に尽力するわってか、なんで八俣君達がいるの?」
養老樹に挨拶した女性……スタッフの服を着た田原坂鏡花が、智彦達に気付いた。
その為、この夜が如何に格式高いのか解っている為、智彦や上村の存在が疑問となった様だ。
鏡花の問いに智彦が答えようとするも、その腕に養老樹が絡み付く。
「紹介するわぁ、田原坂鏡花。私の婚約者、八俣智彦よぉ」
「……は?え?……んと、本当、なの?八俣君」
智彦の今日の役割は、養老樹の婚約者を演じる事だ。
騙す事に心が痛むが、智彦は鏡花からの言葉へ首肯で返した。
「ええええええええええええええ!?ちょ、ちょっと待ってよ!それじゃ八俣君、そっちに属しちゃうわけ!?」
「あらぁ、何を慌ててるのかしらぁ田原坂鏡花?もしかして彼の事、好きなのかしらぁ?」
「はぁっ!?違うわよ!こっちとそっちのバランス大幅に狂っちゃうじゃない!」
「当り前でしょう?夫婦共々、熾天使会を宜しくねぇ?」
「う、上は通してるの!?彼については互いに抜け駆け無しって盟約交わしているわよね!?」
可愛く言えば、じゃれ合い。
もはやこのような言い合いは恒例なのか、周りのスタッフは苦笑いで争いを見守っている。
鏡花の取り巻きも今が自由時間だと、各々気を緩めだした。
「よぉ、八俣、上村、あとクチサケ。今日は普段食えない奴をたらふく食って行こうぜ」
「あ、やっぱ来てたんだ、縣」
「縣氏も同じく警備のようですな」
「……馴れ馴れしい」
鏡花と同様にスタッフ服に着替えた縣が、何やら高そうなチョコレートを智彦達へと渡して来た。
これ一粒で2,000円近くと聞き、智彦は恐る恐る口へと放り込む。
脳髄までに広がる、甘い痺れ。
智彦達の顔が緩くなる様へ満足そうに頷きながら、縣は養老樹達へと視線を移す。
「アイツらは毎年ああだから放っておいていいぞ。婚約者のフリお疲れさん」
「……ん?縣は知ってたんだ?」
「上も面白がって田原坂だけに言ってねーんだよ。まぁ、上村が言ってたような不安はあるんだがな」
会場内に、アナウンスが流れる。
養老樹グループの会長……養老樹祭庵の挨拶の前に、人気アイドルの新曲のお披露目がある、といった内容だ。
あぁ、羅観香さんの出番は最初なんだな、と。
会場のステージ上に知り合いがいないか、智彦は視線を彷徨わせ始める。
「縣氏もそう思いますかな?まぁ友人に恋人が……新しい恋が見つかるのは嬉しい事ではありますが」
「ラブは幸せ。……八俣も早く相手を見つけると良い」
つい、智彦は苦笑を浮かべてしまった。
確かに、幸せそうだ。
上村と紗季を見ていると、心底そうだろうと思ってしまう。
そして自分も幸せだったな、と。
チョコを惜しみながら、喉へと飲み込んだ。
余程美味しそうに食べていたのだろう。
縣が笑いながら、再びチョコを取り出す。
「ほらよ。まぁ俺としては、お前が熾天使会にいけば張り合いが出るし、どの道、この業界の戦力がプラスになるから構わねーがな」
だけどよ、と。
縣は人混みの方へ指を挿し、心底楽しそうに言葉を続ける。
「男女の関係は、清算した方が良いかも知れねーな」
縣の指の、先。
そこには、藤堂光樹と。
樫村直海が。
曇った眼で、智彦を見つめていた。
智彦の、深いため息。
上村はなんとも迷惑そうに、その男女へと目を向ける。
予想はできたと、智彦は頭を振る。
養老樹グループは、医療界において名を轟かせている。
よって、同じ医療関係である藤堂も参加しているのは、当然であった。
一方、藤堂と直海は、唖然としていた。
貧乏な男。
自身の娯楽の為に生まれてきた人間。
そう見下していた男が、あの養老樹せれんの婚約者だと、紹介されていたからだ。
直海も同様に、智彦が手の届かない場所に進んでいる事に絶望を感じていた。
自身の容姿に自信がある直海だが、養老樹せれんには多くの面で及ばないと、解ってしまう。
智彦を裏切ったのは、自分だ。
それも、理解していた。
だからこそ、直海の中に、ひとつ。
仄暗い感情が、芽生え始めてしまった。
どうして、自分と付き合っている時に、今の様にならなかったのか、と。
つまり、先に裏切ったのは智彦である、と。
本来であれば、お腹の中の新しい生命は、智彦との結晶であったはずだ、と。
ふと、藤堂が直海を抱き寄せる。
せめてもの反抗として、藤堂は自身と直海の関係を見せつけようとしたのだ。
と、そこで、またもや藤堂と智彦の格差を思い知らされる出来事が、起こった。
「あ、智彦君!謙介君!やっと見つけた!こんばんわ!会場内はスマフォ持ち込みできないから探したよ!」
周囲が、ざわつく。
モーセの十戒の如く人混みが割れ、夢見羅観香がその茜色の髪を弾ませた。
今をときめく、人気アイドル。
同時に、加宮嶺衣奈と言う霊を付随させる、裏の世界から見れば、興味の湧く存在。
彼女の登場に、そして仲が良さげな異性に、誰もが目を見張った。
「羅観香さん、こんばんわ、……後ろの人達は?」
智彦はまるで藤堂達へと興味を向けず、羅観香の後ろに並ぶ数人の女性陣を見つめた。
何となく含みがある言い方に羅観香は首を傾げるも、同じ衣装で揃えられた女性達を紹介する。
「彼女達は、バックダンサーとして手伝ってくれる娘達だよ。皆で挨拶回りしてるんだ」
女性達が、智彦達……主に、養老樹へと頭を下げた。
だが、養老樹は挨拶を返さず、その眉間に皺を寄せている。
鏡花と縣も同じだ。
紗季は、守るように上村の前へと出る。
「……あ、そう言う事か」
羅観香は、智彦の反応に得心した。
今紹介したメンバーの中に、
「智彦君が心配するのも解るけど、大丈夫だよ。あの後彼女とは何も無かったし。彼女、ダンスが凄く上」
「お前は、誰だ?」
智彦が、四十万芽瑠汀に、声をぶつけた。
当の芽瑠汀は水色の髪を揺らし、にこやかに微笑んだまま、智彦を見つめる。
「あらぁ?見張りは何をしてたのかしらかぁ。こんなのの侵入を許すなんてぇ」
「ったく、会場内の反応に紛れて、近付くまで全くわかんなかったぜ」
「総員、B地点にて異常発生、招待客の安全第一で行動せよ」
鏡花が機械越しに、警備メンバーへと指示を送る。
周りが、更にざわつき始めた。
「……っ?皆、芽瑠汀ちゃんから離れて!」
羅観香は嫌な予感を感じ、そして智彦への信頼から、バックダンサー達を芽瑠汀から離れさせた。
それでも、芽瑠汀は、にこやかな笑みを浮かべたまま微動だにしない。
「もう一度聞くね?……お前は、
「私は……」
周りから上がる、悲鳴。
芽瑠汀の顔が
「嘘……、え?嶺衣奈……?」
芽瑠汀の顔が、
体そのものが。
加宮嶺衣奈へと、変わった。
「私は、加宮嶺衣奈』
瞬間、四十万芽瑠汀だったモノが、羅観香へと襲い掛かる。
『私の偽物は、いラナい』
いや、羅観香の後ろ。
加宮嶺衣奈の霊へと、その凶悪な歯を、向けた。
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