蟲毒



まるで洋画の世界に紛れ込んだみたいだな、と。

智彦は目を輝かせると同時に、自身の表現力の無さに、つい苦笑いを浮かべた。


だが、それも仕方ないの無い事だろう。

それだけ、ここ、養老樹記念ホールで行われる養老樹グループのクリスマスパーティーは豪華で、賑やかで、光っていた。


素人でも解る生演奏BGMの豪華さ。

見た事無い上に文字すら読めない料理群。

テレビで見た事のある外人や、芸能人達。


それこそ、映画の中でしか見た事の無いような、世界。

まだパーティーが始まったわけでは無いが、智彦は年甲斐もなく、内心ワクワクが止まらないようだ。


横で、モスグリーンを基調とした瀟洒なドレスに身を包んだ養老樹が、クスリと笑う。


「安心したわぁ、八俣智彦。貴方にも年相応な所があるのねぇ」

「あー、ごめんね、せれん。みっともない所見せちゃったかな」


今の智彦の立場は、養老樹せれんの婚約者だ。

なのに、醜態を晒し、養老樹せれんの評判を落としてしまったと謝罪する。


「構わないわぁ。ふふっ、むしろそういう反応して貰えると、主催者側としては嬉しい限りよぉ?」


養老樹にとって一連の智彦の言動は、信じられないモノであった。

厭世的、悪く言えば、この世界を灰色に見ながら無価値と捉えている様に思えていたからだ。

目の前の存在を敵と見れば、次の瞬間、表情そのままで相手を屠るであろう男。

それが、同学年の男子の様に、全身でこの雰囲気に心躍らせている。


(新鮮だわぁ。こういう場に招かれて当然って考える傲慢な輩ばかり見てたから)


智彦が言ったように、一連の言動を見て、二人に侮蔑を浮かべる人間は居る。

一方、養老樹グループの人員やスタッフは、智彦へと柔らかな笑みを浮かべていた。

養老樹も周りに合わせ、智彦へと好意的に微笑む。



(今日は楽しみなさぁい、八俣智彦。世の中は地獄ばかりじゃないのよぉ?)



養老樹は、智彦がそうなったであろう過程を知ってはいる。

故に、そこで地獄を見て、何かが欠如したのだろう、と。

とは言え初対面時と比べ、いくらか人間らしくはなってはいるのは解る。

だからこそ今日は楽しんで貰い、地獄の思い出に上書きをして欲しい、と。

養老樹は智彦の腕へと、抱き着いた。


「ん?せれん、何を?」

「あらあらあら~?だって貴方は私の婚約者でしょう?八俣智彦」

「いや、そうだけどさ……」


智彦の、戸惑いの声。

だがそれには、羞恥は含まれていない。

いきなり変な事し始めた、な物言い。

性欲方面は、相変わらず枯れたままのようだ。

そもそも、養老樹の横には常に守護天使が居るので、それも要素の一つであった。


智彦の言い草に養老樹は口を尖らせようとしたが、それどころでは無い。

ブランド物のスーツの向こう。

まるで鋼の塊が存在するかのような、智彦の上腕二頭筋。

ソレが、養老樹の体へ熱を伝えて来たのだ。


(あ、あらあらぁ?スーツの試着の時もそうだったけれども、すごい筋肉……、ジムなどで身に付けた紛い物じゃないわねぇ)


徐々に、養老樹の頬が紅潮し、鼻息が無意識に荒くなる。


(やっぱり首が凄く太い……、きっと、いや、絶対に僧帽筋が綺麗だわぁ彼!決して大きくない体にこれでもかと凝縮された筋肉!素晴)


「えと、せれん?」

「……っ!?な、何かしらぁ!?」


智彦の言葉に、養老樹が我に返る。

すぐさま平静を取り戻し……た様に見せかけ、周りを観察した。

周りの人々が、二人へと生温い視線を向けている様に、見える。

前には、藍色のドレスを身に纏った舞子=スチュワート=迫浴が、いつの間にか立っていた。


「ふふふっ、せれん様、乙女の眼でウォッチしてました。カワイイネ」

「舞子、貴女ねぇ……!はぁ、……それで、何かあったのかしら?」


顔を赤面させながらも、養老樹は再び外面を取り繕った。

田原坂とは別ベクトルで仲が良いのだろう。

迫浴の失礼な物言いを特に気にせず、養老樹は返事を促す。


「ハイ、祭庵さいあん様お呼びです。上のGuestRoomで待ってるデスよ」

「解ったわぁ。八俣智彦、今からおじい様に会うから、よろしくねぇ?舞子、貴方も来て」

「ん、頑張るよ」


事前に養老樹と打ち合わせをした質疑応答を復習しながら、智彦は養老樹と共に、エレベーターへと乗り込む。

ふと、智彦は空気が重くなるような気がした。

成程、さすがは養老樹の祖父だと、智彦は気を引き締める。


「祭庵様、お嬢様方をお連れしたデス」


迫浴に案内され、大きな部屋へと足を踏み入れる智彦。

正確な広さは解らないが、50畳ぐらいだろうか。

ブラウンのフローリングと、灰色で統一された壁。

部屋にぶら下がった値段を想像できないシャンデリアが煌々と光る下で、黒服の男女に囲まれた老人が、柔和な笑みを浮かべていた。


「世恋、久しぶりじゃの」

「先月あったばかりでしょうに、ふふっ。ご無沙汰しておりますわ、おじい様」


祭庵と呼ばれた濃緑の紋付き袴姿の老人に、養老樹が抱き着く。

一見すると、孫を可愛がる老人。

だがその顔には皺だけでは無く、今まで歩んできたであろう人生経験も、濃く刻まれていた。

この御老体こそ、養老樹グループの礎を作た、養老樹 祭庵さいあんだ。

智彦の脳裏に、ぬらりひょんと言う言葉が何となく浮かぶ。


(せれん、おじいちゃんっ子なのかな)


祭庵の周りに居る黒服の意識は、智彦の方へと向いている。

智彦は小さな殺気を受け流しながら、声がかかる迄二人の様子をボーっと眺めていた。


「さて、積もる話は後にするかの。……君が、世恋の選んだ男かね?」

「はい。八俣智彦と申します」

「ふむ、こやつらの殺気を受け流し、重圧もモノともしない……、なるほどなるほど」


祭庵が智彦の方へと、鋭い目を向けた。

智彦は臆する事も無く、淡々とそれに応える。


「儂も若い頃は自由恋愛で妻と結ばれた身、野暮な事は言わんよ。だが、しかし……来栖くるす、アレを」


祭庵が片手を上げると、奥の部屋から大柄の黒服が現れ、カラカラと音が響きだす。

音の主、木製のワゴンが、祭庵の前へと置かれた。

ワゴンの上には、濃緑色の風呂敷。

それが、ミニサイスのペットボトル程膨らんでいる。


「養老樹の名を継承したいのであれば、それ相応の力を誇示して見せよ」


祭庵が、風呂敷を取った。

現れたのは、ガラスの瓶に入った、どす黒いムカデだ。


「おじい様っ!」


瞬間、養老樹が大きな悲鳴を上げる。

そのまま祭庵に詰め寄ろうとするも、女性の黒服に抑え込まれた。


「今から君に、この蟲を殺して貰う。……そうさな、ギュッと手で握りつぶして貰おうかの」


祭庵は養老樹を一瞥するも朗らかに笑いながら、瓶を智彦へと渡した。

瓶の中でうねる、黒いムカデ。

智彦はソレが、何やら得体の知れないモノを内包している事を感じる。


「八俣智彦!ソレをおじい様に返して!おじい様申し訳ありません!彼が婚約者だと言うのは、嘘です!私が、そう頼んだんです!」


余程の厄物なのか、養老樹は項垂れながら、全てを告白した。

祭庵は鼻を鳴らし、養老樹の両肩へと手を置く。


「やはりか。世恋、お前は熾天使会に名を連ねる実力者だ。儂がお前に相応しい男を探してやる。それか今夜のパーティーで探すのもありかの」


養老樹が無言で頷くのを認め、祭庵は満足そうに頷いた。

そのまま、智彦へと目を向ける。


「巻き込んですまなかったのぉ。君もそこそこやるようじゃが、我が養老樹グループには不」

「この蟲を潰せば、いいんですね?」


智彦が瓶を開け、ムカデを掌へと乗せる。

その動作を見た祭庵と黒服は眼を見開き、無意識に智彦から距離を取った。


「はっ?封印をそんな容易く……いや!待つんじゃ!ソレは触れただけで正気を失」


グチュリ、と。

智彦がムカデを握り潰した。

すると蟲の骸は黒い靄となり、智彦の体へ吸い込まれていく。


「……うん?」


富田村で感じた、異形の……蟲の魂が、自身の糧となる感覚。

とは言えそれはごく微量で、今更な量。

何の足しにも成らない、魂の量。

智彦は首を傾げつつ、蟲が消失した掌を、祭庵へと見せた。


「これで、せれんの婚約者に相応しいと示す事ができたでしょうか?……せれん、行こう」

「あ、あらぁ?あらあらぁ?え?大丈夫なの?何とも無いの八俣智彦!?。えと、おじい様、では、後程……」


一同が唖然とする中、智彦は養老樹の手を取り、部屋を出て行った。

残された祭庵はしばらく言葉を失うも、自身の体が汗で濡れている事に気付き、顔を歪める。

だがそれ以上に、今、目の前で起きた事が信じられぬと、息を大きく吐いた。


「……来栖、あり、得るか?あの蟲毒を喰らったのに、平然としておった」

「ふ、普通であればあり得ません。触れた時点で気が触れ、あの瘴気を吸った時点で体が黒く蝕まれ絶命、するはずです」

「そう、じゃよなぁ」


《裏》との親睦の為に。

また、いざと言う時に使える呪具として購入した、蟲毒。

祭庵の右手である来栖が言ったように、多少強い程度では、触っただけで正気を失う様なモノ。

潰せば、一瞬で相手の体を壊死させ、死へと導く劇物。


只の脅しのつもりであった。

蟲毒を知っている養老樹の反応で、見極めるつもりであった。

蛮勇にも挑もうとしたら、止めるつもりであった。

なのに、あの若造は……。

ふと、祭庵の中で、ああいう事を成せるであろう人物が浮かび上がる。


「迫浴、もしやあの男が、富田村から生還した者か?」

「Yes, sir! 八俣智彦言いマス。見た目普通ですが、恐ろしいデスよ」

「そうか、あの男が……」


【富田村から生還した男】

意外な事だが、智彦の名はそれほど《裏》や熾天使会以外に浸透していない。

と言うのも、他の組織に智彦を取られぬよう、二つの組織が情報を統制しているからだ。

加えて智彦に辿り着いても、地味な見た目で人違いな扱いをされてしまう。

富田村を制した男。

各々が抱いた屈強なイメージに、どうしても反してしまうのだ。



(ただ強いだけでは説明がつかぬ。突拍子の無い仮説じゃが、あの男自身、もしや蟲毒の産物、なのでは?)


祭庵は、顎髭を触りながら、思案する。

智彦は蟲毒の呪いを無効化、では無く、吸収しているように見えた、と。

つまり智彦自身が蟲毒によって作られた頂点であるが故に、呪いを自身の力へと変えたのでは、と。

それが意味するのは、智彦の存在が如何に脅威であるか、だ。


「むぅ、欲しいな。……是非、我が一族に欲しい!」

「御大、それでは……?」

「うむ!婚約者のフリと言ってはいたが、是非、世恋の正式な婚約者として進めようかの!」


祭庵の声に湧く、黒服達。

彼らもまた、養老樹せれんに婚約者がいない事を憂いていたのだ。


(あーらら、八俣サン、厄介な人に目、付けられたデスね。でも、せれん様の幸せ考えるから、フレーフレーしますデス)


祭庵は早速、智彦の情報を収集するように黒服へと指示し始める。

今後、養老樹グループは総力を挙げて、智彦を懐柔し始めるだろう。


(……この流れ!つまり婚約者居る身で、縣と淫靡テーション……尊い!)


智彦の周りは今以上に騒がしくなるだろうな、と。

いつもより元気な黒服達を眺めながら、迫浴は口角を上げた。






一方、パーティー会場には、人や車が続々と到着していた。

そこで、熾天使会所属の見張りが、とある車両に異常を感知する。


「おい、あの大型車両から霊的な反応が二つもあるぞ」

「ホントね。……あぁ、アレ、今回のイベントの参加者たちよ」


見張りの一人が、手元のタブレットを操作し、情報を集める。


「あの夢見羅観香が乗ってるみたいね。なら、加宮嶺衣奈の霊も一緒って事」

「あぁ、じゃあ二人分だから問題無いか」


見張りは気付かなかった。

羅観香と嶺衣奈が重なり、霊的な反応が一つとして認識されている事に。

つまり、合計三つの霊的反応が、ある事に。



もうすぐ、パーティーが始まる。

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