アルバイト
羅観香に案内されたのは、ニューワンスタープロダクション内にあるカフェだった。
と言っても一般開放されておらず、関係者のみの施設のようだ。
建物内にあるものの、管理された観葉植物の群れが、まるで野外のお店の様に演出している。
(バイトまであと40分はあるから、時間は大丈夫かな)
羅観香は知り合いに挨拶しながら、コーヒーを二人分購入し、奥の方へと進む。
個室のブースがあり、羅観香は茜色の髪を弾ませ、一番奥のブースへと入った。
智彦も続き、ブースへと入る。
(んー、居心地悪い)
オシャレなカフェだから……、ではない。
何故あんな奴が夢見羅観香と一緒なんだ、と。
嫉妬、不満、嫌悪……と言った視線が、智彦に刺さっているからだ。
(羅観香さん、今や人気アイドルだからなぁ)
以前は顔見知りが多かったが、急成長したためか、知らない顔が日に日に増えていく。
勿論自身が部外者だとは自覚しているが、トラブルだけは避けたいな、と。
智彦は羅観香へと意識を向けた。
「どこから話そう……、彼女は、
そして、嶺衣奈を取り合った仲、だと。
羅観香は腕を上げ、嶺衣奈の頬の輪郭を撫でた。
嶺衣奈の眼が、柔らかに細くなる。
羅観香が視認出来る程に濃くなった嶺衣奈の存在に若干驚きながらも、智彦は無言で話を促した。
「ある程度想像してると思うけど、彼女とは、嶺衣奈に関してライバルだったんだ」
正確には、嶺衣奈との仲を邪魔する存在だったと、羅観香は伏し目がちに話す。
芽瑠汀は以前は、自分に自信の持てないおどおどとしたタイプであった。
それを嶺衣奈が一喝し、良い方向へと性格が改善。
同時に、嶺衣奈に好意を持つようになった、と羅観香は語った。
「知っての通り、私と嶺衣奈は両想いだった……んだけど、そこにあの子がグイグイ来るようになって」
羅観香の顔が歪み、左手中指の第二関節部分の皮を嚙み始める。
恐らく、無自覚……癖、なのだろう。
羅観香が感情を露にするのは珍しいな、と。
智彦はカップコーヒーに口を付けた。
チラリと後方の嶺衣奈に目を向けると、彼女の顔も複雑な感情で歪んでいる様だ。
これはなかなか深刻な話だと、智彦は姿勢を正す。
「自分で言うのも何だけど、嶺衣奈の心は揺らがず、私だけを見てくれた。だからなのか、彼女の行動がどんどん常軌を逸していったの」
曰く。
嶺衣奈のスケジュールを把握し、常に一定距離を保ち見つめていた。
彼女の部屋に忍び込み、ベッドの下で過ごす事もあった。
それだけじゃなく、嶺衣奈の髪や爪などを収集し、ゴミ袋まで漁る始末。
「嶺衣奈は逐一叱ってたの、でも、止まる気配が無くて…」
ヤンデレ、という奴だろうか?
智彦は、上村の家でプレイしたゲームの知識を、手繰り寄せた。
(たしか何種類かタイプがあったけど……覚えてないや)
とにかく、その芽瑠汀と言う娘は、二人にとって迷惑な存在だったようだ。
羅観香がコーヒーを啜り、窓の外の風景を眺める。
「もうコレはちゃんと伝えて諦めさせよう、ってなって。出来レースだったんだけど、目の前で、嶺衣奈に私を選ばせたんだ」
その時の芽瑠汀は、驚く事も落ち込む事も無く、無言となり、その場から去ったらしい。
羅観香が言うには、まるで人形のように『表情』が無い様子で恐怖を覚えた、との事だ。
その後芽瑠汀は学校を去った事で迷惑行為は収まり、トラブルは解決した。
「……ように思えたんだけどね」
二人が芽瑠汀と再会したのは、とあるテレビ局の中だった。
嶺衣奈に叱られ自身を変えた彼女は元々器量が良く、歌も上手だったため、別の事務所に籍を置いていたのだ。
その後、テレビ局内等で普通に接し、アイドル仲間としての地位に落ち着く。
ただ、嶺衣奈の控室や、使用後のトイレ等で、その影がちらほら見え隠れはしていたらしい。
「そこで、あの事件が起こってね。……あはは、いっぱい責められたなぁ」
羅観香の目が、細くなる。
その目に映る外の景色が、歪み始めた。
「ねぇ、智彦君。嶺衣奈、やっぱ私の事を恨んでいるのかな?一緒にいるのも、実は恨みを晴らすためとか…さ」
やはり、そのような不安があったのだろう。
羅観香の為に穢れ、羅観香の為にアイドルの立場を捨てようとした結果、命を落とした……羅観香の最愛の人。
実際に彼女を殺したのは、今は亡き当時のマネージャーだ。
だがネットで、テレビで、羅観香が原因で嶺衣奈が死んだ、と言う心無い言葉が飛び交っていたのも事実だ。
(今日は一段と弱ってるな、羅観香さん。あの喧嘩してた娘のせいなんだろうけど)
死んだ人の気持ちなんて解らない。
だが、少なくとも目の前の女性の霊は……。
「そんな事はない。嶺衣奈さんを信じてあげてよ」
恨んでいたら、あのライブの時に羅観香は死んでいた。
その後も、身を挺して羅観香を守っているような話も聞いた。
羅観香を慰めるように、背後から抱きかかる嶺衣奈が、彼女を恨んでいるはずがない。
何より、恨みを持つ霊特有の、瘴気が無い。
ただ、愛が重いとは思うが、智彦は口にはしなかった。
「……うん、そう、だよね」
「あの娘には可哀そうだけど、嶺衣奈さんは羅観香さんを想ってい……、って、あれ?」
「ん?どうしたの?」
智彦は、先程の事を思い出す。
芽瑠汀は、羅観香に憑いている嶺衣奈を偽物と評し、自分のが本物だと言っていた。
だが、智彦が見た所、芽瑠汀にそれらしき霊は憑いていなかったように見える。
その疑問を羅観香に伝えると、羅観香も首を傾げた。
「確かに、そんな事言ってたね。……智彦君、霊が分裂する事ってあるのかな?」
羅観香の言葉に、智彦は少し思案した。
例えば、善と悪の魂に別れた……みたいなものが、ゲームなどでは存在する。
ソレが現実でも起こっている可能性は、否定できない。
「聞いた事無い、と言うか、まだそっち側に入って間もないから解らないけど……あ、嶺衣奈さんは首を横に振ってる」
今や、羅観香の後ろに佇む嶺衣奈は、当たり前の様に見えている。
霊なのに人や物質に干渉できる程で、オカルト界隈では羅観香と嶺衣奈を信仰する存在も出始める程だ。
最近では、逆に姿を消して羅観香を立てたりと、人間臭い一面も出始めた。
話しだすのも時間の問題だな、と智彦はコーヒーを飲み干し、頭を下げる。
「ごめん羅観香さん!そろそろバイトに向かうね!」
「あ、もうそんな時間?話を聞いてくれて有難う、智彦君!」
「一応だけど、彼女の動向は気を付けた方がいいかも」
「……ううん、気になるから、次に会う機会があったら、どういう意味だったのか尋ねておくよ」
「まぁ、危なくなっても嶺衣奈さんが居るから大丈夫だろうけど……、何かあったら頼ってね?」
この上なく頼りにさせて貰うよ、と。
陰りが消えた羅観香の笑顔に。
やんわりと微笑む嶺衣奈に。
智彦は、見送られた。
バイトと言っても、同じ建物内だ。
智彦は非常階段内を飛び降り、一階の搬入口へとたどり着いた。
「お疲れ様です、今日もよろしくお願いします」
「おう、お疲れー!」
「よろしくー!」
「八俣君来た!早速頼んでいいー?」
バイト仲間が、智彦へと挨拶を返す。
智彦はそれに応え、着替え、いつも通り励みだす。
事務所へ搬入されるモノは様々だ。
業務用の大きな荷物もあれば、箱から溢れるほどの郵便物もある。
智彦は専ら、大きな荷物搬入を任されているようだ。
そして……。
「八俣君!ちょっと見てくれるー?」
郵便物と宅配物を分けている、セピア色の髪の少女が、智彦を呼ぶ。
ふんわりとした髪を揺らし、若干垂れている眼で、一つの小包を睨んでいた。
「桑島さん、もしかして……」
「うん、なーんか嫌な気配がすんだよね」
彼女の名前は、
智彦と同じ年齢で、アイドル志望の美少女だ。
放課後や休日はここでバイトをし、その後レッスンを受け、日々頑張っている。
故にその姿は眩しく、この部署においては、皆のアイドルとして慕われてた。
桑島の前に佇む、何の変哲もない小包。
宛先は、プロダクションに属する今売り出し中の男性グループへのようだ。
ただ智彦には、人間のモノでない声が、その箱から聞こえた。
「桑島さん、やっぱ霊感あるよね。主任!コレ、異物なので処理します!」
その声に、皆が小包から距離を取る。
智彦が小包を開けると、そこには入浴剤の山……にへばり付く、異形の存在。
全身がやせ細るも腹だけは出ているソレの頭蓋を掴み、智彦は無表情のまま潰した。
「終わりましたー!」
「八俣のおかげで
皆の顔に、安堵が浮かぶ。
主任が開封済みの小包を受け取り、報告の為に持ち場を外れた。
プロダクションには、所属アイドルに対しファンからの荷物が多く届く。
基本的にはそのアイドルのマネージャーへ渡すのだが、時たまこのような「異物」が紛れ込むのだ。
アイドルへの恨みと言った、負の感情。
それを呪術等に転換し、このように送ってくる輩が存在する。
智彦の処理した異形は、餓鬼と呼ばれる怪異だ。
あのままであれば該当アイドルは餓鬼に憑りつかれ、満たされぬ欲求の下暴飲暴食を繰り返していただろう。
「ありがとー、八俣君!」
「いやいや、桑島さんが気付いたおかげだよ。今回も給料に色が付くかもね」
「だといいなぁ。最近筋トレ用の器材買って金欠だったから」
その後も適度に談笑しながら、智彦は仕事を続ける。
途中、星社長が直々に話を聞きに来るという事件はあったが、今日も無事終業。
従業員出入り口から出た智彦達を、すっかり日の短くなった空と冷たい外気が出迎えた。
「あ、八俣君!私、明日休むから」
「フォローしておくよ。掛け持ちしてるバイトが忙しいの?」
「違うよぉ!明日、ここでオーディションがあるんだ!」
「そうなのか。じゃあ、休み時間が合えば見に行こうかな」
「あはは、関係者以外は立ち入り禁止だよ多分。……受かるかなぁ」
「受かるといいね」
じゃあねー、と言う桑島の明るい言葉に、智彦は笑顔で返す。
街の空気は、すっかりクリスマスだ。
智彦は羅観香に薦められていたケーキ屋で、母親と食べるケーキと、アガレスへのケーキを予約する。
桑島から良い知らせが聞けるといいな、と。
智彦は白い息を吐いた。
そして翌日。
いつもと同じように、バイトに訪れた智彦。
そこで、休みのはずの桑島が、仕事をしているのを見つけた。
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