仮初
病院内にアナウンスが流れる。
だが、智彦の耳には入らない。
「婚約者、って、その、結婚を前提とした、って奴だよね?」
「あら~?それ以外何があるっていうのかしらぁ?」
智彦は固まったまま、養老樹より投げられた言葉を反芻する。
「俺が?」
「えぇ」
「婚約者に?」
「えぇ」
「せれんの?」
「そうよ~?」
養老樹の突然の言葉に、智彦は言葉にできない焦燥感を覚えた。
ただ、それは良い方向の意味でだ。
(羅観香さんは、あれは俺を逃げ道として見てたんだが……せれんのは、どういう)
ここで頷いてしまうのは、簡単だ。
だがそんなに決めて良いモノか?と、智彦は考えてしまう。
婚約……結婚と言えば、人生の大事な分岐点の一つ。
俺みたいなのが、せれんに釣り合うだろうか。
いやそれよりも、熾天使会に組み込まれる事になるのではないか?
勿論、人生の伴侶となる人の要望であれば、属しても構わないと思う。
……待て待て、俺はまだせれんに対し、恋愛感情が無い。
それなのに受けるのは失礼だろう。
まずは友達から……、うん、お互いを知る事が大事だ。
智彦の中で、せれんと歩む人生の妄想が始まろうとしていた。
「あ、あらあらあら~?八俣智彦?ちが、違うのよ、そんなに深く考え込まれると困るわぁ~?」
「…… …… ……ん?」
「えぇと、最初から説明するわねぇ?」
養老樹が、智彦へと慌てて先程の事を説明し始めた。
12月24日のイブの日に、養老樹グループの主催するパーティーがあると言う。
規模はかなり大きく、財界の大物達も参加するらしい。
熾天使会と《裏》も参加する……のだが、あくまで『表』としての集まり、との事だ。
婚約者のいない養老樹せれんは、毎年傍らに誰もおらず、一人で行動している。
「でねぇ、おじい様から、早く婚約者を選定しろと催促が年々凄くて…」
「……成程」
「私自身、まだまだ熾天使会の仕事に打ち込みたくて。婚約とか今の所考えられないのよぉ」
「だから、とりあえず俺を虫除けとして置いとこうという事か」
「えぇ。……そうねぇ~、お正月が終わるまでの間でいいから、お願いしたいわぁ~」
まぁそういうオチだよねと、智彦は無表情で頷く。
そちら方面の知識に疎い智彦故に、養老樹グループが日本有数の大きさという事は、上村に聞いていた。
ならば、その直系である養老樹せれんの結婚事情は、かなり面倒なのだろう、と。
「そういうのってさ、小さい頃に一方的に決められるって訳じゃないんだ?」
「お兄様やお姉様はそうなんだけどねぇ。私は『力』を持ってるから、ちょっと特殊なのよぉ」
『力』。
つまり守護天使の事なのだろう。
智彦がマッチョに目を向けると、マッチョが誇らしげに胸筋をぴくぴくと弾ませる。
「……ねぇ、なんで他人の守護天使とのコミュニケーションが成り立ってるのかしらぁ?有り得ないんだけど?」
養老樹が目を細め智彦を睨んだと思ったら、浅く溜息を吐いた。
外からの日差しが徐々に眩しくなり、時たま吹く風が、木々の枯葉を散らす。
「まぁ、そんなふざけた事を成せる貴方だからこそ、お願いしたいのよぉ」
「そういう事情なら引き受けるけど、俺でいいの?容姿は地味だし、一般人だし、釣り合わないと思うけど」
「もちろんよぉ。貴方程の男なら、誰もが納得するはずよぉ。報酬は……、後日決めましょうか」
養老樹せれんにとってイヴのパーティーは、熾天使会の繋がりを固め、広める場だ。
グループのついてのアレコレは、両親と兄姉がうまくやっているし、関わって『表』に影響を出したくないと考えている。
だからこそ、規格外の力を持ち、《裏》に恐れられる智彦であれば、そっちの分野でちょっかいを出してくる存在はいないだろう、と。
養老樹は、仮初の婚約者は智彦が適任だと考えていた。
(いつからかしらねぇ、億劫になったのは)
養老樹せれんも、女の子だ。
恋愛や結婚に興味を抱き、憧れ、夢を持って……いた。
だが近づいてくる男は全て、養老樹せれんを「養老樹グループに取り入る手段」「養老樹グループ内で力を得る方法」としか見ていなかったのだ。
加えて仕事柄、いつ命を落としてもおかしくない為、そういうモノに未来を見なくなってしまった。
(……ふふっ、だけど貴方はさっき、真剣に私との事を考えてくれてたようねぇ、八俣智彦)
少しの間ではあるが、この男性となら、楽しいパーティーになりそうだと、養老樹は目を細めた。
智彦を恐れて悪さする霊も出ないだろうし、万が一何かがあっても、この男性が解決してくれるだろうと、信頼を寄せる。
(とりわけ、《裏》が驚愕するでしょうねぇ。ふふっ、田原坂鏡花の顔が歪む様が楽しみだわぁ~!)
智彦は、《裏》にとっては喉から手が出るほど欲しい人材だ。
熾天使会でも、誰かを宛がってまで手に入れるべきだと主張する人間も出るほどだ。
今回の事で《裏》との関係にヒビが入らぬよう、あちらの上層部には前以て連絡する必要はあるだろう。
……が、あのいけ好かない田原坂鏡花には伏せておくようにお願いするくらいは許されるはずだ、と。
養老樹は、心の中でほくそ笑んだ。
「……せれん?」
「あ、あらぁ、ごめんなさいねぇ、考え事してたわぁ。衣装など準備するから当日迎えを出すわね」
「え?いや、いいよ。走ればすぐだし。ココに来ればいいのかな?」
「えぇ、14時頃までに来てくれると助かるわぁ。それじゃあ八俣智彦、よろしく頼むわぁ?」
養老樹に見送られ、智彦は病院を出る。
冷たい風が通りすぎ、空は相変わらず、遠い。
遠くで聞こえるサイレンを聞き流し、智彦は人目を確認後、建物の上へと跳躍した。
(……青春、してないよなぁ)
富田村に迷い込む前は、アイツらに裏切られるまでは、事ある事に一喜一憂し、一日が短く感じる程充実していたな、と。
智彦は屋根から屋根へと跳ねながら、思い出に浸る。
(いや、充実してないわけじゃ無いんだ)
母親とは軋轢が無くなったし、親友と呼べる友人が身近に居る。
アイドルや芸能人と、交友もある。
以前は知らなかった裏の存在とも、良い関係を築けている。
智彦の脳裏に、最近の人脈図が構築され始めた。
(例えば、羅観香さんだ)
以前なら「僕はあの夢見羅観香と仲が良いんだぞ」と、周りに自慢していたはずだ。
それだけじゃなく「僕は養老樹グループのせれんと知り合いだぞ」とも言っていただろう。
そんな特別感が恋となり、羅観香達を異性として、はたまた性的に見ていたはずだ、と。
智彦は、昔の自分を思い出し比較する。
(恋、かぁ。やっぱ解らなくなってるな、うん)
ふと、樫村直海の顔が浮かんだ。
あのような事が無かったら、あの女といずれ結婚し、子供が生まれ、家庭を持っていたのだろうか?
……考えても無意味だし、もはやそんな未来は無いと、智彦は息を吐いた。
(まぁ、生きていればいつかは……っと、着いた)
周りに人がいない事を確認し、智彦は地面へと降り立つ。
少し先にそびえたつ、ニューワンスタープロダクション。
アルバイトの身分証明書を首に下げ、智彦は歩きだした。
時間を確認しようとスマフォを出すと、ニュースが表示されるアプリが起動する。
昨夜、近くの歓楽街のはずれで若い女性が死亡した、と表示された。
智彦はそのままスマフォを仕舞い、人の流れに乗る。
ニューワンスタープロダクションは、相も変わらず賑やかだ。
今や多くの人気アイドルを輩出し、その成長は留まる所を知らない。
智彦と上村が持っている株は今やとんでもない事となっているのだが、濃い日々の連続に二人はすっかり忘れているようだ。
マスコミや出待ちの人々を一瞥し、智彦は労働者用の出入り口へと向かう。
そこで、女性の怒号が聞こえた。
「なん……!……嶺衣奈……!……して!」
普段であれば、ただの喧嘩だなと関わらないようにしただろう。
だが、知り合いの大事な存在である女性の名前が、聞こえてしまった。
どうやら、中型バスの裏から聞こえてくるようだ。
悪趣味だなと自覚するも、智彦は気配を殺し、そっと覗き込む。
そこには、見知った女性……羅観香と、長い水色の髪を揺らすゴスロリ姿の少女が、口論をしていた。
「アタシの方が!嶺衣奈を想っていたのに!」
「私もだよ。でも、あの時、恨みっこ無しって言ったよね?
「五月蠅い!アンタのせいで嶺衣奈が死んだのよ!返せ!嶺衣奈を返せぇ!」
ゴスロリ少女が、羅観香へと手を振り上げる。
眼を瞑る、羅観香。
パシン、と乾いた音が響くかと思われたその瞬間、ゴスロリ少女の手が、羅観香の頬の寸前で止まっていた。
「っ偽物めぇっ!アタシは認めない!嶺衣奈がアンタといるなんて……!アタシの方のが、本物なんだ!」
ゴスロリ少女が怒りに顔を歪ませ、走り去る。
靡く、水色の髪。
羅観香が茫然とその軌跡を追うと、智彦と……目が合った。
「あ……」
気まずい一時。
声を上げ目を逸らす羅観香に、智彦は困った顔を返す。
「ごめん、その、声が聞こえたんで……」
「……うん、そりゃ、聞こえるよね。……あはは」
羅観香は大きく息を吐き、開き直ったように笑顔を浮かべ、智彦へと相対する。
「あー……うん。えっと、話、聞いてくれるかな?」
智彦は、無言のまま頷いた。
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