樫村直海


夢を見ていた。

今では話したくも無い憎々しい男と共に過ごした、幼い日々の夢を。



夕焼けが深くなり、周りの影が色濃くなりはじめる。

虫の音はするが、人の気配は無い。

だからこそ、少女は泣いていた。



(あぁ、これ……小学生の頃、だったかな)



樫村直海は、夢を見ていた。

幼い頃の自分を、第三者として見ている奇妙な夢。


少女は涙を堪え、腫れた右足を動かし、自分が転げ落ちた土手の上を睨みつける。

そして、スポークの折れた自転車を押そうとするが、数メートル進んだ所で、あまりの痛みに蹲った。


「ふ、ふえぇぇぇぇぇ!」


少女は思わず呻き声を漏らすが、彼女の言葉を聞く者はいない。

時々、土手の上の車道に車は走るが、少女には気付かくはずがなかった。



(たしか初めて買って貰った自転車で調子に乗って、知らない場所に迷い込んで土手から転げ落ちたのよね)



樫村直海の脳裏に、おぼろげながら当時の事が思い浮かんできた。

自転車は所々曲がり使えなくなり、この後両親に怒られたんだったっけ、と。

目を細め、少女を見る。


(折れては無かったけど、痛かったよね。……この後、どうなったっけか)



「なおみ!」



樫村直海が声の方……土手の上を見上げると、あからさまに顔が歪んだ。

反対に、少女の顔はひまわりの様に、元気に笑顔が咲き誇った。


「ともくん!」


声の主……少年が、少女の下へと走って行く。

土手の急な坂で何度か転びそうになるが、歯を食いしばり、駆け寄った。



(そうだったそうだった。アイツが来たんだっけ)



八俣智彦。

今では苦手な男が、少女時代の自分を助け始める。


近くの川で濡らしたハンカチを少女の患部に当て、一人、壊れた自転車を土手へと運ぶ。

次に大粒の汗を流しながら、土手の上へと少女を背負い歩いた。


(……昔は、頼もしかったのよね。好き、だったんだろうなぁ)


思えば、八俣智彦はいつもそばに居た。

当時は恋人ではなく、幼馴染として、いつも一緒だった。

困った事があれば助けてくれたし、泣いてるとすぐに飛んで来てくれた。


幼馴染は、恋人へ。

一緒に居る事が恋人の条件と言うかのように、二人の関係はそうなっていた。


(だんだん、嫌な部分が目に入っていったのよね)


思春期に入り、樫村直海の世界は広がった。

すると、八俣智彦の『劣っている』部分が見え始めたのだ。

地味、交友関係が狭い、そして貧乏……。

確かに、優しくて誠実だった。

だがソレは男と見る際にプラスにはならず、直海の興味は、他の男子へと移って行く。


そこで出会ったのが、藤堂光樹だ。


藤堂光樹は容姿、成績、経済力と、どれをとっても八俣智彦より優れていた。

また将来性もあり、樫村直海の気持ちは、揺らいでいった。

そして、横山愛の介入もあり、一線を越えてしまう。


(その結果がコレじゃあ、ざまぁないわね、私)


正直に伝え、別れればよかったのに。

二人に唆され、背徳感を味わいたくて。

優越感に浸りたくて。

いつもそばに居てくれた人を、傷つけてしまった。


(自業自得、か)


思えば、あの村でも、八俣智彦は自分を守るように逃げていた。

不貞がバレた直後であってもだ。


幼い日から何かと助けてくれた幼馴染を。

わが身可愛さで見捨ててしまった。



夢の世界が、ぼやけ始める。

幼い頃の自分が、大好き、と。

同じく幼い頃の八俣智彦に、抱き着いていた。



目が覚めたら、またあの悪夢の中だ。

八俣智彦を裏切り見捨てた自分が、藤堂光樹と横山愛の二人に同じように裏切られ、見捨てられた。

そのお陰で、自分が如何に酷い事をしていたのか……振り返る事が出来た。



ギィィィ、と、何かが軋む音がする。

葛籠の蓋が、開いていく。

あぁ、終わったな、と樫村直海は諦めるが、微睡む彼女の目に映ったのは、見慣れた顔であった。

あの時の様に、その広い背中に、直海の体が背負われる。


(助けに、来てくれたんだ)







「ごめんね、智彦」








































「起きてるんなら下りて」


「あうっ!?」


臀部に、衝撃。

瞼裏に煌めく陽の光りを感じ、直海は目を開けた。

程よく冷えた風が、覚醒を加速させる。


「……え?ここ、どこ?」


深紅の花に囲まれた、古臭い神社。

あそこに迷い込む前は、近くの畦道に居たのにと、直海は辺りを見回す。


イワシ雲の流れる青い空。

マスコミらしき集団。

テレビでよく見る芸能人。

気まずそうに佇む、裏切り者二人。

そして……。


「ま、待って!智彦!」


直海は、去り行く背中に声を上げた。

だが、助けてくれた人は立ち止まりも振り向きもせず、そのまま遠くへと歩いて行く。



「直海、ごめんね、その、悪かったわ」

「今タクシー呼んだから、帰ろう。……すまない」


「……うん」



声をかけて来た藤堂と横山を非難したかったが、なんとか飲み込む。

自身に、目の前の二人を責める資格がないから、と。


(でも、縁を切って、智彦に許して貰わないと)


途端に体に伸し掛かる、疲労感。

直海は吐き気を覚えつつ、智彦が乗った車を、見送った。

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