吉備家
ガタン、と。
重厚な木製の玄関ドアが開いた。
生者が居ない家の中には、空き家特有のカビ臭さが無く、埃っぽくも無い。
人が住んでいないはずなのに。
そこにあるべきの寂寥感は無く、代わりに『誰かがいる暖かさ』が家中を支配し、智彦は何とも言えない気持ち悪さを抱く。
外からは、蝉の音などが聞こえる。
遠くから響くトラックの音や、上空から轟くヘリの音も、入ってくる。
窓などから入る光も、変わりなく温度がある。
だが、外の世界と隔離されたような……得体の知れない歪みを、智彦は感じていた。
「綺麗にしてあるね」
「入居者の入れ替わりが激しいですからな、その度、叔父が掃除してるそうですぞ」
霊が音を立てる中で掃除など、かなり苦痛だろう。
上村の叔父にある種の尊敬を抱き、智彦は靴を脱いだ。
「お邪魔しますよ、っと」
「……懐かしいなぁ。ホント、懐かしいなぁ」
智彦と上村の後ろから、刑事二人も追従する。
能登刑事は涙をじんわり浮かべ、感傷気味に呟いた。
上村の叔父から鍵を借り、「幽霊が生活する家」と言われる事故物件を見学する予定であった智彦。
すると、敷地内の入り口で、先日の刑事二人と偶然にも再会する。
二人が何故ここにいるかを尋ねると、以下の事が解った。
能登刑事は、この家に住んでいた娘さんと親友で。
若本刑事は、事件当時、この家を捜査した事がある。
それを聞き、智彦は「一緒に見ますか?」と何気なく提案。
刑事二人はそれに食いつき、今に至る。
「ホントだ、居るね」
「と言うか、モロで聞こえますぞ」
タン、タン、タンと。
二階や家の奥から、足音が聞こえた。
智彦と上村、あと若本刑事はぼんやりと音を聞いている。
ただ一人、能登刑事だけが、顔を引きつらせていた。
「なンだ、能登。怖えぇのかよ。音がするのは知ってただろうに」
「いや、実際目の当たりにするとやっぱり。若本さんはよく平気ですね」
「ンー……、捜査していた当時からこンなだったからな」
智彦を先頭に、フローリングの床を進む。
最初に出た所は、リビングだった。
備え付けられていた家具なのか、まだ綺麗なソファーとテーブルが置いてある。
「……なんか、居るような気がしますぞ」
「紗季さんの影響受けてるのかな?謙介にも解るんだね」
外から響く蝉の音が、急に遠く感じるようになった。
パラリパラリと、室内に本を捲る音が響く。
勿論、本など、ましてやその持ち主など存在しない。
だが、そうしているように、音だけは聞こえるのだ。
「大学生くらいの女性、かな。ソファーに座ってファッション雑誌を読」
「ちょっと待って!貴方、視えるの!?ど、どんな女性!?」
智彦の抑揚のない声に、能登刑事が反応した。
まるで噛みつかんばかりに、智彦へと顔を接近させ、濃紺の髪を揺らす。
「茶色いベリーショート。右耳に、紫色の宝石のピアスをしてます」
智彦が女性の霊に触れ、霊力を流す。
すると、ぼんやりと人の形が象られ、智彦の言ったような外見の女性へと彩られた。
「……駿河!」
弾かれたように、能登刑事がソファーへと手を伸ばす。
が、当然のように伸ばした手は空を切り、また、駿河と呼ばれた女性の霊も、反応が無い。
「自我が無いので無理です。彼女達は、ただ、霊となってもここでの生活に執着しているだけですから……多分」
智彦が女性の霊から手を放すと、霧が晴れるように消えていく。
再び、音だけが響くだけとなった。
対話による共存は無理か、と。
智彦は今後どうするか悩み始める。
「驚いたな、本物の霊、なンだよな?」
「そう思って頂ければ」
流石に驚いたのか、若本刑事が目を見開いた。
霊を見た事は数回はあるが、このように人為的にされたのは初めてだったからだ。
智彦の異常さを目の当たりにして、成程『異捜』が気にかけるはずだと納得する。
いずれスカウトされ、同じ現場で働く未来もある可能性を感じ、若本刑事の中で智彦への感情が軟化した。
「ううむ、不思議ですぞ。その霊が持ってる本も、霊って事なんですかな?」
「あー……あまり深くは考えない方がいいよ。服も同じでしょ?」
「ま、まぁそう言われれば……、刑事さん、大丈夫ですかな?」
男三人で話している中、能登刑事は失意の中にあった。
霊ではあるが死んだはずの親友と再会したにも関わらず、相手が無反応であったからだ。
「酷いよ、あんまり、だよ……、ねぇ君、何とかならないかしら…?」
「残念ながら、ただ、特定の行動や言葉に反応する事はあります」
反応と言っても、言葉を投げてくるなどでは無い。
ただ、視線が動くなどの、本当に小さな変化だ。
だがそれでもと、智彦により可視化した吉備駿河の霊に、能登刑事は話しかける。
「ねぇ駿河、覚えてる?最初の出会いは高校のワンゲル部だったよね……」
その後も、能登刑事の話は続く。
登山部で見知った事。
好きなアイドルグループが同じで、仲良くなった事。
登山好きな吉備一家が遭難した時に、一人で探しに行った事。
それが原因で、色んな人に怒られらた事。
新築の吉備家に遊びに来て、一緒に寝た事。
警察官になる事を、危ないからと必死に止められた事。
それでも、親交が続いた事。
最近では刑事の仕事について尋ねる事が増え、興味を抱いてくれたと嬉しくなった事。
……男三人が見守る中、能登刑事は考えつく限り、吉備駿河との思い出を語る。
だが……、吉備駿河の霊は、小さな反応も示さなかった。
「なんでよ!私達、親友じゃなかったの……!?」
「多分なんですが、この女性達の霊は、ここで生活する、って執着を持ってるんだと思うんです」
「……確かに、おじさんもおばさんも、全員、幸せそうに過ごしてた。新築だったし」
「なら、刑事さんとの思い出より、執着している事の方が大事、なんでしょうね」
「そんな……」
能登刑事は涙を流し、床へと膝をついた。
理解はできるが、納得はできない、という様相だ。
「……少年、俺達は別の部屋を見回ろうか」
「……ですぞ」
今は一人にしておこう、と言う事で、男三人は、それぞれの部屋を回り出した。
ついでに若本刑事の要望で、他の家族二人の霊の姿も確認していく。
「驚いた、本当に、まるで生きているように生活しているンだな」
若本刑事の驚き通り、この一家は極めて普通に、生活をしているだけだ。
死んでからそれを、ずっとずっと繰り返しているのだ。
「これじゃあ、家を壊そうとする存在は許せないでしょうな」
「その件は聞いてるな。死人は出ていないが、工事関係者が大量に入院したそうだ」
「幸せを壊そうとする者には容赦ない、か」
二階を一通り見終わり、三人は階段を降り始める。
生きてる人間四人と、霊の三人の足音が混じり、ちょっとした大家族な騒々しさだ。
「……今日はありがとうな少年、これでアイツも吹っ切れるだろう」
「もしかして毎日来てたりします?」
「ほぼ、な」
若本刑事の言葉に智彦と上村は、苦笑いを浮かべた。
その様子を見て、若本は静かに笑う。
「それだけ、アイツの中では特別だったンだろうさ、ココの家族は」
「ふむ?それならば、ココを借りるか買えば良かったのに、そうすれば叔父も喜んだはずですぞ」
「あー、そういう事しようとしてたンだがな。懐具合で諦めたそうだ」
刑事が公務員で高給取りでしょうに。
智彦がそう口を開きかけると、8畳ほどの和室で、能登刑事が顔を青ざめていた。
「……あ、若本さん」
「どうした能登。……体調が悪いのか?」
「い、いえ。ここで一緒に寝たなぁ、って来たんですが、寒気が」
土気色を通り越した、死人の様な様相。
若本刑事が駆け寄り和室に足を踏み入れた瞬間、顔を歪め唸った。
「な、なンだこの気持ち悪さ!」
気付くと、外から差し込む陽の光りが弱くなっていた。
夜の一歩手前で、室内が陰り始める。
「……猛烈嫌な予感がしますぞ、なんですかな、コレは」
「黒い霊力、いや、瘴気、が淀んでるね。……あれ?誰かいる」
智彦から見ると、靄がかかったよう和室内。
その中央に吉備一家以外の霊を認め、近付いて霊力を流す。
現れたのは、20代半ばの、精悍な顔つきをした男性だ。
目を瞑り、体を弛緩させ、呼吸をしている。
「おいおい、どうなってやがる!」
「野洲……黒徳……!」
それは、吉備一家を殺害したとされ、今もなお意識不明の状態で、病院のベッドに居る。
野洲黒徳の、霊体だった。
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