諦めていたからこそ
昼休み。
静かながらも午前中の授業が終わった智彦は、上村と一緒に屋上で昼食をとっていた。
9月とは言え、まだまだ外気は夏。
貯水タンクの陰となっている地面に座り、智彦は礼を言いながら、上村へとタブレットを返す。
智彦のクラスにはいなかったが、何故か転校生が、クラスや学年は違うものの合計10人ほど入って来たらしい。
最初はその話題で談笑していたが、ふと、智彦の陰りのある表情を見て、上村が呟いた。
「しかし、近所関係が心配ですな」
鮭フレークで「LOVE」と書かれた手作り弁当を一旦置き、上村は沈痛な顔で呟く。
上村の言う通り、まだ智彦の耳には入っていなかったが、八俣宅の近所では、嘘の噂が広がっているだろう。
智彦の母親は信じてくれてるが、その心労は計り知れない。
一応ではあるが、噂の真偽と出どころ、あとは無実だと、母親にメールは送っている。
「……引越しには、ちょうど良い機会、かもなぁ」
噂の真偽などに関わらず、近所の人達は今後智彦を色眼鏡で見てくるだろう。
逃げるような形となるが、あの場所から離れる理由が、出来た。
問題は金だが、鏡花もしくは養老樹に良い仕事が無いか聞いてみよう。
今まで他の為に使った大金は惜しくは無いが、次回からは半分は取っておこう、と智彦は考える。
「ふむ、でしたら自分が力になれますぞ」
家はどうやって探せばいいんだろう、と悩む智彦に、上村が財布から長方形の紙を取り出した。
見ると『スグスミ株式会社 上村介清』と書かれた名刺。
「自分の叔父ですが、不動産をやってましてな。良ければ放課後、一緒に行きますかな?」
「助かるよ、謙介。なんかお世話になりっぱなしでごめん」
「いやいや、それはお互い様ですぞ。じゃあ自分は叔父と、えと、紗季氏に連絡するので、放課後に」
「うん、帰り遅くなると怖そうだからね、紗季さん」
弁当を食べ終えると同時に、上村は教室へと戻って行った。
智彦が時計を見ると、昼休みはまだ20分ほど残っている。
少し横になるかと弁当箱を鞄へ収めようとすると、もはや見慣れた本が先客としてそこに居た。
「ありゃ、いつの間に。天恵女学院と比べると数が少ないでしょう、図書館」
『あそこはある意味特殊であったからな。だが、ラノベが置いてある図書館とは珍しい』
「最近は多いみたいですよ。……改めて、先ほどは止めてくれて有難う御座いました」
『気にするな。しかし、君は本当に、この脆弱なる社会の枠組みでは生き辛そうだな』
「はははっ……、まぁ、それでもこの日常が楽しいですよ、生きてて良かったと思えます」
『であれば、それを壊さぬよう以後気を付け給え。君に何かあると我も困るからな』
アガレスの言葉に、智彦は感謝を込めて頷く。
もし彼を連れてきていなければ、間違いなくあの二人を殺していた。
相手がどんなクズであろうと、殺してしまえば犯罪者だ。
結果、母親を悲しませてしまうだろうな、と智彦は鞄を閉める。
(……そういえば、明確な目標持ってないなぁ、俺)
頭上に広がる蒼をぼんやり見つめ、智彦はあの地獄を思い出す。
この青空を二度と拝めないと絶望していた日々。
相手を殺す事でしか、自分の位置を見いだせなかった日々。
とにかく、生き抜く事、生きて帰る事だけが、全てだった。
結果的に生還する事はできたが、母親の事を抜きにして、俺は何をやりたいのだろう、と。
手に入れたこの力で、俺は何ができるのだろう、と。
地面へと大の字になる、智彦。
いや、力があれば何だって出来る。
出来るのだが、あまりにも漠然としてて、よく解らないのだ。
(……まぁ、将来の事はまだいいか)
先ほど、アガレスへと語った事を、反芻する。
ただこの日常を過ごし、生きている事を実感する。
二度と手に入らないだろうと諦めていた、安寧。
当面はそれでいいじゃないか、と。
智彦は、チャイムが鳴るまで、流れる雲を見ていた。
そして、放課後。
智彦は鞄へ教科書を詰めていた。
その様子を、もはや数が少なくなっているクラスメイトが、何か言いたげに見つめている。
ちなみに多くの生徒は体調不良としてだが、藤堂と直海、須藤を含む取り巻きは感染性胃腸炎という名目で、逃げ出したようだ。
待ち合わせ場所である玄関で、上村を待つ智彦。
その間にも敵意を含む視線が、智彦に突き刺さる。
……のだが、当の本人は全く気にしていないようだ。
(嘘をこうも皆を信じさせる力と才能があれば、別の方面に使えばいいのに勿体ないな)
自身のクラスメートだけでなく、こうも学校中へと悪意をばら蒔く。
その労力をもっと別のに使えなかったんだろうか。
広告業とか、そう言う方面に生かせばいいのにと、智彦は内心可笑しくなる。
「八俣氏、すみませぬー!叔父は今日は忙しいとの事で、無理ですな」
「ありゃ、それじゃあ仕方ないね」
「その代わり、明日でしたら大丈夫との事ですぞ」
物件にもよるだろうが、いくらぐらいで借りる事が出来るのか。
大体いくら程予算を考えればいいのか。
智彦は、不安と期待から、つい早口で上村へと矢継ぎ早に質問する。
「ははは、心配する必要はありませんぞ。両親同様、叔父も八俣氏に感謝しておりますからな」
「ぇ、何かした……あぁ、もしかして紗季さんの件?」
「まぁ、それを含めて、ですな」
口裂け女の一件は怪異が関わってると言う事で、普通には処理されなかった。
暴漢に襲われている紗季を。
上村が庇い。
智彦がそれを助け。
上村と紗季が結ばれた。
そんな風に、物語が作られ処理されたそうだ。
この時点で、《裏》や熾天使会は警察関係にも影響力はあるのだな、と。
いや、もしかしたら、持ちつ持たれつなのかも知れない、と。
智彦と上村は、なんとなく察した。
「そんなわけで、流石にタダは無理ですが、いくつか見繕った上に勉強させて貰う、との事でしたぞ」
「助かるよ、謙介。今日、母さんに相談してみる」
「ですな!では自分はここで。また明日会いましょうぞー!」
上村と別れ、智彦も帰路へとつく。
母親をどう説得しようか、いや、まずは先立つものが必要か。
とりあえず、駄菓子屋のバイト代を引き出して……。
家の前に佇む2つの影に気付き、智彦は思考を中断した。
灰色のスーツの、中年男性。
藍色のスーツの、女性。
敵意は感じない為、智彦はそのまま進む。
すると、道を塞ぐように、男女が智彦へと話しかけて来た。
「すみませン、ちょっといいですかね?」
「八俣智彦さん、ですか?」
男が手帳を取り出し、智彦へと見せた。
何となくそんな予感はしていたが、やはりかと。
刑事ドラマに紛れ込んだみたいだなと思いながら冷静に、智彦は男女へと言葉を向ける。
男の方は、若本。
女の方は、能登、と言うそうだ。
「そうですが。刑事さんが何の御用でしょうか?」
さて、どの件についてだろうか。
ハイエナの事だろうか。
あのお婆さんの事か、それともお爺さんの事だろうか。
もしかして、子安神父……か、先日の口裂け女の時に殴った男の事か?
それか、法定速度以上の速さで道路を走った事だろうか。
いや、案外本を返却した時に、天恵学院に無断侵入した事の可能性も。
「樫村直海さんの件で、少し聞きたい事があるンですけども」
「あぁ、アイツの事ですか」
強姦したという嘘の噂が、こんなとこまで。
智彦は、心底ウンザリした。
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