愚者


「おはよう」


クラスが違う上村と別れ、智彦は自分の教室へと入る。

状況が状況なので、挨拶は期待していなかった。


やはり、と言うか。

クラス全員が、敵意を持って智彦を睨んで来た。

中にはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる連中もいる。


とは言え、向けられるのは殺気では無い。

当たり障りの無い敵意だけだ、と、智彦は涼しい顔だ。


「お、おはよう、八俣」

「……おはよう、横山、さん」


智彦へ、複雑そうな表情をした横山が挨拶して来た。

無視する事もできたが、挨拶してきたのならば返すべき、と変な義務感で挨拶を返す。

今後余計な事しないで欲しいと一言忠告しようとするも、ここでは逆効果となると考え、智彦は何とか言葉を引っ込めた。


ソレを見ていた藤堂と直海は、一瞬顔を歪めるも、すぐさま智彦を嘲笑。

周りには取り巻きもいて、同様に智彦を嘲笑う視線を放っている。


(はぁ、ここまでやるかなぁ)


智彦は、ため息をはきながら自身の机を見つめた。

「死ね」「浮気野郎」「クズ」などの罵詈雑言が油性マジックでかかれ、しかも彫刻刀で「強姦魔」と彫られていた。

こんなに画数が多い漢字を彫るのは大変だっただろう、とある種の感嘆を覚える智彦。


「おいおい、犯罪者が来たぜー」


そう、大声を上げるのは、藤堂の取り巻きの一人、須藤だ。

ボクシング部で図体が良く、以前より智彦の事を苛めている節があった。

今思えば、藤堂も止めない事多かったよなぁ、と智彦は須藤に醒めた目を向ける。

何かを言おうとする横山を視線で制し、上村から借りたタブレットを取り出した。


「学校の物にこんな事する君達が犯罪者なんだけど?」

「へへへ、今度は人を疑いだしたぜ!怖い怖」

「いや、君達がやったって証拠はあるんだ」


タブレットを操作し、動画を流す。

この教室、しかも智彦の机を撮しこんだカメラ映像だ。

上村が念の為と掃除用具入れの上へと設置したものであったが、残念ながら映ってしまっていた。

……須藤達が、智彦の机に悪意を放つ場面が。


「なっ!?と、盗撮だ!」

「防犯だよ、どっちでも良いけど。それよりこれじゃ勉強できない。君の机と交換するね」

「んだよ八俣、強気じゃねーか!夏休みデビューって奴か?」


智彦は、須藤の言葉と周りの嘲笑を流す。

一瞥もせず、須藤の机に近づき、交換する為に中身を取り出し始めた。

が、イラついた須藤が他の生徒を押しやり、智彦へと手を伸ばす。


「クソがっ!無視すんじゃねーんがぁ!?」


敵対者に遠慮は無用、と地獄の生活で学んだ智彦なりの教訓。

須藤の手を智彦は素早く掴み、後ろへと捻り上げ、そのまま床へと押し倒した。

ギリギリと須藤の腕が絞まり、悲痛な声を上げ始める。


「いだだだだだだっ!でめぇ!ぐぞがぁ!い、っだぁ!おい!止めぶえぇ!?」


周りの生徒は、驚くばかりだ。

須藤はボクシング部であるため、力が強く、荒事にも慣れている。

そんな彼が、全く微動も出来ないのだ。


「やべ、でぇぇぇ!んごおおおおお!いだ!折れる!いだいよぉ!も、う!やめで!」


そしてその強さを知っている藤堂達も、目の前の異常事態に唖然とするばかりだった。

藤堂の庇護下、その力で多くの人間を痛めつけてた巨漢が、涙を流し泣き言を零しているのだ。



「痛いよぉ!やべ、でぇ!う、うえぇぇぇぇえ!いだぁあい!やめでぇぇぇ!」

「折れない様に手加減難しいな。……ほら、机交換してよ。そうしないと彼はこのままだよ」


智彦が藤堂と他の取り巻きへと視線を向け、淡々と言葉を放つ。

藤堂はプライドから動こうとはしなかったが、須藤を見かねた他の取り巻きと横山が、智彦と須藤の机を交換。


実に3分未満の出来事であったが、関節技を決められていた須藤にはとても長い時間だっただろう。

解放された今でも、涙を浮かべ延々と嗚咽を漏らしている。


だが、智彦の行動は、悪手であった。

この時、クラス全員が、智彦を『ヤバい奴』だと認識してしまう。

『強姦くらいするかも知れない』と、思ってしまったのだ。


そんな空気の流れを、直海は肌で感じ取り、厭らしい笑みを浮かべる。

直海は、バカではないが、愚かだ。

智彦の強さを見て、もしかしたら自身にあの力を使うのでは?と怯えてしまっていた。

だからこそ、この空気の中で一矢報いようと、口を滑らせてしまったのだ。




「私を犯しただけじゃなく、須藤君に暴力まで振るって。……貴方のお母さんが悲しむわね、智彦」




机の下に鼻くそは付いていないか確認している智彦の動きが、止まった。

これは効いてると、直海とその横の藤堂が唇を歪める。


「っ!直海!何でそんな事!ち、違うよ皆!八俣はそんな事してないから!」


「チッ!愛、お前どっちの味方なんだよ!てか、なんでそんなあいつを庇うんだよ」

「ねぇ、本当に何か脅されてるんじゃない?愛、ずっとそんな感じでおかし……え?」


いつの間にか、直海の前に智彦が居た。

智彦を睨んでいた生徒達も、まるで場面がぶつ切りになったかのような状況に驚愕している。



「あぁ、そうか。直海が、……お前がそういう嘘の噂をばら撒いたのか」



とても、静かな声。

智彦は、今朝の母親の言葉を思い出す。

恐らくだが、近所では『八俣さん家の息子が、樫村さん家の娘さんを……』な噂が広がっている。

故に、母親はあのような事を言ったのだろう。

信じてくれている嬉しさはあるが、母親が近所から受けている仕打ちを思うと、智彦は目の前の肉を許せそうに無かった。


(殺そう)


智彦が、直海の頭蓋へと右手を伸ばした。

ついでにと、左手を藤堂の首へ。

膨れ上がる、深い殺気。


「……ぁ」

「……ぇ」


直海の頭が潰され、緋色と白が混ざった内容物が床に散らばる。

藤堂の首が容易く手折られ、頭を失った胴体の四肢が、座ったままぴくぴくと上下に動く。


……教室内の色濃く膨れた殺気は、直海と藤堂の死を、全員に幻視させた。


そしてソレが実行されようとした瞬間。

智彦の鞄がバヂリと光り、智彦の呻き声と共に殺気が弱まる。



「危なかった。……ありがとう、アガレス」



何事も無かったように、智彦は教室を出て行き、図書館へと向かう。


後に残されたのは、放心した直海と藤堂。

その下半身からは、茶色く濁った液体が湯気を上げ、悪臭を放ちながら床へと広がっていく。



結局その日はクラスの大半が体調不良を訴え、早退。

智彦のクラスだけ、静かであった。

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