新学期


智彦の学校では、今日から2学期が始まる。


夏休み前であれば、少し早めに家を出て、直海を誘い一緒に登校するのが習慣であった。

だが、あのような事が起き、その必要性も無くなる。

代わりに上村を誘うかと、智彦は夏休み前よりゆったりと準備をしていた。


「ねぇ、智彦。もしかして直海ちゃんと……」

「うん、別れた」


ご飯に茶漬けの素を乗せ、お湯を注ごうとする智彦に、母親が尋ねてくる。

智彦はなんとか不機嫌さを押さえ込み、できるだけ素っ気無く答えた。


「そう……」

「……?どうかしたの?」

「いえ、なんでもないのよ。母さんは智彦を信じてるからね?」

「う、うん?」


母親からの要領を得ない言葉。

智彦は首を傾げるが、いずれ説明してくれるだろうと、登校の準備をする。

途中、悪魔が本の状態のまま話しかけて来た。


「智彦よ、どうだ?我を学校へと持っていかぬか?」

「……図書館の本が読みたいんですか?」


今のところ、悪魔は本を読む欲求だけで生活をしている。

だがそれは、広く浅く、だ。

電子書籍で色々と読み漁ってはいるが、紙媒体の本が懐かしくなったのだろう。

智彦の言葉に、アガレスは本を振るわせた。


「頼む。図書室に我を置いて、放課後に回収してくれれば良い」

「別に良いですが、母を守る憑代は完成したんですか?」

「あぁ、それは安心してよい。わが分身が、常に君の母君を守っているさ」


悪魔ではあるが、このアガレスは嘘はつかないだろう。

智彦は妙な信頼より、悪魔を学校へと連れて行くことにした。


学校までの距離はそれなりだ。

本気で走ればあっという間に到着するが、智彦は登下校と言う日常を懐かしむため、あえて普通に歩く。


(また、学校に通えるなんてなぁ)


富田村で過ごした、一年間。

一瞬ではあったが、学校を懐かしく思った事もあった、と智彦は目を細める。

実際は藤堂達の言葉を真に受けた敵だらけだろうが、それでもやはり嬉しい様だ。


途中で出会うクラスメートからは嫌悪感を露にした視線を向けられるが、何処吹く風。

むしろ睨み返して気絶させれば面白いかもな、と智彦は上村の家のインターホンを押す。


「……はい」


少しの間を置き、鈴が鳴るような声と共に玄関のドアが開いた。

現れたのは、ひよこの絵柄が可愛いエプロンを着た、元口裂け女の紗季だ。

上村が退院した後に追うように彼の家へと転がり込み、いまや押し掛け女となっている。

なお、左右の家には《裏》と熾天使会の監視員が引越しして、二人を観察しているようだ。


「おはようございます、紗季さん」

「おはよう。……謙ちゃん、八俣が来た」

「おお、八俣氏、おはようですぞ!っと、荷物荷物」


学生鞄の他、ナップサックを持ち、上村が現れた。

あの後、上村は紗季が口裂け女だと知り、ソレを踏まえて彼女を受け入れた。

極めて短い間ではあるが、紗季との生活にはすっかり慣れたみたいだ。


「では、行って来ますぞ!……なんですかな、紗季氏」

「……行ってきますの、チュウ」

「いや、それは流石に」

「チュウ」


察しと思いやり。

智彦は二人へと背を向け、玄関から距離をとった。

背後から聞こえる初々しい音。

その後、顔を赤らめた上村は紗季に見送られる。


「いやいや、お恥ずかしい所を」

「謙介が幸せそうで良かった、でもオタク趣味は大丈夫?」

「彼女が言うには『所詮二次元、三次元には勝てない』と許容してくれてますな」

「強い……」


ところで、と。

上村がナップサックから、布袋とタブレットを取り出し、智彦へと渡してきた。


「ん?何これ……上履き?」


智彦が布袋を開けると、学校指定の上履き。

そしてタブレットを見ると、ある映像が流れ始める。

智彦は無表情となり、その横で上村は辛そうな顔を浮かべた。


「自分には止める事はできぬので、この位しか……」

「いや、十分だよ。ありがとう、謙介。コレ、借りてていいかな?」

「無論そのつもりですぞ、……役立てて下され」


二人並んで、校門をくぐる。

クラスだけではなく、同学年からの視線が遠慮なく突き刺さるようになった。

しかもわざと聞こえるように、智彦の悪口を囁き合う。


「よほど酷い事書かれてるんだろうね、僕の事」

「言いづらいですが、話が大げさになって、元カノ氏を、その、強姦したような事が」

「酷いな、まだ童貞なのに」

「あぁ、でも、横山氏は何故か八俣氏を庇ってますぞ」

「それ、逆効果なのになぁ……」

「仰るとおり、八俣氏に何か弱みを握られてるのでは、な愚考をされてますな」


智彦は内心憂鬱になるも、そこまで悲観的にはなっていなかった。


学校と言うのは、小さなコミュニティーと言うよりは、牢獄だ

以前の自分ならば、耐えられず命を投げていただろう。


だが、今の智彦は、多くの選択肢を選ぶ事が出来る。

別に、牢獄の中に合わせる必要は無いのだ。


母親の願いは、高校を卒業する事。

学業の妨げになるならば、別にこの高校で無くても良い。

退学して金を貯め、その後にまた学ぶ事だってできる。


「あー……、そうか。こういう事か。本当にありがとう、謙介」

「何の何の、多分やるだろうな、と予想はついたので」


智彦が下駄箱を開けると、そこにはカッターでズタズタにされた上履きが、ゴミと一緒に飾られていた。

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