田原坂鏡花は、頭を抱えていた。


クチサケ捜索中に、智彦からかかってきた電話。

クチサケを倒したのかと思いきや、倒すどころか保護したという内容。

しかも、治療としてあの養老樹せれんの病院へと連れて行った、と。


とりあえず自分のいる繁華街の廃ビルへと智彦を呼び、事情聴収。

すると、今度は武闘派で名を馳せる縣家の長男、縣日向を倒したという。


「流石に今回はやり過ぎたと思ってて。……その、やっぱそっちとしてもアウト、かなぁ?」


珍しく弱気を見せる智彦へ、鏡花は強気に出る事をなんとか自制する。

縣家の長男の件は、どうでも良かった。

むしろ縣家の地位を落とす材料となるだろうから、万々歳だ。


問題は、クチサケだ。


「八俣君、今回のは私の一存じゃ、無理。熾天使会も関わっちゃったし」

「……だよねぇ」

「上に報告だけはするけど、でも、コレだけは覚えてて欲しいかな」


智彦が鏡花の手招きについて行くと、廃ビルの外へと出る。

少し歩くと、夜とは思えない程の光量と人混みが、二人を襲った。


「汚い事もまぁしてるけどさ。基本的に、私達はこういう、人々の生活、ってのを怪異などから守ってるの」


まぁその一般人であった智彦を殺し、埋めようとした事もあった。

だから私も強く言えないな、と思いながら鏡花は言葉を続ける。


「妖、怪異、怨霊に、良いか悪いかなんて無い。存在すれば消す、だけなのよ」


鏡花の言葉に、智彦は同意した。

富田村では、話が通じる存在なんて無かった。

ただ、敵であり。

ただ、命を奪い合う存在であった。


だからこそ、だ。


「俺は、友人が助けたあの口裂け女を、信じてみようと思っています」


羅観香を見守る、嶺衣奈の霊。

一人の人間の生を願った、悪魔。

世の中には、必ずしも敵とはならない存在がいる。

あの口裂け女も、人間と共生する選択肢を取ってくれるのでは、と。

智彦は願うのだ。


「……もし、人間に牙をむいたら、貴方が責任もって『処理』できる?」

「その時は、凄絶に」


智彦の顔に張り付いた笑顔に、鏡花は身震いした。

この男がそう言うのなら、確実にやるだろう。

あとは《裏》が、どう思いどう対応するか、だ。


だが出来れば、敵対はしたくないな、と。

鏡花は智彦を見送った後に、ポケットから通話状態のスマフォを取り出した。


「……てな訳なんだけど、お姉さま。どうしようか」

『なんや興味深い話やなぁ、うちはしばらく様子を見たい思う』

「じゃあ、上を説得してよね」

『勿論どす。今回のはうちらにもメリットがあるんやさかい』


鏡花の姉が言う、メリット。

まずは、クチサケという怪異がそのまま生存し続ければ、新しいクチサケが生まれないかも知れない事。

次に、怪異と和解、もしくは共存する為のマニュアル化が可能になるかも知れない事。

最後に、怪異と人間との間に、子が成せるかの確認。


それを聞き、鏡花はなるほどと考える。

智彦という存在を見ていると信じられなくなるが、本来、怪異という存在は強大な力を持つ。

それ故に、《裏》の人間の死亡率は意外と、いや、かなり高い。

もし、今回ので姉が言った事が実証されれば、消耗が抑えられるだろう。


まぁ最後のは、絶対に好奇心からだよな、と。

鏡花は再び、繁華街の闇へと消えて行った。






翌日。


智彦は朝一で、上村の見舞いへと駆け付けた。

まだ蝉も泣いておらず、昼間の酷暑が信じられぬほどの、静かな涼しさ。


受付のスタッフには、養老樹から指示があったのだろう。

時間外にも拘らず、智彦はすんなり中へと通される。


シャワー室付きの一等級の病室。

その中央に鎮座するベッドで、上村は寝息を立てていた。


(良かった、特に異常はないみたいだな)


あれだけ腫れて血が滲んでいた傷も、今やうっすらと見えるだけだ。

上質な治療をしてくれた養老樹に感謝しながら、智彦は鞄からリンゴを取り出し、皮を剥きだした。



「……知らない天井ですぞ」

「なんでうれしそうなの……、おはよう、謙介」

「おはようですぞ。……今回は迷惑をかけて、申し訳ない」

「迷惑だなんて思ってないさ、とりあえずおじさん達に電話しなよ」


上村は家庭の事情で、一人暮らしだ。

とは言え親子関係は悪いどころか良い方なので、今回の件を報告する様、智彦は促す。

病室内には外部に伝わる電話がある。

上村は淀みなく動き、受話器を取った。


と、そこで病室の外が騒がしい事に、智彦は気付く。

何事かと廊下に出ようとすると、病室のドアが鋭く開いた。


「…… ……ぁ ……見つけた」


窓から差し込む朝日を背に現れたのは、黒く長い髪と白い肌のコントラストが映える、美女。

美女は上村を視認すると、青い手術着のまま部屋へと入り、彼の背後へと跳躍。

そのまま、後ろから抱きしめる。


「うぉっ!?な、何?ぇ、誰、って、お姉さん?口もちゃんと治ったんですな、良かった!……てか治るの早すぎませんかな?」


驚いた上村だが、あの時の女性だと解ると、笑顔を零す。

女性……口裂け女の耳元まで裂けていた口は今や消え、普通の口へと戻っていた。

そこには手術跡すらなく、白い肌が上塗りされている。

よって、今の彼女の見た目は、長身で出るところが出てる美人さん、となっている。


一日未満で、回復というか整形された異常さ。

それは怪異特有のモノなのか、養老樹が頑張ったのか、智彦は判断が出来なかった。


だが、何故か真顔の美女に抱きしめられ慌てる親友の姿を見て、どっちでもいいやと笑みを浮かべる。


『どうした謙介?友達か?』

「あぁ、おやじ。いや、今言ってた女の人が病室に」


電話の相手が上村の父親だと解ると、美女は受話器へと顔を近づけた。


「初めまして……お義父様、……この人の妻です」

「うぇええええええええええ?ちょ、お姉さん!?」

『おい謙介!今の誰だ!どういう事だ!?』


生命の危機の際に庇われ、助けられる。

王道ではあるが、どうやら口裂け女は上村へと良い感情を持ったようだ。

上村の気持ちにもよるが、このままくっついても良いかもなぁと、智彦は遠い目をする。

裏切られはしたが、恋愛をしていた頃は確かに幸せを感じていた。

だが、口裂け女があのクズのように親友を裏切るならば、苦しめて殺そうと。

遠い目をしたまま、智彦は決意する。


(あぁ、でも問題が一つあるか)


果たして彼女が、上村のオタク趣味に理解があるか。

それだけが只々不安になって行く智彦であった。



「怪異と人間の恋愛、昔話によくあるけど、まさか実際に見れるとは思わなかったわぁ」

「せれん、今回は本当にありがとうね」


慌てるスタッフを制し、金色の髪を弾ませながら、養老樹が胸筋をピクピク動かす守護天使を横に病室へと入ってきた。

人形の様な顔が疲れで歪み、ほんのりと汗臭さが漂ってくる。


「あらぁ、気にしないでいいわよ八俣智彦。今回の件は、医療スタッフに貴重な経験となった。逆に感謝してるわぁ」

「そう?なら良かった」

「通常なら、あの様に口は治らなかったでしょうねぇ。怪異特有のアイデンティティすら捨て去るほど、雄に固執した。信じられない位よ」

「雄って……。でもまぁ、謙介とがダメでも、彼女には幸せになって欲しい、かな」

「えぇ、本当に。怪異と人が、絆を作る。貴方達は怪異との関係性に新しい道を作り見せてくれた、誇っていいわよぉ」


二人が見つめる先には、必死に上村へとしがみ付く口裂け女と、満更でもなさそうな上村の姿。

ふと、口裂け女の動きが止まった。

何事かと、智彦は耳を澄ませる。


『どうした謙介?彼女の名前を教えてくれないか?』

「いや、うん、それなんだけど……」


上村が、口裂け女に困ったような視線を向ける。

だが、口裂け女は戸惑い、俯くだけだ。


それはそうだ。

口裂け女は、結局は口裂け女。

名前など、無いはずだ。


「紗季、よ」


養老樹が立ち上がり、懐から長方形のカードを取り出した。

口々くちぐち 紗季」と書かれ、口裂け女の綺麗な顔が載った、免許証。


なんとまぁ準備が良い事だ、と智彦は苦笑を浮かべた。。

多分ではなくとも偽造だろうが、この様なアフターサービスをしてくれる養老樹へ、智彦は只々感謝する。


「紗季……、私は、紗季。……口々、紗季、です」

「……だ、そうだ、おやじ。いや、まだ彼女とかじゃなくて」

「そう、彼女じゃない。……妻」

「えぇ!?いや、そもそも、自分はお姉さんの事を詳しく……」


急に騒がしくなった室内。

智彦と養老樹は、静かに廊下へと出た。


いつの間にか陽は高く昇っており、蝉の音が熱気を伝えてくる。

養老樹が手招きし、隣の空いた病室へと智彦を誘った。


「八俣智彦、このまま今回の件はハッピーエンド……って思うかしらぁ?」

「思いたいけど、そうじゃないんだよね?……《裏》にしたら、彼女は消すべき存在、か」

「あらぁ、解ってるじゃない?と言っても、『在り方』を得た彼女を制するのは、難しいでしょうね」


どうやら口裂け女は、自分の在り方で悩んでいた可能性があるらしい。

それにより、身体能力に揺らぎが生まれ、傷を負った。

だが今回の件で、彼女は在り方を取得し、それが定着。

最早怪異として、相応の力を身に付けている……と、養老樹は智彦へと説明した。


先程の様子を見て解るように、口裂け女……紗季は、謙介へと執着している。

当分は養老樹が面倒を見て、経過を観察するとの事。

何事も無ければ、それで良い。

何事も、無ければ、だ。


「……言いたい事は解るよ、せれん。鏡花さんにも言われた」

「えぇ、彼女に関しては、何かあれば貴方に対応して貰うわ、八俣智彦」

「何も無いのが一番だけどね。と言うか、そもそも《裏》とあんまり関わりたく無いよ」

「貴方の存在はホント厄介そうよねぇ、そう思うんなら、距離を取りなさぁい」


肩に下げた鞄を弄びながら、智彦は考える。

距離を取ろうにも、結局は養老樹が居なければ、今回はどうにもならなかった。

《裏》と積極的に関わるつもりはないが、縁だけは結んでおこう。

そして助力を求められれば、人の殺傷以外は引き受けても良いかも知れない、と。


ならば、伝えておかねばならぬと、智彦は鞄から、とある一冊の本を取り出した。



「ところで、この禁書、俺が持ってますので」

「あらぁ、そうな……え?」


『久しいな、お嬢さん。我はただ本を読むだけ、見逃して欲しい』

「え?嘘、ホントに?ぇぇ……頭痛ぁい」



智彦は、養老樹へ事の経過を伝える。

眉間を抑えていた養老樹だったが、深く息を吐いた後、責任もって管理するように釘を刺した。


『大丈夫だお嬢さん。我としても死にたくないのでな、こやつの言う道義に反する事はしないさ』

「悪魔にここまで怖がられるって……、八俣智彦、貴方、熾天使会に入らないかしらかぁ?」

「ごめん、せれん。どうも最初の印象が最悪でね、そういう裏の世界には属したくないんだ」


そうよねぇ、と養老樹は首を垂れる。

口裂け女どころか、御す事が難しい悪魔とすら、新しい関係を築いている。

本当に、規格外な男だ、と。

上には報告はするが、智彦を刺激しない様にする必要があるな、と頭を悩ませた。




「ねぇ智彦!このお姉さん怖い!なんでこんなグイグイ来るの!う、嘘告って奴なの!?」


「嘘じゃない。……本気も本気。ラヴ」


「だから怖いんですよおおおおお!確かにお姉さんを助けたけど、自分、負けたじゃないですかあああ!やだあああぁぁぁ!」




外から響いてくる、親友の絶叫。

女性に免疫がない上村には、試練の時だろうな、と。

智彦と養老樹は顔を合わせ、苦笑いを浮かべた。

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